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他者となにかを共有できると言うのは、一緒にいるというのは、きっとそれだけで素敵なこと

ひとつの輪が終わりを迎えた。

11月から10名で歩いてきた「ひらがなを話す会」が全8回を終えた。

今日はもうすっかり春ですね、と言い合える空気の中、私たちは輪になって最後の時間を過ごした。春の始まりのあったかい日。ずっと真ん中で炊かれていたストーブも、最後は必要がなくなった。ひとつの冬を一緒に越したんだな私たち。

私たちは何かの解決を目指してない。だから、やってることを聞かれてもうまく答えられないことが多い。何を大切にしていて、どんなふうに一緒にいようとしているかを、今話せる言葉で、一生懸命話す。

励まし合いたいんじゃない。わかり合いたいんじゃない。人と人がひとつでただいる時のあの場所をみんなで経験してそこから一緒に生きていきたい。

いい人でいる必要も、価値がある人である必要も、物分かりがいい人である必要もなく、個性を主張する必要もない。ラッキーな人である必要も、愛情深い人である必要もない。自分の中にある「こうじゃなきゃ」とか「こんなのだめだ」とひとつひとつ和解する道を歩む人々がひとつの集合として作る輪のあの感じを、一緒に共有したい。私たちは分かれ分かれじゃなかったら、ただひとつになれる。お互いにエネルギーを注ぎあえる。混ざり合える。それが本当に感じられたら、私たちにはげんきが溢れてくる。それは一緒に体験した人たちならわかる。

ひらがなは人と人でそれをやるし、ファーストピースサークルは人と自然と人でそれをやる。ああ、この感じをどう説明できるんだろうともどかしさを感じていたら、大学院でサルの群れを研究しているいとこの投稿に心震えた。

ウガンダ西部のカリンズ森林では、2種のサルがひとつの群れをつくるという。
混群と呼ばれるその現象がなぜ起こるのか、なぜ2種のサルたちは一緒にいるのか、わざわざ。大学院の研究テーマはその理由を探ること。(中略)

調査3日目の2021年12月15日、ブルーモンキーをメインに追跡。

昼メシに食べた人生初キャッサバはもったり?もっさり?していた。15時を過ぎた頃、スコールが降り始めた。轟音とともに土砂降りの雨が迫ってくる。こんな日に限って雨具を部屋に忘れていた。全身ずぶ濡れになりながら雨が止むのを待つ。
サルと一緒に。

雨を怖がって泣き喚く子ザルをよそに、濡れながらいそいそと食事を続ける母ザル。そんな光景を濡れながら見つめていると、「もしかしたらこれが混群か?」と、頭をよぎった。自分は観察者のつもりでいたけれど、サルにとってはそんなことはどうでも良くって、サルからしたら自分も混群の一員なのかもしれない…そう思うと熱帯雨林の激しく冷たいスコールも悪くなかった。

他者となにかを共有できるというのは、一緒にいるというのは、きっとそれだけで素敵なこと。直感的な真実がそこにはある気がした。それを言葉にしたい。

だから自分は「群れ」の研究をしているんだ。なにか人生の大事な歯車がカチリとはまるような音がした。そんな気分。まさに雷に打たれたような体験だった(雨だけど)。きっと傘を忘れていなければ、同じ雨に打たれなければ、それに気づくことはなかっただろう。

北山僚

こうも違う人と人が、なぜわざわざ一緒にいるのか。どうしてひらがなを話す会では、あんなにもきもちのいい時間があるのか。そのことを、サルと一緒に雨宿りしたハルカは「他者となにかを共有できると言うのは、一緒にいるというのは、きっとそれだけで素敵なこと。直感的な真実がそこにはある気がしたそれを言葉にしたい。」と言う。

わたしの中の「もっと表現したい」とうねる気持ちがスッと流れていくのを感じた。わたしも直感的にこの「一緒に」が真実だと感じてて、それを言葉にしたい。そうそう。そうなんだよ。そして言葉にするのにはまだまだ体験が必要。だから、これからもちゃんと悶え続けようと思う。

改めて、ひらがなを話す会@kataribaのみんなとあの時間を共有できて本当に素敵だった。一緒にいられて、本当に素敵だった。わたしは理由なくあの時間を宝物だと思う。好きな人を好きと思うとき、理由はいくらでも言えるけど、実は全く言わなくてもいいくらい理由が無いなあと思うのとおんなじ。言葉にならないけど同時に、言葉にしたい。この感覚をもっと分かち合いたいから。みんなと共有したいから。

サルから学ぶいとこ、人間たちと学ぶわたし。

私たちは、一緒にいたいのだ。

Earth Partner 平田里菜

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