Rina Hashimoto

出版社で営業としてはたらくハイパーねむさクリエイターです。好きなものは読書(村上春樹)…

Rina Hashimoto

出版社で営業としてはたらくハイパーねむさクリエイターです。好きなものは読書(村上春樹)、猫、スピッツ、カレー、ラーメンなど。興味があるのは短歌、映画、英会話、麻婆豆腐です。週1更新を...がんばりたい。

最近の記事

父とはきっと友達にはなれないけれど。『猫を棄てる』感想。

村上春樹著『猫を棄てる』感想文は、自然と自分と父の関係性を言葉にする試みになった。 1ヶ月以上前に書いたときにはしっくりこず、眠らせておいた文章。 いま読み返してみたら、中途半端な感じもわたしと父らしいと思った。だから公開してみる。 *** わたしの父は昨年、還暦を迎えた。 同世代よりは若く見えるとは言え、しっかり歳を重ねている。 もっと若いときの父の印象がいまだに強いせいか、ソファに寝転がっている父を見て、ときどき密かに驚いてしまう。 わたしの中の父のイメージは、シュ

    • なんてことない日記

      力を入れて何かを書く気にはなれないけど、自分の考えていることを言葉にしてみたい気持ちになったので日記を書いてみる。 中身は全くないので、暇で暇で泣きそうな人か、あるいは意味のある文章に疲れた人だけ読んでください。 *** 今朝は地震で目が覚めた。 わたしは子どもの頃から、地震がこの世で一番こわい。昔見たテレビで、二階建ての家は大きく揺れると一階が潰れると説明されていた。そしてわたしの部屋は一階にある。 つい数年前まで、部屋のドアを閉めるのがこわくて開けっぱなしにしてい

      • いまこそ長崎ひとり旅(2019年9月)旅行記を完成させるべく、わたしは立ち上がった。

        これは、2019年9月の女ひとり旅行記である。 長崎市と五島列島への、2泊3日の旅。 noteにまとめようとしたら結構な量になってしまい、2日目の途中で力尽きて下書きに眠っていたものを、いまさら掘り返してみた。 果たしてどこまで思い出せるのか?キナリ杯をきっかけに、完成させられるのか? 家にこもりきりのいま、過去の自分のテンションの高さにちょっと引きつつ、思い出をたどりながら書いてみようと思う。 以下、2019年9月の終わりに書いたものからスタートする。 *****

        • 渋谷の書店SPBSさんでオンラインショッピングをした週末。

          先日、奥渋谷にあるSPBS本店さんの「ONLINE SHOPPING」なる企画に参加してきた。 SPBS本店さんは、渋谷の東急百貨店本店の横の道を進んでDAZNサークルを通り過ぎ、さらに進んだ先にあるセレクト系書店さん。雑貨も置いてあっておしゃれな雰囲気。 SPBS本店さんを運営しているSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(以下、SPBS)さんは編集事業もやっていて、店内の奥に編集部が見えるつくりになっている。 人文系、アート系など普段あまり出

        父とはきっと友達にはなれないけれど。『猫を棄てる』感想。

          『心をつかむ超言葉術』と「言葉の企画」とわたし

          わたしが考える「いい本」の定義のひとつは、 「読むたびに新しい発見がある本」。 小説でも、ビジネス書でも、実用書でも、そうなんじゃないかと思っている。1年前の自分と、3か月前の自分と、昨日の自分と、明日の自分。1年後の自分。タイミングが違えば、本から受け取るメッセージも違う。 わたしにとってのそんな本のひとつが、『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』だ。 著者は、電通でコピーライターとしてご活躍されている阿部広太郎さん。 映画、イベントなどのプ

          『心をつかむ超言葉術』と「言葉の企画」とわたし

          生活を楽しむことに罪悪感があるわたしの話。

          リモートワークが始まってもうすぐ3ヶ月。 ネガティブ思考がふつふつと湧いてきていたけれど、自分の中でひとつ、心が整理できたことがあった。 罪悪感とか、自粛警察とか、そんな話。 ***** わたしはどちらかというとインドア派で、おうち大好き、だらだらゴロゴロ大好き界の人間だ。ひとりで過ごす時間を愛し、週末になんの予定もないとき、喜びを感じることさえある。 それでもこの数ヶ月ひきこもり生活をしていて、気づいたことがある。 自分で思っていたよりも、人と会って話す

          生活を楽しむことに罪悪感があるわたしの話。

          人がわかりあうのは難しいけれど、なぜ難しいのかを知ることはできる(📕)

          平日の夜、神楽坂のとある大衆居酒屋。 会社の先輩後輩と、ぐだりぐだりと目的もなく飲んでいた。 仕事の話やら世の中の話やらよくわからない話やらをしていて、そのうちコミュニケーションの取り方の話になった。 そのとき先輩たちから、「はしもとさん(のコミュニケーション)はなんか変だよね。」と言われ、予想外すぎて驚いてしまった。 自分はコミュニケーションがうまい、と思ったことはないけれど、「普通の受け答えはできる、無難なコミュニケーションの人」という認識だった。 まさか変、

          人がわかりあうのは難しいけれど、なぜ難しいのかを知ることはできる(📕)

          なんでもない日常に戻らない。

          10月も半ばを過ぎて、すっかり街は秋の装いだ。しとしとと降る雨には少しうんざりするけれど、ときおり漂ってくる金木犀の香りに気分がやすらぐ。 ついこの間まで春だったのになぁ。 「言葉の企画」の振り返りをすると、時の流れの早さに気がついてしまう。 先日ついに、半年間の講義の最終回が行われた。 最終講義は、立候補した26人の企画生が前に立ち、「自分の企画」〜どんな企画をする人になりますか?〜をテーマにプレゼンするというもの。 わたしはちょっと悩んだものの、立候補をしなか

          なんでもない日常に戻らない。

          飛び越えた先には、何があるかな。

          学んだことはたくさんあるのに、いや、ありすぎてなのか、どうにも消化できていなくて思いっきりnoteの締め切りを過ぎてしまった。ごめんなさい。 最近、わたしは第二次思春期なのではないか?と馬鹿みたいなことを思ってしまうくらい、自分について考えつづけている。 でもまずは、学んだことをちゃんと自分の言葉にしないと。そこからまた、ヒントが見つかるかもしれないから。 *** 言葉の企画第5回では、映画をテーマにした「NAVERまとめ」をつくるという課題が出ていた。 わたしは映

          飛び越えた先には、何があるかな。

          嬉しくて泣いた日。

          わたしは、めったに嬉し泣きをしない。 嬉しいことがあっても、心のどこかに「冷静にものごとを見ようとする自分」が鎮座しているからだと思う。 おそらく、自分の心を守るために。 ただそれは、自分の心の奥底の気持ちにちゃんと向き合えていない、ということの証左でもある。 今回の「言葉の企画」の講義。 わたしはこっそりと泣いていた。 ほんとうに嬉しかったからだ。 冷静な自分は、そこにはいなかった。 *** 「私の素敵な人」をテーマにエッセイを書くという課題。 わたし

          嬉しくて泣いた日。

          似た者同士だからこそ、素敵だと思える人。

          わたしには、わたしにとてもよく似ている友達がいる。 地元が同じ。進学した高校も同じ。大学と新卒時の就職先は違ったけれど、結局わたしが自分の会社に彼女を引き入れ、職場まで同じになった。 わたしたちはのほほんとした良いやつで、あまり敵を作らず、自分のコミュニティ内では楽しく過ごすことができる。 知らない人がたくさん集まる立食パーティーみたいなものは苦手で、人見知り、だけど人は好き。好奇心はけっこうある。 2人とも読書が好きで、いちばん好きな作家は村上春樹。インターネットが好

          似た者同士だからこそ、素敵だと思える人。

          言葉の「意志」を考えられる人になる。

          「なにかが言語化された時の感覚」がとても好きだ。 それは短い言葉でもいいし、文章でもいい。 なんとなく感じていたことをずばりと言い表してくれる言葉に出会えると、感動をおぼえる。 自分の頭の中でだけ、ふわふわと存在していたものが、くっきりとした形になる。 それは自分でそのものごとを意識できるということだし、人に伝えることができるということでもある。 短歌を読んでいると、その感動に出会えることが多い。 わたしの好きな短歌のひとつがこれだ。 「もういやだ死に

          言葉の「意志」を考えられる人になる。

          ぎっくり腰に、なりました。

          ははは。 わたしはそのときベンチに座っていた。 友達が会計しているのを待ちながら、スマホをぼーっと眺める。なんにも考えていなかったと思う。 なにかがわたしの鼻孔をくすぐったらしく、自然とくしゃみが出た。 くしゃみが来るという意識があまりなくて、身体が準備する前に来てしまった感じだった。 このとき腰にはしった激痛の感覚は、忘れることはないだろう。瞬間的に「あっこれやばいやつだ」とわかった。 うたた寝している最中に背後から刺されたら、こんな感じなのかなと思った。 タイミン

          ぎっくり腰に、なりました。

          自分の「声」の伝わりやすさは、結局。

          ああ、もっと声が大きくなったらいいのにな。 影響力的な意味ではない。 物理的な意味である。 わたしは声が小さいのだ。 どのくらい小さいのかを説明しよう。 家の玄関を出たら、ちょうどお隣さんも玄関前に出ていたので挨拶をする。それが相手の耳に全く聞こえないようで、華麗にスルーされるのである......! 「こんにちは」というわたしのささやかな言葉が、さみしくその空間にたゆたう。 あの無言の時間の居たたまれなさは、声の大きな人には想像できまい。 念のため言っておくけれ

          自分の「声」の伝わりやすさは、結局。

          日記を書くのが気恥ずかしいお年頃

          あわただしい毎日の中でも、ちょっぴりわくわくするような出来事や、あ、なんかいいな、と心が動くのを感じる瞬間はたくさんある。 でもほとんどのことがわざわざ人に話すほどでもないことで、ツイッターに書くとそれはそれで無味乾燥に感じてしまい、結局心の中にしまったまま。 noteの下書きを見たら、代休をとって都内をひとりでぶらぶらした日の書きかけの日記が眠っていた。 なんだかもったいないな。読み返すのは恥ずかしいから絶対やらないけど、思い出しながら書いてみようか。 たしか午前中に

          日記を書くのが気恥ずかしいお年頃

          課題だからやるのではない。本気でやりたいから企画するんだ。

          言葉の企画第2回の、振り返り。 1ヶ月なんてあっというまだ。 第2回の講義のあと、近くに座っていた企画生と部屋に残ってごはんを食べた。朝、崎陽軒のお弁当売り場を探す時間がなく、コンビニで適当に買ったちょっと佗しいごはん。 スリーエフってローソン系列なんだな、と思いながら手に取った「悪魔のおにぎり」をもそもそと食べながら、会話に参加する。 「企画生のレベル、高いですよね」「すごすぎて、焦る」「もう第2回まで終わっちゃいましたね」「全部の講義が終わるまでに、何かを自分のも

          課題だからやるのではない。本気でやりたいから企画するんだ。