生暖かい空気たちが勢いよく駆けていくのを感じると、たくさんの「懐かしいあの日」を思い出す。くるくると舞う木の葉とともに、忘れかけていたささやかな日々が「あたしはここよ」と踊ってみせる。きっとこれは、私だけに起こることじゃない。春の風は、優しい記憶を運んでくる。

風は、見えない。砂埃が舞うと、風が吹いていると認識できるけど、風そのものを目で捉えられるわけじゃない。それでも、皮膚は、風が好きだと叫んでいる。大切なものは目に見えないと、星の王子さまは言った。代わりに、大切だと感じることができると、私は思う。記憶も、目に見えない。でも、気持ちを思い出して、感じることができる。似た者同士、仲良くなったのかしら。いつからか、風は記憶の配達屋さんとなった。

例えば、恋心。大好きだったあの子に会っても、今ではちっとも思い出せない。話しても、触れてみても、どうにもこうにも蘇らない。どんな風に好きだったんだっけ。忘れてしまったことが寂しくて、私の恋なんて、こんなものだったのかな、とがっかりもする。でも、春の風がビューっと吹くと、なぜだか「恋をしていたあの頃と同じ空気」に包まれた気分になる。二人きりの朝の教室とか、彼がいつも持ち歩いていたエナメルバッグだとか、何気ない一言や仕草までもが、風と一緒に、走馬灯のように駆け巡る。長いこと閉じていた引き出しから、彼を想う気持ちが溢れていく。壊れた蛇口から流れ出る水みたいに、無理やり蓋をしようとしたって効きっこない。

記憶の配達屋さんは、いつだって突然やってくる。スーパーへ向かう夕焼け色の道。信号を待つ交差点。寝ぼけ眼で立っている朝の駅のホーム。風は、過去からの贈り物を届けてくれる。私がリボンを引っ張る前に、あっという間に中身を開く。今じゃなくていいのに、とどんなに拒んだって、風と記憶が私を包み込む。試験がうまくいかなかった悔しさ、引っ越す友人を見送った後の寂しさ、先生の目を盗んで学校を抜け出した日の爽快感——私はたくさんの「気持ち」でいっぱいになって、時々、息をするのも忘れそうになる。身体の機能が壊れたみたいに、涙がぽろぽろこぼれることもある。

夏や秋、そして冬の風だって、あちこちに配達をしている。ただ、夏は受け取るより未来へ思い出を送ることの方が多いし、冬は冷たい空気から逃げて、部屋にこもってばかりいたりする。秋はおセンチだった私からのお届け物が多いけど、春の風ほどには記憶を運ばない。春一番が力強く吹くのを合図に、南風が一斉に記憶を届け始める。強く吹くのは、たくさんの記憶を含んでいる証拠。だから、春の風はこんなにも、たくさんの愛おしい日々を蘇らせることができる。

次は何が届くかしら。私は、未来へ何を贈ろう。小さな気持ちをたくさん乗せて、風は、今日も吹いている。

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ラムネ

エッセイ

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