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昔の日本人が感じた夏山を今再び・・・

皆さんは楯山登検校(1876年~1926年)作曲の時鳥の曲をご存知だろうか。

時鳥(ホトトギス)を歌った3首を古今和歌集から選び、夏山調子という爽やかな初夏を彷彿させる明るい調弦を用いて作曲された明治新曲だ。

楯山登検校はあちこちの山へ赴き、時鳥の鳴き声を研究し、曲に取り入れたとされている。

現代のこの暑さと目まぐるしい忙しさの中で時鳥の鳴き声なんかで夏を感じないよ、、、と最初は思っていた。

しかしそうではないのだ。

同じ国土に住んでいた日本人達が当時の夏をいかに捉えて和歌で言語化し、独自の音階を用いて夏山と時鳥の鳴き声をどう表現したのかが、曲と向き合う中で消化され、自分の中に次第に形成された新たな感性をもって日本の夏を享受できるようになった。

ここに、地唄箏曲の魅力があると私は思う。

photo credit: Chiharu

私は今まで洋楽教育に困惑し続けてきた。

3歳からピアノを習い、何を言っているかよく分からないドイツ語やイタリア語の歌を音楽の授業で歌い、コンクール前のアナリーゼとしてウィーンの情景を描いてみてと画用紙を渡された。

今でもラフマニノフなど好き好んで聴いているため洋楽アンチな訳ではないが、身近ではない情景や言語を幼い頃から叩き込まれることに疑問を抱いていた。

日本人の多くがピアノやオーケストラを嗜み、和楽器がメジャーではないのは、単に趣向による自由選択の結果だと言う人もいるだろう。

しかしそれと同時に、某洋楽器レッスンチェーンの存在や義務教育によって人が消費者になる頃には西洋音楽に傾いた耳が、ある程度完成されているのも事実でないだろうか。

例えばビバルディの四季は日本人の耳に馴染みがあるのに、江戸時代に吉沢検校が作曲した古金組(春の曲/夏の曲/秋の曲/冬の曲/千鳥の曲)のうちの夏の曲は知られていない。

初夏から晩夏にかけて並べられた和歌4首の歌詞を見つつ鑑賞すると、日本の夏の移ろいを新たな感性で感じていただけるかもしれない。

さあもうすぐ秋が来る。

次は何を弾こうかな。

#好きな日本文化 #和楽器 #音楽教育 #四季 #和歌 #地唄箏曲

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