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『彼女は頭が悪いから』評。

『彼女は頭が悪いから』

姫野カオルコさんによる、2016年に実際に起きた“東大生の強制わいせつ事件”をもとにした小説のタイトルだ。

あらためて、インパクトの強い表現だけれどこれは著者のオリジナルではない。
公判中に被疑者の口から出た言葉だそうだ。
本当にぞっとする。

この小説は出たときに話題になっていて、気になっていた。ずっと読みそびれていたところに、先日話題になった東大入学式の上野千鶴子さんの祝辞で取り上げられているのを見て、勢いで読んだ。
なるほどセンセーショナルな内容だった。
読んでいて辛かった。

あらためてどんな内容の小説なのか、どんな問題提起なのか、この小説を読んで何を思えば良いのかをまとめてみたいと思う(少しずつ書いていたら1週間くらい経っていて、すっかりこの話題は忘れ去られてしまっているんだよね......)。

◎あらすじ

主人公の美咲は横浜の郊外に生まれ、ごく平凡な家庭に育ち、穏やかに成長してきた女子大の学生。全然すれていなくて、いつも受け身で、周りが喜んでくれるならいいよね、という感じ。自尊心が低いが卑屈というよりも、静かにあきらめているような子。

美咲の物語と並行する形で登場するのが、国家公務員の父と専業主婦の母の子として広尾に生まれ、何不自由ない暮らしを送り、東大の工学部に通うつばさ。自分は周囲をつねに下に見ているのだが、自覚はない、というタイプ。

そんな2人が出会い、恋に落ちるが、物語が後半から一気に不穏になっていって...... ひとことでいうと読んでいて気分の悪くなる小説。


たぶん著者の感情のところが強いのかな、これは文学作品だという印象はあまり受けなかった。本書は社会への怒りの表明と問題提起のために書かれている、と感じた。

◎問題提起で、わたしが最も大事だと思ったこと 

痛ましい事件に至るまでの、とくに美咲の個人的な物語にかなりのページが割かれている。

実際に起こった事件について、当たり前だが被害者女性がどんな人物なのか、どんな環境で生きてきたのかについては何もわからない。

事件発覚当初、なぜか女性を叩く意見がネット上には流れていたらしい。
女性側にも非があるんじゃないか、みたいな最悪の意見。

こういった一面的な見方しかできない意見に対して、女性はこう考えていたんじゃない?こういうこともありえるんじゃない?という「血の通った思考」を投げかける意味が本書にはあると思う。

わたしはこの本を先に読んでから、改めて事件のことを調べなおした。
そうすると物語の事件の部分が、実際の事件で報道されている内容にかなり近づけて描写されていることがわかった。

つまりこの物語は、「あくまでもフィクションです。虚構の話です」という明確に切り離したスタンスではなさそうだということだ。

実際の事件をほぼなぞりながら、どうしてこういう事件が起こってしまったのか、被害者側に寄り添うかたちで表現し、世に発信したいという著者の気持ちが読み取れる。

性犯罪が起こった時に、なぜか被害者側が非難されるという現象は、この事件に限らず多く見られる。
「自己防衛が足りない」とか「被害者側にも隙がある」とか。
それって言う必要ある?といつも思う。
自己防衛が必要なことと、加害者が被害者を傷つけているということは別の話だ。

だからわたしはこの小説の、被害者の人となりにフォーカスする姿勢はとても大事だと思う。

◎著者が伝えたかったことが伝わっていない

ところがこの小説、結構批判も来ているらしい。
おもに東大(の男子学生)からで、東大生の実情とは違うとか、女子学生の割合が違うとか、三鷹寮は広くない(?)とか……

おそらく物語の内容を実際の事件にかなり寄せていること、登場人物に関する経歴等もほぼ同じであること、そして東大生はこういうものである、という断定的な文章が多かったので、「実際の東大生批判」かつ「東大生をひとくくりにしている」ように見えてしまったということなのだろう。

ただ、この物語の意義や伝えたかったことはそこではないはずなんだよね。
(著者も東大生向けに書いたのではない、と言っていた)

東大生でなくとも、恵まれた環境に気が付かず、自分の力を過大評価し、まわりをナチュラルに見下す、そんな人間はいるだろう。
「ハートがぴかぴかのつるつる」で、挫折を感じることなく、他人の感情に疎い人間も、いると思う。

実際の事件に近づきすぎたことで東大のリアリティの部分に批判が集中してしまい、本質が議論されない、ということが起こっているように感じた。

どうしてこんな事件が起こってしまったのか?美咲は、つばさは、わたしたちは、どうしたらよかったのか?

物語のラストで、美咲にとって救いになる出来事もいくつかある。ただ根本的な問題は、なにも解決していない。最後まで後味の悪い物語であった。

◎上野千鶴子さんの祝辞が、この小説のエピローグになっているかもしれない

わたしがこの本を読むきっかけとなった上野千鶴子さんの祝辞は、ざっくりいうと以下のような内容であった。

①医学部不正入試や男女の教育格差など、性差別について(ここで『彼女は頭が悪いから』に触れる)
②自身が拓いてきた、女性学という学問について
③「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげ」
④「恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」

⑤東大ブランドがなくても、生きていけるような知を身につけてほしい

とくに③④について、絶賛する声がとても多かったように思う。
(わたしもこれは名文だと思った)

『彼女は頭が悪いから』の読後もやもやしている中で、改めてこの祝辞を読み返した。

おそらくだけれど、姫野カオルコさんは③④のようなことが言いたかったんじゃないかな、とふと思った。

物語によって強い問題提起を投げかけることで、他人の思い、痛みがわかる人を増やしたかったんじゃないかと。

そして祝辞が話題になったことで(もちろんこれにも様々な見方はあるけれど)、ゆがんだ自尊心と、他人への想像力について考えを深める人が多かったんじゃないだろうか。

***

正直、この小説は読んでいてしんどい気持ちが強かったので、ほぼ読み返さずにこのnoteを書いている。

上野千鶴子さんの祝辞があったおかげで、自分なりに消化してまとめることができたので良かったけれど。

これからも考え続けよう。


#読書 #書評 #コラム #エッセイ #彼女は頭が悪いから #小説

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