「give」について違和感を覚える率直な理由

どもども。
スギタ(@coppe61318)です。

ちょっとお尋ねしたいのですが、みなさん「give」についてどう多いますか?


いろんな有名人や経営者さんが「giveが大事」「give give giveくらいの気持ちで」と発信をして久しい。
書籍やオンラインサロンなどでも、頻繁に取り上げられていているね。
私はそれ自体にはとても共感なんだけど、どうもある一定の「give」にだけは違和感を拭いきれないんだ。

最初は小さな疑問符だったのが、だんだんと疑問符が大きくなっていき、次第に価値観の違いへ。


give精神は共感だけど、giveビジネスには疑問。
今回は、そんなスギタの胸中を思い切って吐露してみるよ。

giveってそもそも何なんよ?

giveについて、そもそも何なのよというところから紐解いていこう。
そんなの一々考えるまでもなく分かるよ、と思っている方も多いと思うけど、一応。

giveは、日本語では「与える」と訳すよね。
言葉の意味の通りで、名だたる経営者たちが「giveが大事!」「とにかくgiveしろ!」と言っているのは、まず最初に自分が相手の喜ぶことをしなさいということを言っている。

giveしろ=情けは人のためならず

ということで、人に最初に与えることで、巡り巡って自分の元に良いことが返ってくるから、最初に自分が良い思いをしようとせずに、まずは相手のためを思って動きなさいということだ。

give精神は指導されるものか否か

giveビジネスが違和感とは、どういうことかというと。
そもそもgiveって指導されてまで意識的にするものなのか?と思っているんだよね。

賛否両論あると思うし、語弊を招く言い方になると思うので、ちょっと表現が不愉快だったらごめんなさい。

思考改善やマインドセットは、根本的な自分の心根の部分を矯正していくことで、それは必要だと思っている。
何を為すにもまず「在り方」だと思っているから、そのために思考を改善していくことはとても大事。

イチローがへなちょこマインドだったら、メジャーに行けたわけがないし。
那須川天心がへなちょこマインドだったら、メイウェザーにボコボコにされた時点で選手辞めてるし。

思考(マインド)って、何かを為すためにはめちゃくちゃ大事。
だから、giveが大事だよという啓蒙活動は良いと思うんだよね。
思考を変えるという意味で。
利己的な考え方ばかりだと良くないっていうのは、わかるもんね。


でもね、例えば
「今からスギタにできるgiveを考えよ」
みたいに半強制的にgiveをひねり出させようとしている教えを布教しちゃったりするビジネスがあるわけよ。
そういうのが、ちょっと違うかなっていう違和感なんだ。

giveって、心の底から助けたいと思ったり、この人のために何かしたいって思った時に発動するものじゃないの?って個人的には思っている。
だから、そういう無理やりgiveや指導giveはなんかしっくりこないのよ。

giveできる人とできない人がいて当たり前

そして、「give」は、できる人とできない人がいるんだ。
思考が育っていないからできないとかそういうことではなくて、そもそも論として、
自分が満たされてないとgiveする余裕なんて持てない
ということをわかっておいてほしい。


giveできる人ってね、ある程度自分に余裕がある人だよ。
自分が明日食うに困るくらい逼迫した状況なのに、人のために何か与えましょうとか思えるか?って話だね。

まず自分を満たして、それから人。
じゃないと自分が削られていってしんどいばかりだよ。

give精神はとっても大事だし、共感できるところがたくさんある。
いやむしろ、共感ばかりかもしれない。
そうだよね、そうだよね。と頷くことしかできない正しい考え方だ(個人的にはね)。



だけど、giveが大事という有名人の言葉に感化されまくって、give精神の押し付け集団が現れてきている。

give=見返りを求めず与えること

というような意味でもあるんだけど、すごく直接的な見返り(お金)を求めちゃってんなー!!って思ってしまうようなモデルでgive布教ビジネスを展開してる人たちがたくさん現れて、正直驚いている。

個人的に思う真のgiveとは

つい先日、保護猫の里親探しの協力をしてきた。

協力したから何か返ってくるかな〜ぐふふ。
みたいな考えでやったわけではなくて、

それは是非とも協力させてください!
というスタンスで自分にできることをやってきた。

ここに関わっている人やにゃんこ達には、特に何も見返りを求めていないしひとかけらも期待していない。
見返りを求めるという考えすら、すっぽ抜けていた。
本来のgiveって、こういうことじゃないかなあって思うんだ。


誰かに何かgiveしなきゃ「いけない」と思ったり、この人にはちょっとgiveしておこうかな。と思った時点ですでに打算的。
心の奥底では見返りを求めていると思うんだ。

体が勝手に動くというか、「えっ!ぜひぜひ協力させて!」という状態こそが本当のgive…ではないのかなあと思っている。

保護猫活動の協力だって、今この記事を書いていて「そういえばあれもgiveだったかも。」とぼんやり思い至ったくらいに、活動している本人はgiveの意識は薄いんだよね。

誰にも彼にも「giveしなきゃ!」と与えまくれば良いというわけではなくて、困っている人がいたら手を差し伸べるとか、協力できる余裕があるときは協力するとか、そういう考え方が根本ではないかなと思っている。


つまりね。
そういう考え方ってお金を払ってまで習わさせること?
(むしろいい大人なら根付いてるだろう…道徳の授業やったでしょ)
と思っちゃってるわけ。
どうgiveして何にgiveするか。あとは本人次第だよね。

「give」にかこつけて報酬を得ようと画策しているgive押し付け集団達に、どうしても違和感を拭えないのだ。

気持ちを代弁してくれているツイートがあったので、シェアしてみるね。
この7行目までがまさに言いたいこと。


「give」について学びたい!話を聞きたい!
というお客様がいれば、そこにビジネスチャンスは発生するわけなので、その押し付け集団だってビジネス的には何も間違ったことはしていない。
価値観の問題だし、本当のgiveなんてあってないようなもの。
人それぞれだってこともわかっている。

だけど、give give言っている人ほどお金(見返り)に結びつけちゃってるというのも感じるところではあるので、正直に違和感を吐露してみた。
giveって言葉を使われなきゃここまで思わなかったんだろなあ。

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