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祈り

 はらりと落ちる葉というものは、実に不思議なもので、その瞬間を目にすると、何故だか記憶に残ってしまう。目を閉じると、木から葉がほろりと零れ落ち、池に水紋を描く様が想像できるだろう。落ちる先は、水ではないかもしれない。腐葉土に落ち別のものに生まれ変わるでのあろうか、混凝土に落ちて染みを作るのであろうか。

 葉が落ちるというと、多くの人は落ち葉思い浮かべるだろう。青々とした緑から落ち着いた黄色に変わった瞬間、葉は落ちることを意識し、身構えるのである。彼らにとっての落葉は宿命で、晴れ舞台のための色化粧を始める。もちろん、日々、太陽を浴びることに必死になっている常緑樹の葉だって落ちることはあるし、彼らも迫りくる彼岸に向けて準備を始める。

 けれども、まだ衣装替えも途中で、落ちる瞬間まで程遠いと思っていたのにも関わらず、落ちてしまうことだってあるのだ。不格好な色でも、その時を全うするかのようにゆっくりと落ちる葉は、速度を増すことなく、空気抵抗を受けて少しでも上に上がろうともがいている。静かなのに、エコーのように胸に響く葉の落ち様は、無言の切なさをすとんと残す。小さなエコーは、小さな背中を小刻みに震わせて、静かにすすり泣く子供の声のように、耳を澄まさないと聞こえてこない。

 本来、こうして葉を思うことに意味なんかない。はっきり言おう、そんな暇があるなら仕事で成長するための勉強をしなければいけない。それなのに、帰り道の夕暮れ、虫の音とともに一人思い出してしまうのは、それを思うことがなにかの免罪符になるとでも思っているからだろうか。

 ごめんね、貴方がどんなに痛かっただろうか、でもその痛みを代弁することは今世では出来ないかもしれない。出来ることなら対面で謝りたかった、けれどもそれはもう一生叶わない。私の背後、彼岸の夏と共に、大事に抱えて生きていこうと思います。

 やっとの事で絞り出したこの言葉を、もう会うことのできなくなった彼女に送ります。

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