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詐欺、スリ、タクシー強盗、悪徳警官ーメキシコ

                             

ラスベガスの小さなカジノでのデビュー戦で敗れた僕は(当時プロボクサーだった)、観光ビザで入国していたアメリカ、ラスベガスでの活動に見切りをつけてメキシコシティーに移った。
メキシコシティーでも頼るものも伝手もなくの観光ビザ入国に違いはなかったが、メキシコは観光ビザでも半年の滞在が可能だったのだ(現在ではどうなのか知らない)。
ここに書いたのもだいたい20年くらい前の話だ。

【詐欺?】

当初のメキシコの印象は最悪だった。

メキシコシティーのベニートフアレス空港に着いてから、『地球の歩き方』を開いて目当てにしていた日本人専用のペンションに電話をしてみた。
しかし話中らしく、繋がらない。
さあてどうしよう。
その時、英語で話しかけられた。
「何か困り事かい?」
振り向くと、60歳くらいのシルバーヘアに口髭を生やした小柄で優しそうな紳士だった。
「泊まろうと思っていたペンションに電話を掛けたんだけど・・・・・・」
そう答えると、紳士は僕が手にしていた『地球の歩き方』を手に取った。
そして流暢な英語で「ああ、大丈夫。こういった宿ならいきなり行っても大丈夫だよ」と言った。
『歩き方』は勿論日本語の表記だが、住所の表記がアルファベット表記だったので、それで理解したのだろうと勝手に解釈した。
それに、これは『歩き方』で得た知識だが、一般のメキシコ人は簡単な英語も話せないという。恐らく、それなりの教育を受けた人に違いない。

彼は続けて「どうやって行くつもり? いや、タクシーはやめた方が良い。私はこの前タクシー強盗に遭って全部奪われて大変だったんだから」と言って「私はこれからメトロに乗るんだ。良かったら一緒にどうだい?」と言って勧めてくれた。
安いならそれに越したことはないし、面白そうなのでお言葉に甘える事にした。

目的地はメトロのHIDALGO駅。イダルゴと読むそうだ。老紳士は「Hは発音しないんだよ」と教えてくれた。
日本と違って、外国の鉄道では陸上の鉄道と地下鉄が分けられていないことが多くある。
メキシコシティーのメトロもそうだったが、これはアメリカ西海岸でも乗車して経験していたので、驚くことはなかった。
しかし車内に乗り込んでくる、民族衣装を着た物売りや赤ちゃんを抱いた物乞いについては未経験で、初のメキシコでの緩い異文化体験に気持ちが盛り上がってくるのが分かった。

老紳士はメキシコ南部のオアハカ州の出身で、メキシコシティーで大学教員をしていると言う。僕は彼と一緒にイダルゴ駅で降りて、彼は再度『歩き方』に掲載されている宿の住所を確認すると、迷うことなく歩き出すと、すぐに宿を見つけてくれた。
駅から降りて数分、教会と小さな公園に面した建設中の建物がそれらしかった。
鍵のかかった格子の向こうに「おでん」と墨書きされた提灯がぶら下がり、その奥に入り口のドアがある。
老紳士は僕がチャイムを押す前に「これから友人と会うんだけど、その後でまた会わないかい?」と聞いてきた。
僕は考える間もなく頷き、一旦別れた。

そして宿のドミトリーに部屋をとって荷解きをして、待ち合わせの時間に合わせて宿を出た。
まだ若い日本人男性がオーナーらしく、行き先を聞かれたので経緯を簡単に話すと、少し目を見開いたのを覚えている。その時オーナーがなんと言ったかは覚えていないが、流れからすると「気をつけて下さい」とかそういったことだったのではないだろうか。

待ち合わた老紳士とどこに行ったのか、その後何をしたのか、僕は全く思い出せないでいる。
昼時でまだ飯を食べていなかったので、何処か近くのレストランにでも入ったのかもしれないが、なんとなくだが、屋台でトルタスというメキシカンサンドイッチを買って近くの公園で二人で食べたような気もする。
どちらにしろ、よく覚えていないのはその後のやり取りの印象が強いからだろう。

老紳士は結局友人には会えなかったそうだ。
そして彼は遠慮がちに話を切り出した。
「実はオアハカに住んでいる母が病気ですぐに帰らなければならないんだ。でもさっき空港で言っただろう? タクシー強盗にあって、お金は殆どないんだ。友人にお金を借りようと思ったんだが、留守で会えなかった。母親が心配で早く帰りたいんだ。だから、申し訳ないがバス代を貸してくれないだろうか?」

ついに来たか。
よくあるヤツだ、分かってる。
これまでよくしてくれた老紳士の頼みをを無碍に断ることはしたくないが、「よくある手口」を使う彼に気前よくお金をあげられる程懐は暖かくないし、心だって広くない。
ごめん、あまりお金を持っていないんだ。
いや、でももしかしたら本当なのかも知れない。母親は恐らく随分と歳なんだろう。
考えていると、老紳士は母親を心配する素振りをみせて、少しでも良いんだとか、すぐに返すとか言うので、僕はその度に少し考えてから謝った。

老紳士の悲しそうな顔を見ていると、やはり少しくらいあげても良いかいう気がしてくるが、僕はこの時メキシコの通過であるペソのレートも現地の物価もよく分かっていなかった。
何度も断った末に、老紳士は最後に一言残していく。

「僕は君をここまで連れて来てあげたのに、バス代も貸してもくれないんだね」

そう言ってとぼとぼ歩く老紳士の小さくなった背中を見ていると、自分が悪いことをしているように思えた。

宿に戻ってオーナーに話すと、オーナーは同情心に満ちた表情で「お金あげなくて正解ですよ」と言った。
僕のような被害者を何度も見ているに違いない。

【警察】

これも初日の事だったと思う、ドミトリーで同室になった50歳くらいの男性から聞いた話だ。

彼は娘さんがメキシコ人と結婚して移住することになり、その前にどんなものかと一人バックパックを背負って旅行に来たそうだ。
ドミトリーに泊まっているからといって貧乏だからというわけではないだろう。当時のこの日本人宿はまだ建設中のままオープンしており、その為に当時はシングル部屋が少なかったたのだ。

彼に老紳士の詐欺未遂の話しをすると、男性は「気をつけた方が良いよ」と言ってつい最近自分が出くわしたある事件について教えてくれた。
彼はカメラを盗まれ、その為に保険屋に電話をかけたそうだ。するとまずは警察に行って盗難証明を貰うように言われた。そして警察に行って盗難届けを貰ったあと、警察で警察官数人に「宿まで送ってやる」と言われて送って貰ったが、宿に着くと彼らは豹変して「送ってやったんだから金を払え」と凄まれたのだそうだ。
そして、彼はタクシーよりも随分と高いお金を払って解放されたという。
彼は「まさか警察に恐喝にあうなんて思ってもみなかったよ」と言って顔をしかめたが、保険屋では担当の女性が優しくてより多くお金が戻ってくるための申請方法を教えてくれたとかで、思ったより随分と戻ってくることになったと喜んでいた。

宿のオーナーは「警官に発砲されたことがある」と言っていたし、長期滞在者や、商売の関係で頻繁に日本とメキシコを行き来している人の中には警官に発砲された者も少なくないようだ。
ある人は「彼らは弾も自分たちの金で買ってるから、練習してないんだよ。撃ってきても当たらないから」と、安心出来そうもない言葉の後に「大丈夫」と言った。

そういえば、泥棒市と呼ばれるテピート市場の路地で、ルチャ・リブレの練習生が拳銃で恐喝されたという話も聞いた。犯人がその拳銃をどこから入手したのか? 現地の警察について聞いていると、分かる気もした。

【タクシー強盗、走る凶器、スリ】

メキシコシティーの初日には、他にも「タクシーに跳ねられた」という若い男の話も聞いた。
彼はスーパーに行く際に横断歩道のない車道を渡ろうとしてタクシーに跳ねられたそうだ。
跳ねられた後、タクシーが止まって運転手が窓から顔を出し手招きしてこちらにコイコイとしていたので、謝ってくれるのかと思って(足を痛めたそうで)ケンケンしながら運転手のところまで行くと、彼は睨みながら指をさし「お前が悪いんだからな!」というようなことを言うとそのまま行ってしまったのだそうだ。
男は「本当に車には気を付けてください。こっちには日本みたいな交通弱者みたいなのもないし、青信号でも車は無視して突っ込んでくることがあるんで」と必死にうったえていた。

他には、これは直接本人から聞いた話ではないが、皆に見送られて宿を出たあと、そのままタクシー強盗にやられて手ぶらで帰ってきた例もあるそうだ。

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さて、今度は僕自身がスリに遭った話だ。
これもメキシコシティー到着からまだ数日程度という頃だ。僕はアメリカからメキシコ入国の際に、帰国のタイミングが分からないので片道のみ購入しようと考えていた。しかし旅行会社で片道チケットでは入国出来ないと聞いて、キャンセルすることを前提に払い戻しが出来るチケットにした。
購入の際には到着した空港ですぐに払い戻し出来ると聞いたのだが、実際にはチケットの払い戻しは非常に面倒だった。
到着の際の空港では「管理者が不在」とのことで払い戻し出来ず、後日再び空港に行ったがまたも管理者不在。
その時は金を要求してくる現地人職員もいたがこれは無視した。
そして、スリにあったのはメキシコシティーの中心地にある航空会社のオフィスを訪ねた帰りの際のことだ。
そのオフィスでも結局払い戻しはできず、大使館に行けとかテキトーなことを言っている。
その日の僕は連日の無駄足にイライラして、注意力が散漫になっていたこともあるのだろう。スリに遭ったのはその帰り道、メトロに乗り込む際のことだった。
列車がきて扉が開くと同時に、降りようとする乗客たちが真ん中をあけて僕が乗り込み易いように両側から左右数人ずつ降りてきた。僕は彼らの意図を汲んでそのまま列車に乗り込んだ。
そして次の瞬間「アレ?」と違和感に気付いた。
ポケットが軽くなっている。
ジーパンの左右のポケットに手を突っ込むと、財布がない。
後ろのポケットにもない(そもそも後ろ側は危ないから入れない方が良いと聞いていた)。
慌てた様子の僕を見て、訳知り顔のおじいさんが「あいつらが盗ったんだよ」と、走り出した列車の窓の向こうに見える、ホームから階段を登っていく連中を指差す。

いや、気付いたなら声掛けてくれよ!と思いつつ、僕は早足で逃げていく彼らを呆然と眺めていた。

僕が列車を降りる際に両側から乗り込んできた彼らは、左右から僕の全てのポケットに手を入れたのかも知れない。
或いは、それぞれが全方向から僕のポケットを確認してからポケットに素早く手を入れたのだろうか?
どちらにしろ、僕は手を触れられたということに全く気付かなかった。
気付いたら軽くなっていた、ただそれだけだ。

そのことをメキシコに長く住んでいる人に話すと、彼は「スリの学校があるらしい」と言っていた。
また、彼は車両内が全員スリの列車に乗り合わせたが、必死でポケットを抑えてなんとか財布を守ることができたと言っていた(しかしこれは流石にネタじゃないかという気もする)。

【危ないばかりではない、むしろ楽しい】

僕はもう20年間この国を訪れてはいない。
最初に「メキシコの当初の印象は最悪だった」と書いたし、ここには治安に関することを色々と書いた。これだけを読むと、「メキシコはなんて危ないところなんだ!」と思うかも知れない。
確かに、メキシコは東南アジアやヨーロッパは勿論、アメリカよりも、何かしらの犯罪に遭遇する確率は高いに違いない。
とはいえ、僕は一度の帰国を挟み、結局1年半程メキシコシティーに住んだが、僕自身が体験した犯罪絡みの話題はここに書いたスリと詐欺未遂くらいのものだ。

また、ここしばらく日本でよく聞くメキシコ絡みの話題と言えば、カルテルによる麻薬絡みの犯罪の話が主な気がする。
昔はコロンビアがアメリカへの主なドラッグの供給地だったが、現在はメキシコとなり、苛烈な麻薬戦争を戦っているようだ。
しかしお世話になった宿のオーナーは今もメキシコシティーに住んで幸せに暮らしているようだし、メキシコ時代の友人も普通に遊びに行っているようだ。一般人が普通に暮らし、旅をする限り、凶悪犯罪に遭う危険性はおそらくそれ程高くはないのだろうと思う。

今回は犯罪の話題ばかりを集めたが、メキシコはそればかりではない。ビールも美味いし飯も美味い。美しい海もあれば、遺跡だってある。人々は陽気だし、受け入れる心さえ自由ならば、面白い異文化体験もおおいに期待できると思う。

この国に滞在中の僕は、モグリの試合で1試合した程度で、その後予定していた試合が流れまくり、肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまって結局はメキシコを離れることを決めた。

しかしそれは、スペイン語も話せず、メキシコボクシング界の商習慣も知らず、(多くの人にお世話になったが)伝手も後ろ盾もなく、大した実力もなかった僕では仕方のないことだったのだろう。

付き合っていた彼女に見送られてメキシコを離れる際、僕は長距離バスに乗る前から泣いていて、バスの車内でも一人大泣きしたものだった。
勿論、活動が思い通りに行かなかったことも、彼女のこともあっただろう。しかし、僕が大泣きした理由はそれだけではないと思う。
色々あったが、良いも悪いも、忘れがたい経験の一つ一つが僕に涙を流させたのだ。

メキシコでは、くしゃみをすると何処からともなく「サルー!」という声がかかる。
乾杯の時もサルー!だし、くしゃみをしてもサルー!だ。
英語で言うブレスユー!のような、元々は宗教的な意味合いを持つ言葉なのだろう。

くしゃみをすると「サルー!」と声がかかり、それに対して「グラシアス(ありがとう)」と答えると、更に「デナーダ(なんでもないよ、どういたしまして)」と返ってくる。
メキシコを離れてしばらく寂しかったのは、くしゃみをしても誰も「サルー!」と返してくれないことだった。

今くしゃみをして何処からか「サルー!」と声が掛かっても、おそらく反射的に「グラシアス」と返すことはできないだろう。しかしそれにしても、懐かしくて嬉しい気持ちになるに違いない。

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