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『「ドラえもん」への感謝状』を読んで

 ドラえもんを語る上で、この本を読んでおかなければならないという1冊を紹介します。

「ドラえもんへの感謝状」楠部三吉郎著

 著者の楠部さんはアニメ制作会社シンエイ動画の名誉会長。(1938年〜2020年没)

 シンエイ動画は、1976年に設立され、「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」を始めとした数々のアニメ制作を手がける会社です。

 最近では「PUI PUI モルカー」が爆発的なヒットになったことでも有名です。

 「ドラえもん」をここまで世に広めた1番の功労者は、楠部三吉郎さんと言っても過言ではありません。

 実はドラえもんの最初のアニメ化は、1973年に日本テレビ系列で始まったのですが、視聴率7%で半年で放送を打ち切られていました。

 そんな折り、楠部さんは元々勤めていた、Aプロダクション(映像制作会社東京ムービーの下請会社)を独立させて、シンエイ動画を立ち上げました。

 シンエイ動画で新しい作品を探していた楠部さんは、藤本先生にこう言います。

「どうか『ドラえもん』をボクにあずけてください!」

  第一シリーズは散々な視聴率で終わりましたが、「勉強部屋のつりぼり」というお話で勝負をかけます。

 これが評判を呼び、テレビ朝日と契約を結ぶ運びに。

 しかし、アニメ制作には時間とお金と人が必要です。

 まずは資金集めに奔走します。今ではなかなかできない芸当ですが、楠部さんは、義理と人情とハッタリと啖呵でなんとか資金を調達します。

 ここが楠部さんのすごいことろだと思いました。啖呵をきるというのは一種の賭けのようにも感じますが、そこは相手の出方をちゃんと計算していたのでしょう。

 果たして、1979年4月2日に第一回の放送が始まります。

 子供たちに絶大な人気を博し、視聴率は毎回20%を超えました。

 『ドラえもん』の成功により、シンエイ動画は「ホームギャグ」をテーマにしたアニメを次々と世に送り出します。

「パーマン」「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」「エスパー魔美」「21えもん」「ゲームセンターあらし」「笑ゥせぇるすまん」「美味しんぼ」「チンプイ」「ガタピシ」「フクちゃん」「オヨネコぶーにゃん」「つるピカハゲ丸くん」「おぼっちゃまくん」「あたしんち」「怪盗ジョーカー」「となりの関くん」・・・

 テレビアニメが当たると、今度は映画化の話が出てくるものです。

 藤本先生は当初、自分は短編漫画家だと渋っていたのですが、先生を説得するため、楠部さんは、コミックス10巻の短編「のび太の恐竜」の続きが見たいと懇願します。

 藤本先生は、「それだったら、描けます」とOKします。

 そして1980年、第一作目の映画「のび太の恐竜」が上映され、それ以降、毎年春休みに新作映画が公開されるようになりました。

 藤本先生が1996年9月23日に亡くなったことにより、楠部さんはドラえもんのテレビ放送を続けるか悩みます。

 しかし、ドラえもんは子供たちのものだという思いから、続けることを決意します。

 時代は流れ、2004年。アニメ放映開始から四半世紀経った頃、ドラえもんを未来の子供たちに伝えるため、大きな決断に迫られます。

 現在のスタッフや声優陣で、これからの数十年先も続けていくことができるのか。

 悩んだ末、なんと楠部さんは、声優陣を一新し、更にはスタッフも一新するという空前のバトンパスに打って出ます。

 果たして、2005年から現在の声優陣の体制となり、大成功を収めました。すでに16年の年月が経過しています。

 ジャイアンの声の木村昴さんなんて、当時14歳でしたから、いまだ30歳です。(1990年6月29日誕生日)

 今の子供たちは、新しい声優陣の声が当たり前になっているのですね。僕自身も、昔の声優陣の声を思い出せないくらいです。

 楠部さんの座右の銘は「生涯野次馬」

 いろんなところに首を突っ込んでそこら中を見て回るからこそ、人と違った発想が湧いてきたと言います。

 この本を読んで、楠部さんや藤本先生の思いが、今も製作陣や視聴者に受け継がれているのだなあと感じました。

 100年先も変わらず愛されるドラえもんであって欲しいですね。





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