持田さん連載イラスト__1_

「路面」~ 闘場(アレーナ)の香気 ~

余白の匂い
香りを「聞く」と言い慣わす世界に迷い込んで十余年。日々漂う匂いの体験と思いの切れ端を綴る「はなで聞くはなし」 

前回の記事:「水際」 ~ 塩素と陽射しとちょっとハナミズ ~

昔雑誌で見かけたフレグランスの紹介が妙に印象に残った。
焼けたゴムの匂い、火打石の匂い、なめし革の匂い…

狭かった私の嗅覚の地平線をザクりと切り拓く新鮮な語彙達。
”…男たちの心に潜む闘争心に火をつける香りのエッセンスをキーノートに…”
そう書いているコピーライターも女性に思えた。

長い年月を経て、私はそれらの匂いに
生で出会うことになる。

陽炎立つアスファルト、焼け溶けたタイヤのゴム、真っ白い火花、ガソリンが完全燃焼する透明な匂い。
F1のサーキットはかぐわしい闘いの香りの宝庫だ。

その町に住む友人を訪ねて駅を降り立ったとき、最初に胸躍らせたのは町中に響く「音」だった。
週末のグランプリレースを前に、テスト走行が始まっている。くさびのような断崖そのものの小さな町は、入り江を挟む絶壁に反響する轟音で町中がエンジンルームのようだ。

祝祭の景色を盛り上げるのは、日毎に増えてゆく「赤い色彩」。
ティフォシと呼ばれるフェラーリファンがイタリアから続々国境を超えてやって来る。
地中海色の湾には船上観戦するセレブ達のクルーザーが並び始め、団体を乗せた大型船が遠く最後列に陣取る。

そんな中、本選に近づくにつれ私は微妙な気分に沈んでいた。旅行の疲れがセンチメンタルを運んできたのか、命懸けのレースを物見遊山することに居心地の悪さを覚えてしまったのだ。
王侯貴族でもない私がこれから起こる死闘に胸躍らせている。
サーキットに向かうピロットを乗せたマシン。アレーナに送り込まれるグラディエーター。屠殺場に運ばれてゆく牛たち。いつの間にか音速の勇者達が饗宴に捧げられる生贄になり替わっていた。
テレビ観戦からは思いもよらなかった混乱。それが「殺気」という臨場感だったのだろう。

カモメが風に乗ってのんびり町を見下ろしている。
もうすぐ始まるよー。
今年も騒々しいお祭りを空から見物だ。

決勝当日は素晴らしい快晴だった。パレードが始まり祭りの主役たちがサーキットに姿をあらわす。私の中の不安はいつしか興奮の熱気に呑み込まれていた。
そしてチェッカーフラッグが降られ、鼓膜を突き破るノイズと背中から伝わる振動に酔っぱらったまま約2時間半の祝祭は終わっていた。

表彰台で無邪気にシャンパンを掛け合う勝者たち。カルメンの闘牛士の歌が響き渡る。昨日まで雄牛の魔法を掛けられていた男たちの正体、今はびしょ濡れのマタドールだ。

興奮に酔った体と耳のキーン音も消えぬまま、町はほとんど30分で普段の生活を取り戻す。
さっきまで獰猛なマシンが駆け巡っていた公道には、タイヤ痕とともに温かさの残るゴムがところどころに黒く貼りつき独特な匂いを放っている。

「殺気が香気に昇華する」

あの日のメンズフレグランスの名前は覚えていないが、調香師はそんなイメージを託したかもしれない。
香りを聞いてみたい気もするが、多分やめておいた方がいい。本物の殺気の匂いの一端を私は体験してしまったから。

今年は久しぶりにサーキット観戦を予定している。
跳ね馬のお膝元の街は数万人のキャップとチームフラッグの深紅の波に揺れ、完全燃焼したガソリンと焼け溶けたゴムの香りが鼻孔をくすぐるだろう。
宿敵メルセデスチームの今年の燃料はグレープフルーツの匂いがするという。私にも聞き分けることができるだろうか。

Ochi-kochi
抜けの良い空間と、静かにそこにある匂いを愉しむ生活者。
香道歴いつのまにか十余年。
Photoマガジン始めました。「道草 Elegantly simple

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