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手書きノートに残る日々

【文字数:約1,000文字】

 毎日ではないけれど直筆の日記をつけている。

 たしか中学の頃から始めて途中、書かない期間を挟みながらも続いているのは、単純に手を使って書くのが楽しいからだ。

 そんな日記用ノートが約10ヶ月で1冊終わったので、その記録として記事にした。

 前にも近い内容の記事があるだろうし、だいたい1年周期くらいで繰り返されている、いわば恒例行事のようなものだろうか。


 1冊が終わると始めに何を書いたのか読み返し、そのまま思考の移り変わりを追っていくのが常で、何に関心があったのかも思い出せる。

 思い出せる、ということは忘れているわけで、読んでいると「これはだれの日記だろう」と始めは思い、読み進めると自分やんけ、となる。

 ストレスを書いて吐き出すタイプだから、あんまり読んでて楽しい気分にならないけれど、それでも砂場のビーダマみたいな輝きを放つ部分がある。

 たとえば書き物について「食事のための料理」としている日があった。

 それに続くのは次のような文章だ。

【おいしく食べるのが目的だから、過程を評価されなくても別に構わないとしても、やっぱり反応があると嬉しいものだ。】

 評価の有無についてはともかく、料理に例えているのが意外だったし、即興だからこその比喩が他にも出てくる。

 日常のすべてを記録および記憶するのは難しいけれど、こうした宝探しのために読み返すのも面白い。


 今回もっとも目についたのは制作中の話とも関わるVTuberについてであり、次いで仕事のことや将来についての事柄が続く。

 架空のアバターを用いるため、見た目の性と現実の性そして声も変えた、実際は車いすの人がいるらしい。

 webという居場所だからこそ自由を得られた例として興味深く、自己実現の手段としてのVTuberについて考えたりした。

 ここnoteにおいても、大なり小なり現実から離れた自己実現をする人がいるし、そこには私自身も含まれる。

 もちろん現実の投影として利用するのも1つの楽しみ方だし、創作物の置き場所としても使いやすい。

 さっき引用した「食事のための料理」になぞらえるなら、人それぞれの料理が並んだ食べ放題のビュッフェみたいなものだろうか。

 好きな系統の料理をコンプリートするなり、様々な系統のものを少しずつ試すのも自由だ。

 こうして日記帳とリンクさせる楽しみがあるし、たぶんこれからも続けていくのだろう。


ツツジのきれいな時季ですね

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