見出し画像

メコンの香り〜年賀状から〜

ノンラーと呼ばれる木の葉で出来た帽子を被り、メコンの川をくだっていく。向けられたカメラに見せるビッグスマイルにはあどけなさが満載だ。

刷られた年賀状に写る12年前の私を見る。メコンの自然や大気汚染が深刻なホーチミンの町、ベトナムの人のあたたかさが恋しくなった。

年賀状離れが進んでいる。当の私もいつの日からか筆を持たなくなった。1月1日0時0分、「あけましておめでとう!今年もよろしくね」のコピペレースが始まる。レースは10分もあれば終わるだろう。思い出や温もりではなく手軽さが求められる時代の特性を見事に語っている。

大学に入りひとり暮らしを始めると、生活は一新した。新たな住居には、大学生活で必要なものしかなければ、スマホのフォトアルバムには幼少期の写真が一切ない。まあいいか、バイトやサークル、学業に明け暮れる日々は、故郷を思い出すことさえも許さない。あっという間に冬が来た。

日照時間が少ないとどこか心も重くなる。慣れない生活を駆け抜けすぎたのだろうか、身体が悲鳴を上げいた。マイコプラズマ肺炎と診断され、40度を超える高熱に約1週間うなされる。お粥さえも喉を通らない。5日もあれば退院できると言われた入院生活は10日間続いた。それでもまだ幸せだった。久しぶりに家族とゆっくり年末年始を過ごせる。そのことがただ嬉しかった。

特番を流しながらも、話は自ずと家族の思い出になっていった。「ねえ、これまでの年賀状ってない?」年賀状を机の上に並べ始めた。我が家にとって、年末年始はビッグイベントだった。受験勉強が忙しくなるまでは毎年、海外で年を越した。そして、現地では、次の年賀状のための写真をいくつか撮影する。だから、年賀状を見れば、いつどこに行って何をしたのかが思い出されていくのだ。

メコンの川下りを楽しむ7歳の自分を見つけた。ベトナム、特に思い入れの強い国だ。戦争や貧困という負のイメージを持って行った国は、平和で経済も発展段階にあり、何より人が本当に優しかった。15年たった今でも、ホーチミンの町角にある靴屋の店員、ホテルの朝食でフォー担当のシェフ、ガイドのウィンさんとのやりとりや彼らの優しさがしっかりと刻まれている。

15日に年賀はがきの受付が始まった。この文化が化石文化となりそうで怖い。周りに面倒な人だと思われるから出さなかったり、手間だから出さなかったりと年賀状離れの理由は人それぞれだろう。しかし多くの人にとって、年賀状が持つ意味は新年の挨拶だけではないだろう。日本の大切な文化を生きた文化としてどう守るか、もらった年賀状を見返しながら考えていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?