人生が動くとき

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人生って、生まれたときからずっとずっとつながっている。


振り返ってみると、
「あれもこれもつながってたんだなあ~」なんて思うことはたくさんあって、常にそういう人生のピースが集まって、そしてつながって人生は動いていく。


そんな中で、

「人生が動くとき」

それは、バラバラだったピースが磁石に吸い寄せられるように、一瞬にしてすべてのピースがはまる、そんな瞬間のことをいうのではないだろうか。






2018/12/04

その頃の私は、4か月後に大学を卒業したら日本で公立学校の英語の先生として仕事をしていくつもりだった。


運が味方をして、10倍以上の倍率を越えて合格した教員採用試験。家族や、友人や、お世話になった先生方、みんなの期待を背負って、私は春からの教員生活に向けて心の準備を進める日々を送っていた。


しかしながら、教員生活について情報を集めれば集めるほど、私は教師として働いていくことに疑問を感じずにはいられなくなっているのも事実だった。


「ブラック教員」という言葉は今ではすっかり浸透したようにも思えるが、いまだに教員の仕事が果たしてどれほどブラックであるか、世の中の認識はまだまだ浅いものであると思う。

自分が教員として教壇に立つ日が来るのだと、それが現実になった今。
それがもはや恐怖にしか感じられなくなっていた。
日本の教育が抱える問題は、一口に語ることのできるような大きさのものではない。
教員になるということは、その大きな渦の中に自ら巻き込まれ、自分の精神をバラバラにさせられてしまう、そんなことを意味している気がした。




一方で、教員になる道とは別に、私は海外に出て勉強してみたい、暮らしてみたい、という大きな夢を持っていた。
大好きな大好きなアメリカで学ぶことができたら・・・
でもそれは、人生が終わるまでに、いつか・・・叶えたい・・・夢。







教員として生きていくことを決めきれない葛藤、心の内に秘めた「海外に出てみたい」という思いを隠し切れずにいる葛藤、その二つの葛藤が交錯する中、


私が出会った、とある人生の物語。







実は、この物語についてはtwitter上でのリツイートなどを経て何度か目にしていて、いよいよ読んでみようと記事を開いたのが、ちょうどこの日。
12/4 大学から家へ帰るための電車に乗っていた時だった。






この物語を読んだ私は、すぐさま物語の語り手にコンタクトをとることにした。


その時に私が書いたメッセージ



記事を読んで共感した点
-日本社会の「普通」への違和感
-日本の学校、教育への違和感
-日本を変えて生きたいという思い
主にこの3つです。

私は帰国子女ではありません。日本生まれ、日本育ちです。でも、日本の「普通」という同調圧力には無意識ながらもずっと違和感を感じていました。
アメリカを好きになって、アメリカを知れば知るほど、どうして日本は…という思いに駆られ、苦しくなることもあります。
また、日本の大学で教育学を学び、教育実習にも行きました。4月からは日本の公立の学校で英語科の教員として働く予定です。
これだけ日本社会、日本の教育に違和感を覚えているにもかかわらず、その現場に入ろうとすることがどれだけタフなことなのか、わかっているつもりです。

私は人生を通して、日本の英語教育(語学力だけでなく、グローバル化の時代を生き抜くための教育)に尽力したいと考えています。
しかしながら同じように、日本の教育を
「変えたい」
と思っている人の多くは学校教員という道を選ばず独立して英語教室を開いたり、起業したりしている印象があります。
私は、幸か不幸か教員採用試験を突破し、実際に学校教育の現場に入るチャンスを得ました。そこで、私の立場からしか出来ないことや見えないことがあるのではないか?と考えていて、それを活かせる場所を探しています。




この物語を読んで感じた感情は、素直でリアルなものだった。




驚いたことに、この物語の語り手は、私と全くもって同じように、日本に、学校教育に、疑問を感じている。そして、それを何とかしたいと思っている。



まさに

「同志だ」

と、直観にしてすぐにわかった。




さらに、彼はアメリカで育った経験がある。
私が愛してやまない国、アメリカ。


twitterでもnoteでも再三言ってきたことではあるが、私はJapaneseとしてAmericaで生きてきた人々に、大きなリスペクトを寄せている。
日本で生まれ育ち、日本から一度も出たことのなかった私が、アメリカを好きになって、アメリカのことをたくさん知ることができるのは、彼らのおかげだから。
そして、JapaneseとしてAmericaで生きるということがどういうことなのか、そこに深い興味(言葉にするのは難しいけれど、そこに何か感じるものがあることは自覚している)を抱いている。




こんな人がいたのか!

私の大好きなアメリカを、英語を知っている。
そして、日本を、日本の教育を変えたいと思っている人がいる。

衝撃は大きかった。




そんな私が興奮のままに書き束ねた感想は、ものの十数分で物語の語り手のもとに届き、早速電話をしようということになった。

そこまでにかかった時間はわずか30分。
流れのまま電話を通じて私の考えや葛藤、あふれる思いをぶつけた。






物語の語り手は、「日本の普通に殺された」とは底見受けられないほど気さくで、明るく、そして私のただならぬ思いを正面から受け止めようとしてくれる人だった。




その語り手の名前は


"YAMATO"




私は、人の年齢など大して気にはしないほうだと思うが、この時ばかりは驚いた。

私よりも2年先に生まれた彼が、アメリカで幸せな幼少期を過ごし、日本という環境にアイデンティティを奪われ、そして絶望から這い上がろうともがいてきたその"全く同じ時"を、私も、この日本で過ごしてきたということに。




そしてそれからわずか数時間後、私は彼の新しい取り組みである
とあるコミュニティの一員となった・・・







それは、私の人生が動くとき


磁石のように私の人生のピースを集め、思考を吸い寄せる




私がこれまでに感じてきた、日本社会への違和感。
私がこれまでに学んできた学校教育や英語教育にかける思い。

それらすべてのピースが一瞬にして、まるでパズルを完成させるかのように一つの絵を描いて見せた。


それが・・・



こころ着火マンのコミュニティ

 「#こころ着火キャンプ」






とある人物の人生の物語に触れて、

たったの2時間で、

確実に私の人生は動き始めた。






2018/12/06

私のこころが彼の物語によって着火されてから2日後。

なんというスピードであるか自分ではもはやコントロールさえできないが
実際に彼と会って話をする機会を得た。




私が、いつか海外に出たいと思っていること。
そのために、そして家族や周りの人のために、今は"我慢して"教員という道に進もうとしていること。
私のアメリカに対する愛を、思いを、夢を、
改めて語っていた時。




そこでの彼の一言が、私のこころの中にある核心に火をつけた。



「俺は、教員の道は違うとおもうねんけどなあ、」



「なあ、」という文字のとおり、
彼の口からふとつぶやくように放たれたこの一言



その一言は、ただただ私の体内に深く突き刺さった。







「私だって、教員になるという道は違うと思ってる」



言いたくても、口にできなかった言葉。
ずっとずっと、触れまいとして目を背けてきた気持ち。


それを口にしてしまったら、これまで私が教員になるために考えてきた多くのこと、そのすべてが否定されることになる。
教員になるという私の道を応援し、喜んでくれた家族や友人、お世話になった人たちの気持ちは裏切りたくない。

もしも、本当の気持ちに気付いてしまったら、「私は教員になるんだ」という、まるで取って付けたような私の教育への"情熱の火"が吹き消されてしまう。

だから、自分の口からは絶対に吐き出すことのできなかった思い。
それを彼は、良い意味であっさりと、良い意味でなんとなく、つぶやくことができる。



自分で口にすることはどうしてもためらわれたのにも関わらず、他人に言われてみるとここまで納得できるのか。

それは理屈なんかではわからない、本能的な感情だったからに違いない。







彼の言葉はいとも簡単に、嘘で固めた私の"情熱の火"を吹き消した。


そしてその瞬間、私の心には新たな、"真実の火"が灯された。



そうだ。私の生きる場所は、海の向こうにある。




私が進みたい、進むべき道は

同志たちとともに生きていくことのできる道。

お互いにこころの火を分け合いながら一緒に歩んでいくことのできる道。




教員という道ではなく、海外に行ってみよう。


心の声を聞いて、
"自分自身で"人生を切り開く。






2018/12/10

あれだけ触れることを恐れていたはずの、自分の本心。

彼のあの一言が、私の心をどれほどまでに深くえぐり、そしてその本心をむき出しにしたか。




海外に行こう。

そう決めてから4日。


決意をしてから、話は早かった。

「私の大好きなアメリカに行く道があるかもしれない」と、知り合いが知り合いを呼ぶような形で情報を提供してくれた。

私は早速コンタクトを取り、
すぐさま渡航のためのインタビューを受けた。



結果は、合格。








決まったんだ。
私は、アメリカに行く。



twitterに叫んだ私の喜びの声に、多くの人が反応してくれた。

素直にうれしかった。
素直に心に従った結果だからかもしれない。


教員採用試験に受かったときも確かに嬉しかったが、それとはまったく違う喜び、感情だったと思う。







2018/12/14

アメリカに行くと決めてから、また4日が経った。



あの日から、自分の中で新しい戦いが始まった。



「海外に出る」という夢は、もはや夢ではなく現実のものとなった。

これからは、だれにも頼ることなく、自分の足で自分の人生を歩んでいかなくてはならない。
本気で生きて、本気で成果を出して、自分が自分の人生を全うしているということを、証明していかなければならない。



しかし、家族も、親戚も、私が海外に行くと決めたことを聞いて、もちろん純粋に喜ぶことはできない。


一度は、「教員の道に進む」と宣言していたのだから、まるでそれが周りの人々を糠喜びをさせたようなものだったからだ。


教員になるという道をあきらめることはされど、

未知の世界アメリカ。
そこへ一人で足を踏み入れようなんて、
だれだって、危険なことだと考えるだろう。






そうだ、確かにそうだ。

周りの反応をみて、懸念の声を聞いて、私は気が付いた。

海外へ行く、という自分の選択は、周りの大切な人たちを悲しませているんだ。
一度この国を離れたら、もう二度と会うことはできないかもしれない人だっている。


自分の人生を生きる、ということは果たして
自分の生きたい道を行く、ということなのだろうか?




未だ、迷いをかき消すことができなかった。







そんな時、私のかすんだこころに再び着火したのは、ほかの誰でもない

こころ着火マン YAMATO の #こころ着火コール



5分56秒というわずかなカウンセリング時間の中で、
彼が私にかけた言葉


今すぐに、周りにわかってもらおうとすることは不可能に決まっている。
 まだ戦場にすら向かっていないのに、
「この勝負は私の勝ちだ」
と言っても、誰もそれを信じられない。
周りに理解してもらうためには、ただ成果を出すしかない。




わかっているけど、
大切な人々の悲しむ顔を見ることが、今とても苦しい。
という私の正直な気持ちに対して彼は、


それは苦しいよ。苦しいに決まってる。



またしても彼は、私が決して口にできなかった言葉を口にして、そして私を納得させた。






当たり前だ。今は確かに苦しい。
でも、それを何とかしようとするから苦しいんだ。



今はただ、結果を出すためにかかるこの長い時間を有意義に使うことで、苦しみを乗り越えて、本当に自分の足で歩く人生をつかみ取るしかない。





私は、必ず周りの人たちに感謝の気持ちを伝えられるように、
恩返しできるように、もっともっと大きな人間になる。

それだけは揺るがないのだから。







2018/12/15

そして今日。


私はこのままでいいんだ。

自分は、ただ自分のこころに灯された"火"の照らす方へむかう。




自分の足で歩く人生を、必ずつかんで見せる。

たとえ今は苦しくても、
絶対に周りの人々が笑顔になるような人生を歩んで見せる。




もちろん、時間はかかるだろう。







それでも私の人生は灯された火の照らす方へと動き続ける。










Rina


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人生が動くとき

Rina @in love with America

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