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未来の子ども達への手紙 ①~事実は決して変わらない~

【原因と悪いやつ】

離婚してどちらかの両親と離れ離れに暮らしている子ども達は、世界中たくさんいるだろう。離婚だけではない。死別してしまう場合もある。そして児童相談所に連れていかれて会えなくなる場合もある。
色々な理由で子どもが親と会えなくなる事がこの世にはたくさんあるのだ。
そしてそれには必ず「原因」というものが存在する。戦争で両親が亡くなったのなら原因は、戦争だ。誰が悪いかはその国の政治家や王様である。日本が戦争に負けた時は、戦争が終わった後、多くのいわゆる責任者と言われる人たちが「戦犯」とされ処刑を余儀なくされて命を奪われた。
「天皇陛下万歳」と言い死んでいった兵隊さん達のカリスマ。天皇陛下さん関係者は、全員生きております。政治家も生きております。命令や許可をした人間はのうのうと生きているのがこの世なのだ。
今の時代で日本は戦争をしていない。
では、自殺者が多いのは誰のせいなのだろう。日本は世界で確か6番目に自殺者が多い。日本は平均で2万人くらい自殺者がいる。この中で離婚をして自分は悪い事をしていないが、司法という場で慣例的に「子どもは、母親が育てたほうが良い」とされ、奪われているお父さんが自殺をする人間もいるということだ。
この場合誰に責任があるのか。
殺したのは離婚した元嫁ではなく「裁判官」である。しかし裁判官は死刑になったりはしない。気づいたかもしれないが、家族の問題に他人が口を出しても事実は変わらない。そしてほとんどの場合、どちらも幸せにならない事がほとんどなのだ。
この裁判の不思議をもう何十年、何百年と続いているが、ちっとも幸せにならない現実があっても変えないのが政治家である。
どこかの情報でこんな台詞を見た事あるだろうか。
「裁判官に印象が悪いからスーツで出廷しなさい」
裁判官が判断するのは、過去に起きた問題の中身であって、今それに携わる関係者の格好ではない。
例え関係者が海パンいっちょで来ようが、問題の内容は変わらないはずだが「印象」が、大事にされている時点でもう既に平等ではなく、裁判官の「感想」でも決まってしまうものなのだ。
これが子ども達からみたらひいおじいちゃん辺りの作った平等な社会なのだ。
そして裁判官も検察官、調査官も書記も公務員であり、裁判費用は印紙代くらいだが、弁護士は民間であり、お金がかかる。
つまりお金がある人とない人でも不平等が生まれる。それが当たり前とされている以上、平等な社会など一生来ないことは子どもでも解るであろう。

これは、僕の特質的な考えかもしれないが、法律が平等でなければ気にしなくて良いと考えている。
だからと言って犯罪を犯すのは良くないが、夫婦などの問題は特に平等でないなら意味が無いのだ。
なぜならどんなに悪い親が勝っても事実は、変わらないからだ。
僕の子どもは、虐待は無かったと言った。
後妻もなんら口裏を合わせたわけでもなく、「 そんな事実は無かったよね 」と首を傾げている。もちろん僕も全く虐待を認めず、なんと身体的虐待で連れていかれたのに医師の診断書すらない。ようは傷1つついていないのだ。傷1つ認められないから身体的虐待で連れていったのに、心理的虐待に児相は変更していた。家族全員が「虐待はなかった」と言い、一致しているにも関わらず、児童相談所が出した想像に僕が同意しないと言うだけで、子どもは自由に生きる権利を奪われている。
しかし、起きた事実は変わらないのだ。
「気に入らないから養護施設にいれた事実」
「元嫁が浮気したにも関わらず開き直ったから離婚に至り、母親が失われた事実」
「通報者とは因果関係にあった事実」
「母親が居なくなって不安定になった事実」
そして「母親が子どもを育てられないと言いいなくなった事実」
これらは一切変える事が出来ない事実である。本来法の解釈でも1度きりの浮気はそれ程罪は重くないとしている。
だが、開き直ったら別であろう。
タラレバを話せば、うちの場合元嫁が、猛省して数年粛々と暮らせば離婚には至らなかったが、その罪をあたかも過去あれが悪かった、これが悪かったと喚き、なにかのせいにしても「浮気がバレたのに反省せず、僕のいない状態で子どもと一晩話ができる場を設けても飲み会に行き帰ってこなかった」が原因であり、その事件を起こしたのは元嫁であることは一生変わらない事実なのである。
僕の子ども達は、自分で起こした事件を有耶無耶にして生きていく人生を歩んで欲しくないと思っている。世の中も進化してゆき、多くの証拠を揃える事が一般人でも容易になったため、そんな無茶苦茶な道理も通らなくなってきている世の中である。この元凶を突き詰めると一部の老害が発展を遅くしているのだが、それはまた別の話だ。

【声をあげる】

日本で誰かの力によって悲しみを受けている子ども達もいつの日か自分の手で事実と違う判断を下した者を糾弾するために勉強して欲しいとも思っている。
虐待は他人が決めるものではない。
物事の分別がついたら年齢なら自分が決めることである。
問題はどんなクソ野郎でも吟味をされず、他人が起こした事件を参考にされて、他人が判断してしまうことである。
事実と違う事であっても国と言われる他人が人生を決めてしまえる事が問題なのである。
そのため、我が家で言えば「浮気」という問題を起こした元嫁が「反省」しないで、言い訳ばかりを繰り返し、問題をすり替え続けたから破綻し、離婚に至り結果子どもが傷つきを感じた。これが全てである。
これを司法が入ったり児相が入る事により、子どもが傷つきや、精神状態が不安定になることすら何故か僕のせいにされる。
事実と違うのにだ。
だが、事実は変わらない事への責任は、誰もとらない。
だから被害を受けた子ども達は、声をあげる方法を学ぶのだ。
親だからと言って事実の記憶を曲げてはならない。冷静に順序だてて理解するのだ。
夫婦の問題に0:100はないと思うが、それは夫婦間の話である。
他人が0:100だとか、そうでないとか言えるものでは本来ないのだ。
親権をとった親が必ずしも正しいわけではない。裁判官や職員が必ずしも正解を言うとは限らない。
ただ、被害を受けていると感じたのなら子どもでも声を上げ続ける勇気を持ってほしい。
養護施設は、子どもが自らの意思で帰ろうと思っていても返さない。
そしてそれがわかった時は、もっとキツい場所に入れるからな!と脅す。
立派な脅迫である。
子どもは無知で無力だ。
だから勉強してほしい。
そして声を上げ続けるのだ。
                                                              Rin1129



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