見出し画像

パパが死んだ日

親が死んだらどうしよう、と小さい時ずっと思っていた。そのことが現実になったんだなあと、父が亡くなってからずっと思っている。現実味しかない。もう会えないっていうのはそうだったこういうことだった、って毎日味わう。

死んでからの方が、1人の人間に感じられる。生きてる時は圧倒的に「パパ」だった。じゃあそのパパを、大好きだったか?と問うてみると、ぼやんとした世界に入る。大好きだったと思います。だけど好きとか好きじゃないとかよくわからなかった。前川慎一が私のパパであることは当たり前で普通で、そこには大好きとか大好きじゃないとかそういう言葉がしっくりこない感じがしていた。パパはパパです、という答えにならない答え方をしてしまう感じ。

パパは亡くなる日の朝、私に電話をしてきてた。間違い電話だった。パパは「あれ、里菜?」と驚いた様子だった。何せ間違ってかけてるから、びっくりしてるのだ。そうよ里菜よーと答えると、「あー・・・体調はどうですか」と聞いてきた。おおお、末期の癌の人が私の体調を心配してきた。英語のHow are youみたいに言うやん!ちょっと吹き出してしまった。いやパパ、私の体調とかより、パパ癌やん。パパこそどうですか、と言おうとして、やめた。返す言葉を飲み込んだあと、元気よーと答えた。

「今どこね」と聞いてきたので、「岐阜の友達の家だよ」と伝えると「またそんな・・・」と彼は絶句した。いやこのコロナ禍でお前はほんとちょろちょろしすぎだろ、なんだよ岐阜って、みたいな感じだったので色々言わせないように私が喋る。「友達の家超楽しいよ、草刈りしてるよ。りーちゃんの赤ちゃん生まれたら会いに行くけんその時会えるね、しんどいやろけど、また復活楽しみにしてるね」と言うと、パパは「ほんとねえ。」と答えた後、「コロナに気をつけんばよ」と言った。まじびっくり。コロナ心配された。なんかわからんけど、コロナに気をつけなさいって人に言われたの初めてだった。衝撃のまま、「じゃあね」「またねバイバイ」「はーい」って電話を切った。

またねバイバイ。それが最後の会話だった。今世の最後にふさわしい、ちゃんとした挨拶をかわしたのだなあと振り返って思う。

その日の深夜に父は亡くなった。母と臨月の妹が看取り、私は遅れて岐阜から駆けつけた。着いた時には、夜になっていた。

パパの遺体と向き合った時、その動かなさにびっくりした。音のないパパの体は沈黙だった。パパの形をした沈黙が、目の前にいた。眠っているとも思わなかった。パパの枕元に座る私を、生きている親戚たちの静寂が見守る。私は泣いた。叔父がちょっと離れたところからこちらを見ていた。一緒にいてくれていると思った。静寂はあったかい。沈黙は冷たい。生きているからだと、死んでいるからだの違いは、動くか動かないか、音を出すか出さないかだと思った。パパの声をもう聞くことはないのだと思うときが一番寂しかった。パパの体が呼吸して体を震わせて音を出すことはもうないのだ、と思うと、本当に死んじゃったんだなあと思った。

聞いてた通り、本当にお通夜も葬式も大忙しだった。お通夜の日はたくさんの方が訪ねてきた。みんなが来てくれることをありがたく思いつつ、一番の関心ごとは母の体調だった。父が亡くなってからろくに眠っていないことを知っていたから。その母をずっとフォローしてる妹は臨月だ。2人は、時間も体調もあらゆるキャパシティがギリギリに見えた。喪主の忙しさよ、妊婦の体のままならなさよ。ゆっくり話す時間もなく、みんなでパパのことを話す時間もなかった。私たち家族が父の死について話、聴くスペースをちゃんと作りたいと思っていた。パパの遺体がまだともにいるうちに。

お通夜の日は遅くまで弔問が絶えなかったので、やっと喪服を脱いだ時には夜の12時を回っていた。その日は斎場で寝た。お葬式の朝、早くに目が覚めた。母の布団は空っぽで、母は4時か5時から父の祭壇の前に座っていると妹が教えてくれた。胸がギュッとなった。共にいたいと思った。妹たちに話して母のところに行って、やりたいことがあると伝えた。

祭壇から1輪のひまわりを拝借して、「ビーズの輪」をやりたいことを伝えた。みんな頷いてくれた。詳細はここでは省くけど、ビーズの輪とは、ネイティブアメリカンのトーキングサークルのセレモニーの一つ。そのやり方をみんなに伝えた。初めに名乗ること。そのあとは、ハートからの言葉を紡ぐこと。パパからもらったものはなんですか、それと共にどう生きていきますか、という問いでビーズの輪を行った。家族とビーズの輪を囲むのはこれが初めてだった。どこでやる時より緊張した。

私から始めた。そして順番にみんなが話した。ただ話してただ聴く時間がこんなにも豊かであることに、ものすごく感謝が湧いてきた。雑談や、会話では言えないことも、その人のペースで最後まで話せる。ビーズの輪をやってよかった。みんなの声が聞けてよかった。私の声が出せてよかった。聞いてもらえてよかった。このことを大切に学んできてよかった。

この時間を提案できて本当によかった、と思いながら一人一人の言葉を聞いた。そして最後に、母が話した。ただ聴いていたのだけど、最後の方で母が発した「一度も好きって言われたことはなかったけど」という言葉に驚愕した。驚きすぎてその続きが全く思い出せない。

えええパパよ!!ママに一度も好きって言ったことなかったの!!!!

驚き。衝撃。でも納得。ママにすら言わないのに、私たちに言うわけ、ないよなあ。。。。

ハイパー照れ屋のパパちゃんよ。死んだらなんも恨むことが出てこなくて、なんかすごい惜しまれてるしいい人になっちゃった気がしてたけど、そうだったあなたは、そういう人だった。数年前に私が空港でハグを提案した時、ものすごい拒んだな。だから私は強制的に捕まえてパパを羽交じめにした。あれはハグとは言えないかもしれないけど、でもそれでもよかった。

斎場の人に「故人の大切にされていたものを棺にお入れになるならどうぞ」というようなことを言われ、母と妹と私は首を傾げた。パパが大切にしていたもの?そんなもん、あったかな。スマホ?あかんね。あとはなんだろう。。。ああ、ひとつあった。

「パパの大切なもの、ママじゃない?」
「うん、私やん」
「ママを棺に入れたらママ焼けてしまうね」
「うん、死人の増えるね。入られんね。」

喪主の挨拶でもママは言った。葬儀の9月11日は、ママの誕生日だ。

「主人の大切なものは、私だと思います。今は一緒に行けません、もっと楽しんでから行きます。」

いいぞ芳美!!お誕生日おめでとう!!!
楽しみ散らかしてください、存分に!!

最後棺を閉める時、みんながお花を棺の中に入れた。
棺の扉が閉まる直前、ママがパパにキスをしたのを見た。

世界で一番美しいものを見たと思った。


平田里菜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?