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年齢を重ねていく事

歳は取るのでは無く重ねて生きたい。

今ふと頭にうかんだことをここに綴っていきたいと思う。
このnoteを始めてまだ数ヶ月、毎日は書けていないけれど
とりあえず続けている。


ここまで書き続けてきた記事を読み返したとき
自分では少し恥ずかしくなる、
文章の書き方や、自分の考え方、その時の
状況や環境が異なって、それに加えてその時の率直な
感情だからそれはそれでいいんだけど
落ち着いて読み返すとやっぱり恥ずかしい。笑

10代の頃に書いていたブログなんてもう
恥ずかしすぎて人に見られるのはもちろん、
自分でも読みたくない。


でも、あの時自分はどう思っていて、何をしたのか
なんて綴っていたのか気にもなる。


その後も何度かブログを書いてみたりしてたけど
何度もアカウントを消した、
もうあのブログに自分が何を書いていたのかも
何も覚えていない。


今更だけど少し読み返したくなる。






どうして恥ずかしくなったり
消したりしてしまうのか考えて見た。
・感情のまま書く
・自己満足
この二つだ。


これはこれで悪くないと思う。

ただ、人に読んでもらう事を考える前に
感情で指を動かしているから
分かりにくいし、読みにくい。

フォロワーがある程度いる
Instagramのたまに書く長文のポストは
自分でも関心するほど読みやすい。
そして伝わりやすい。


ということは、やっぱり読んでもらう前提なのか
そうでないのかで変わるのだと思う。


今だって読んでくれてる人がいるのかは
分からない。
でもこれから数ヶ月、数年間と続けると
考えると、必ず誰かが読むことになる。

たとえ今フォロワーがいなかったとしても
Instagramと同様、あるときなのかの
きっかけで
フォロワーが爆発的に増えたりする事もなきにしろ
あらず。


そう思いながら続けていくことができたら
私のこの日々やっている事が
積み重なって積み重なって
1年1年と、歳を積み重ねていくことを
残していけるのではないだろうか。

日々やってきていることも
消してしまえば、無かったものとなる。
自分の中に残っていたとしても
それは時間と共に記憶からなくなっていくし
内容なんて全くと言っていいほど
忘れていく。

なんてもったいないのだろう。
29歳にして今更そんなことを思う。



私がnoteを始めたきっかけはある人に
noteを通じて助けられたことがあった。

自分が本当にどん底で助けられたから
少し元気になっていたとき、
私も誰かの力になりたい。
直接会うことがなくても、顔の知らない相手でも
言葉の力で、人の命は救える。
そう思った。

これが始めたきっかけ。


ただただ日記として続けていくのも
ありだけど、
意味のある行動になったらいいと、
思ってる。

だから失敗も恥ずかしいことも
せきららに綴っていきたい。


そして読んでる人に、勇気を与えられたり
安心してもらったり、
笑ってもらったり、
何か心を動かせる言葉を贈れたらいいな、
と思ってる。



そうやって、ただただ流れる毎日の中に
自分が生きる意味をみつけ、
誰かにとっての何かしらの意味になり、

私も自分でも分からない自分の何かを
見つけたい。


こうやって1日1日を重ねていき、
1年1年をどんどんどんどん積み重ねて
自分を成長させていきたい。



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