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余白の中に人の息遣いが聞こえる。#創作大賞感想

説明するな、描写しろ。
小説のハウツー本などで嫌というほど見る言葉。わかっているけれど、私はいつも説明してしまう。何色の何を着て、どんな髪型で、どんな意図をもって何を言うのか、私は説明してしまう。それはただの特徴の列挙であって、それではキャラクターは立たない。キャラクターをいくら説明したところで、読者にしっくりこない。登場人物が、言うこと、すること、それを描写することで、その人のキャラクターは初めて立つ。そうしないと、読者の中に登場人物の人となりは伝わらない。

カナヅチ猫さんは、私がnoteを始めたころに知り合った方で、同じ頃に始めた人がどんどんいなくなっていく中、残って小説を書いてくれている私にとって嬉しい存在だ。そして、私はカナヅチ猫さんの小説が好きだ。それは、冒頭に書いた描写力にある。

カナヅチ猫さんの小説には、余白が多い、と私は思っている。全部説明しない。原因も、結果も、実際には何だったのかも、説明で埋めたりしない。そこには、静かだったり、少し騒がしかったり、不穏だったり、優しかったりする余白がある。この余白の中に、その人たちの息遣いが聞こえるのだ。

「ボヤニアイスクリーム」は、まさにそんな作品だと思った。

【あらすじ】

 恋人の佐知子と同棲している僕(雄介)の元に、「家が燃えた」と母からの連絡が届く。燃えた家のことを案じた僕は佐知子を助手席に乗せて車を走らせる。飼い犬のコン太は無事なのか? そして母は? 実家は?

 日常と非日常の間で、僕は過去の母と父に間接的に出会うことになる。

 時と場合に関係なくやたらアイスクリームを食べたがる佐知子を助手席に乗せ、僕は何を思い、何をして、何を言うか。

「ボヤニアイスクリーム」より引用

この、「何を思い、何をして、何を言うか。」が実は難しいと思っている。何を思い何をして何を言うか、を描写することで、人物の心の機微に触れるのだ。でも、”これは心の機微です”という書き方はしない。それがうまい。決定的な答えを書かない。だからこそ、余白にその人の感情の息遣いが聞こえる気がするのだ。全て書いて埋めるなんて野暮なことはいらない。奇抜な個性で頑張ってキャラ立ちさせようとしない。そういう小説なのだ。そうすることでより深く、人を書くことに成功している。
だって、実際の人生ってそうだ。全てを説明しながら生きている人なんていない。人間関係なんて余白ばかりだ。イエスでもノーでもない。善でも悪でもない。いつまでたっても答えがない。どこが境界だったかなんてわからない。そういうものが、本当の、リアルな人間関係なのだ。それをちゃんと書けるのはすごいと思う。

私なんかの説明より、小説を読んで余白を感じてください。
素敵な小説をありがとうございました。

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