操法大会への道のり

私は本職(リハビリのデイサービス)の他に消防団員をやっている。
コロナが流行っていなければ毎年のように操法大会という消防団の大会がある。
我が分団は3位入賞までが当たり前のように……とてつもないプレッシャーの中、令和元年の操法大会では3番員として初めて大会に出た。
結果は3位入賞ならず健闘賞という、とてつもなく悔しい結果になった。
練習はキツいし、何度も選手をやめたいと思ったことか……でも出来ないなりにやり通す楽しさも操法大会を通して知ることが出来た。入賞して症状を……メダルを欲しいと思えるようになった矢先のコロナ禍……
集団での大会どころか練習、点検すら少人数でしか許されなくなった。

しかし今年から無観客という形で開催されることになった。
3番員で個人賞を……とも考えたけど、入団して操法大会の経験が無い団員を出したいという気持ちも分からなくない。
2年間運動という運動もしてなかったし、体力に自信なんて全くない。だから選手はやりたい気持ちはあってもあまり動かない所……欲を言えば補助員(5番員)で気楽に選手の動きを眺めていたかったのだが…現実はそんなに甘くはなかった…

点検は中止になるも選手決めの為、招集される……
選手を決める時、我関せずの人間は違う話しを大声でしたりしていたから意を決して「新入団員だけでなく、長い人でも操法大会出たことない人やった方がいいんじゃないですか?」と。
正直、この言葉を音にして発するのも嫌だった。

いつもそう。学級委員やる人がいないから……生徒会長やる人いないからと自分の時間や感情を押し殺して今までやってきた。
自分がやりたくないものはみんなやりたくない。
自分がされて嫌なことはみんな嫌なこと。
親の教えか……断れない性格もある。

一人っ子のくせして負けず嫌いなところもある。押しに弱い所もある。でしゃばりだし……そのくせ責任感は人一倍あるとも言える。
操法見るのも初めての人達に1番員を押し付けるのなら私が少し辛い思いをしてでもやるべきか?
だから選択肢を与えた。残ったところを私がやります……と。
残ったところは1番員……2番員より運動量が少なくて助かったと言えば助かったけど……不安は大きい。

消防署が作ったeラーニングを何度も見ても不安なんてぬぐえない。
不安を払拭するのは何度も練習あるのみ……不安要素を潰していくのみ……そう思うも練習回数が少なすぎる……
かと言ってみんなの負担を大きくする訳にはいかない。自分のできることから……自分の出来ること。やっていくしかない……

怖くて怖くて仕方ないけど決まったことはやるしかない。とりあえず仕事の合間にでも体力作りからしないとな。

こうやって文字に残して大会が無事に終わったり、コロナがまた増えて中止になったとしても、こんなことで不安に思ってたんだ!って笑って読み返せるように文字に起こしてみた。

また無事にやり切れた!私は出来る!
少しでも自分の自信に繋がりますようにと祈りながら……

そう心に決めて…

1番員……できる限り頑張ってみます。

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