見出し画像

女性性を見せることに抵抗を覚えていた。#創作大賞感想

「女らしく」とか「男らしく」とかいう言葉が使われなくなった。それは、性別に囚われず自分らしくいられるためにとても素晴らしいことだ。性はその人の分だけ種類がある。男女の二種類だけじゃない。いろいろな性の中でみんな生きている。
「女らしく」「男らしく」一言でもそんなことを言おうものなら、「差別だ」「多様性を重んじろ」「決めつけるな」と糾弾される時代。悪いことではない。
でも、いつの間にか自分の中の「女性性」を外に出すことまで悪いことのような気がしていた。私は生物学的に体が女で、性自認も女で、異性愛者だ。かわいいものが好きで、ピンク色が好きで、長い髪が好きで、好きな人には依存する傾向があるし、見捨てられ不安も強い。自分はガリガリだけれど、ふんわりと柔らかい女性性の高い体にとても憧れがある。大きな胸にくびれたウエスト、丸いお尻、細い脚。そうなりたいと思う。そういう、いわゆる「女の子っぽさ」多めの女だ。性格はわりとさっぱりしているけれど、「ボーイッシュ」と言われたことはない。
でも、それを提示することが悪いことのような気がしていた。
「あなたは女らしいってことですよね。女らしいって何ですか?男とか女とかじゃなくて、あなたらしい、でいいじゃないですか。男だってピンク好きな人います」
どこからか、そんな声が聞こえるのだ。自分の女性性を提示することが、「女らしい」の差別に加担しているような気持ちになった。悪いことのような気がしていた。

わたなべ ますみさんのこの記事を拝読した。

感動した。最高だった。ここにいる人たちは、こんなにも女性性を楽しんでいる。それは本当に太陽のような笑顔で、美しいピンクのドレスに身を包み、弾けるようなかわいさとセクシーさが溢れ出ていた。
そして、ランウェイを歩くに至るまでの道のりを読んで、そうだ、私の女性性も解放していいんだ、と思わせてもらえた。何より外見の性、概念の性に囚われていたのは私だったのかもしれない。センシティブな話題だから、と「女であること」を話題にすることを避けていたのは、私の変なこだわりだった。

私は、誰にも性を押し付けない。でも、自分の中に女性性はある。それでいいんじゃないか。自分の中にある女性性を見つめ、向き合い、女性として生きていけばいいんじゃないか。それを口に出すことと、多様性を認めないことは、違う。私は私の女性性を楽しんで生きていけばいい。

とても大切なことを教えていただきました。
ありがとうございました。

#創作大賞感想

この記事が参加している募集

創作大賞感想

おもしろいと思っていただけましたら、サポートしていただけると、ますますやる気が出ます!