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小説:ナースの卯月に視えるもの 最終話

4 卯月とルームメイトの千波
 
 サンボの運転する軽自動車がエンジンをうならせながら高速道路を走っている。私は助手席から外を眺め、静かにため息を吐く。もうすぐ梅雨明けらしい、薄く湿った曇り空。家を出るとき、いつもと同じように千波は煙草を吸いながら私を見送った。
「じゃ、いってくるね」
 煙草を持つ手を軽くあげて私を見送る千波。その姿を思い出して、また一つため息を吐く。
「サービスエリア近いけど、寄る?」
 サンボが聞く。
「ああ、そうだね。そろそろお昼食べようか」
「そうしよう」
 サンボはいつもより口数が少ないと思う。優しい男だから、私に気を使っているのかもしれない。カーステレオから知らない曲が流れている。サンボの彼女が好きなK-POPアイドルの曲らしい。名前を聞いても私は全然知らなかった。
 病棟看護師の良いところの一つは、勤務がカレンダー通りではないことだと思う。看護師以外の友達と休みを合わせづらいという難点はあるが、平日に休みが取れるのは貴重だと思う。週の真ん中、水曜日のサービスエリアはいている。
「暑いねえ」
 車を降りると、思いのほか陽が強かった。
「もう梅雨明けかね」
 サンボは雲の間から差し込む光を見上げて言った。
 サービスエリアのフードコートで私は蕎麦を、サンボはラーメンを食べる。お土産を冷やかし、トイレをすませ車に戻る。ほんの30分くらいだったと思うけれど、車内は熱されている。
「あちぃな」
 サンボはエンジンをかけるなり窓を開けて、車はのろのろと走り出した。
 
 サンボは看護学校のときからの友達だ。サンボは救急救命に興味があって、私は長期療養に興味があった。それで、救急救命も長期療養も同じくらい有名な、同じ病院に就職をすることになった同期だ。サンボはよく、長期療養型病棟で働く私に「何ヵ月も一緒に過ごした患者さんが亡くなるのって、つらくないか?」と聞く。私は「つらいよ」と答える。
「完治する見込みのない患者さんの看護って、しんどくないか?」
 これもサンボによく聞かれることの一つだ。
「しんどいけど、亡くなるまでの時間をいかに患者さんらしく過ごしていただけるか考えると、やりがいもあるよ。救急みたいに、ある日突然思いもよらないことで亡くなる人を診るのだって、しんどくない?」
 サンボは、うーんと唸る。
「助けたい、と思ってやってるから、そのときはしんどくないんだけど、亡くなったときはやっぱりきついな。出会ったばかりの人でも、しんどいはしんどいな」
「でしょう」
「ああ、あと、救急の場合は、ご家族に会うのが一番きついかも」
 ああ、と私も唸るような声が出る。
「ご本人は突然亡くなっちゃってきついけど、亡くなっちゃったら本人はわかんないじゃん。でも、ご家族は、大切な人をある日突然、前触れなく亡くすわけだから、それは救急のきついところだな」
「それは、そうだよね。長期療養の場合は、ご家族もゆっくり時間をかけながら受け入れて、少しずつ覚悟してる部分あるから」
 だからって、ご家族は患者さんが亡くなっても大丈夫なわけではない。でも、少しでも亡くなったときの後悔を減らすために、ご家族と一緒に何ができるか考えることは、私には大切な仕事に思える。もちろん、救急みたいに突然大切な人を亡くした人へのケアも、大切な仕事だ。
 
 高速を降りて、窓の外が少しずつ長閑になっていく。あと一時間も走れば、目的地につくだろう。
「ねえ、サンボは、例えば今日死にますって言われたら、何か思い残すことってある?」
 雲が晴れて、日差しが注いでいる。目前に広がる田んぼが、青々としてきれいだ。今日あたり、本当に梅雨明けなのかもしれない。
「思い残すこと?」
「そう。思い残すこと」
「そりゃあ、あるんじゃない?」
「例えば?」
 んーと考えてから「みーちゃんと結婚したかったな、とか」と、彼女の名前をあげた。
「ああ、そうだね。結婚、しないの?」
「したいんだけど、みーちゃん今年プリセプターやってるから忙しいんだよね。仕事にやりがい感じてるし、タイミングがわかんない」
 プリセプターとは、新人看護師の教育係のことだ。だいたい三年目から五年目くらいの看護師がやることになっている。みーちゃんはサンボの二つ後輩だと言っていたから、三年目か。
「タイミングねえ」
 人生のタイミングは何で決まるのだろう。偶然、縁、運命。いろいろな言い方ができるけれど、何かの因果があるのだろうか。何かをしたら何かが起こる。そんな簡単なことじゃないよね、と思う反面、何かルールがないと納得できないよ、とも言いたい。
「卯月は思い残すことあるの?」
 サンボが言う。
「私は、ないかなあ」
 自分からふった話題のくせに居心地の悪さを感じ、適当にはぐらかす。サンボは、それ以上何も聞いてこない。少しの沈黙をやり過ごす。ぼーっと外を眺めていると、目的地についた。
 私は昨日買っておいた花束を後部座席から取り出す。仏花のほうが良いのかもしれないけれど、鮮やかな花のほうが似合う気がするのだ。サンボを連れ立って霊園に入る。代々続いているらしい古いお墓の前で立ち止まる。
「久しぶり。今年も来たよ、千波」
 墓石には「三門みかど家」と千波の苗字が彫られている。やっぱり千波は死んだのだ、と自分に言い聞かせる。それなら、私の家にいるあの千波は、何なのだろう。
 
 あれは二年前のことだった。
「今年の夏休み、七月になったわ」
 千波が言う。二人でサラダうどんを食べていたときだった。そのころハマっていた夕飯メニューの一つで、うどんに、茹でた豚肉と野菜とキムチを載せてめんつゆをかけるだけの簡単メニューだ。炭水化物もたんぱく質も野菜もいっぺんにとれて美味しいから、二人とも気に入っていた。
「私、七月の夏休みは厳しいな。同じ時期は無理かも」
 病棟勤務の場合、同じ時期に何人も同時に休みをとるのは難しい。特に長期休暇は、重なると病棟の仕事がまわらなくなるから、夏休みはだいたい六月から十一月くらいの間にみんなでバラけてとるのだ。
「だよね。じゃあ、今年は珍しく帰省しちゃおうかな」
 そういってうどんを啜る千波は、いつもと同じようにかわいかった。
 私は千波を好きだった。友達以上に、好きだった。愛していた。でも、何も言えなかった。ルームシェアするほど仲の良い友人が、自分を愛していると知ったらどう思うか、ひたすらに恐怖し、何も言えなかった。千波にどう思われているのか、考えるのが恐ろしくて、ただ一緒にいられればいいという、味の薄いカルピスみたいな儚い希望にすがって、本質を見ていなかった。

 宣言通り、夏休みになると千波は大きな荷物を背負って帰省した。
「お土産楽しみにしといて」
 そういって、朝早く軽やかに家を出ていった。私は、当たり前に見送った。だから、その日の夜、一人だと何食べていいかわからないな、と思ってコンビニで適当にお惣菜を買って帰ってきたとき、ソファに千波がいて驚いた。
「どうしたの?! 帰ってきたの?」
 千波は何も言わずにゆっくりと煙草の煙を吐き出した。そのとき、私のスマートフォンが鳴る。知らない番号だった。胸騒ぎがして、電話にでる。
「もしもし、卯月さん、でしょうか」
 中年の女性の声に聞こえた。
「はい。そうですが」
「千波の母親です。今、千波が亡くなりました」
 事故にあったこと、病院に運ばれたが手遅れだったこと、千波の携帯電話から連絡先を知ったこと、などを千波の母と名乗る女性が説明しているらしい言葉が、私の耳にただ入っては出ていった。千波が死んだ。じゃあ、目の前にいるのは、何?
 千波の葬儀に参列して、家に帰っても千波はいた。良く見ると、家にいる千波は薄く透けていた。私は、千波の幽霊が会いにきてくれたと思うようにした。でも、そのままもう二年、ずっといる。
 
 サンボと一緒にお墓の掃除をする。花立に水を入れて、霊園には似合わないほど鮮やかな花を生ける。お線香を焚いて、手を合わせる。
「今年もありがとうね、サンボ。私、免許ないからここまで来るの大変で」
 ゆっくり手を合わせていたサンボが顔をあげる。
「俺も来たかったから、いいんだよ」
 サンボと千波も、同級生なのだ。
 神奈川よりいくぶん涼しく感じる空気の中、ジリジリと蝉の鳴く声が聞こえた。
 
 千波が死んで、薄く透けた千波が家にいるようになってから、私は患者さんの「思い残し」を視るようになった。最初は何なのかまったくわからなかったが、次第に、人が亡くなる前に強く思っていたことが視えているらしいと自分でわかってきた。患者さんの「思い残し」を解消しながら、私は、家にいる千波も「思い残し」なのではないかと思った。でも、誰の? 私の? 私の「思い残し」だとすれば、私はもうすぐ死ぬことになる。そう思い始めてから、もう二年生きている。じゃあ、千波の「思い残し」だったということか? でも、それなら「思い残し」は私の姿をしているはずではないのだろうか。
 去年もお墓参りに来た。それでも千波は消えなかったから、お墓参りが「思い残し」を解消するわけではないらしい。蝉の鳴き声の中、ぼーっと立って千波のお墓を眺める。
 本当は、わかっている。わかっている自分に気付いている。私が千波に気持ちを伝えれば、きっと家にいる千波は消えるのだ。それが私の一番の「思い残し」だから。もしくは、それが千波の「思い残し」だったら嬉しい。千波の「思い残し」が千波の姿をして現れているのは不思議だけれど、千波が私のそばにいたいと「思い残し」ていたとすれば嬉しい。亡くなってしまったけれど、もしかしたら私の気持ちを聞きたかったのかもしれない。それだったら、嬉しいと思う。
 でも、それでも私は千波に気持ちを伝えられない。それは、今更どう思われるか、なんて恐怖からではない。気持ちを伝えた瞬間、家にいる千波が消えてしまうのがたまらなくつらいのだ。薄く透けたままでいい。しゃべらなくていい。触れられなくていい。それでも、存在を感じていたい。そんな自分勝手な都合で、私は千波を「思い残し」のまま存在させている。だって、死んでしまったらもう会えないのだもの。それは誰でも同じだ。今まで看取りをしてきた患者さんたちも同じ。一生会えない。世界中のどこを探しても会えない。どこにもいないのだ。でも、千波は「思い残し」として私の家にいてくれる。そんなに嬉しいことが、ほかにあるだろうか。
 
「帰ろうか」
 サンボが声をかけてくる。ずいぶんとぼーっとしていたらしく、少し陽が傾き始めている。
「うん、帰ろう。運転ありがとうね。疲れたら言ってね、休みながら帰ろ」
「うん」
「じゃあね、千波。また来るから」
 そういって私はお墓から立ち去る。早く家にいる千波に会いたいと思った。蝉がジリジリ鳴いている。雲はすっかり晴れている。夏がすぐそこまで来ているらしい。
 

おわり

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