『愛』と『リアル』なサポート

NewsPicksの動画、2回目を見た。

さとママなりの思いやりの言葉だとは
理解した上で見たけれど、

「孤独なんて感じないで、割り切ったらいい」

「孤独は子供は理解できないし、夫は遅いし、
それを孤独と言ってしまったら終わり。」

「比較するからでしょ。見てスルーできないの!?
比べるのをやめる!比べたらキリがない!」

「お母さんがいつもニコニコしてないと、
子供はかわいそうよ!」

「疲れているから珈琲飲みたい、座りたい、諦めなさい!」

「そもそもなんでモヤモヤするの?割り切れないだけでしょ!」

やっぱりモヤモヤするよね。笑

全く心にスッと入ってこない。

どうしてか?


考えてみた。


いくつか前に、

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『リアルなサポート』

をお母さんたちは求めてるんだ。

子育てを終えたおばちゃんたちを
わたしの周りに三、四人配置して欲しい!笑

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と、書いた。


まさにこれだ…と思った。

近所のおばちゃんだって、

「頑張りなさい!」
「大丈夫よ!」
「しっかりしなさい!」
「子ども持ったらそんなもんよ!」
「割り切りなさい!」

と言う。

あの時代の人たちはほとんどそうだろう。

自分の母親もそう。でもスッと入ってくるよね。


じゃあ、なぜ同じことを言っているのに、
さとママの言葉はスッと入ってこないのか。


それは、さとママが何か実際に
サポートをしてくれるわけじゃないから、ではないか?


ほんまに近所にいて、普段から

「子供見とったる!」
「おからようけ作ったからもろてー」

と、

『さりげなく』
『自然と』
『頼まなくても』
『見返りなく』

助けてくれる。


そして、そこには長年の人生で培った大きな

『愛』

も、ついてくる。


そう、お節介なくらいのおばちゃんには
溢れ出した『愛』があるのだ。

そんな存在のおばちゃんだったら、
たとえその人から出てくる言葉が、

「頑張りなさい!しっかりしなさい!割り切りなさい!」

でも、元気が出る、嬉しくなる、励みになる。

そんな「おばちゃん」たちに普段から触れていない
孤独な育児真っ只中にいるわたしたちは、

電車の中の知らないおばちゃんや、
道端の知らないおばちゃんに、

「頑張りなさい!」

と言われても、
物理的なサポートがあるわけではなく、 
素直に受け取れなかったりする。

ときには、逆に追い込まれることだってあるだろう。


そこには、その人との

『信頼』や『心のつながり』

がないんだよね。。


さとママも実際に手伝ってくれるわけじゃない。
もし近所にいて、さとママが子供見ててくれたり、
作ったおからを持ってきてくれたりしたら、
きっと上記のような言葉もその人にはスッと入ってくるだろう。

あ、お迎えの時間だ。


しかし、たったひとつの動画で
どれだけ日記書くんやろか。笑


あと一回くらいかな。笑

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡