Se的『事実』とTe的『事実』の違い

Seは不合理な機能であり、Teは合理的な機能である。

これらを区別するための最も分かりやすい例を上げると、
「これは検証された上で証明された事実である」と聞いた時に
「それなら事実だ」と思うのがSe
「これはどこのソースで何を根拠にしているのか」を気にするのがTe

なぜならSeにとって重要なのは「それが現実で行うことが可能かどうか」
なのでSeユーザーにとっては「実証された」+「その話を実際に聞いた」というだけで十分に事実である。これにはSeユーザーの弱いNiのために背後について考える事なく聞いたことをありのまま受け入れるという性質も関連している。
これは「自分の知覚に疑いはない、それがあるという認識だけで十分事実に値する」という不合理な性質を表している。

対照的にTeにとって重要なのは「誰が言ったかどうか」
Teは合理的な機能であるため矛盾を許さない。つまり、一つの枠組みにピッタリはまる事が事実である。Teは世界を構造として見ている──誰が権威者で誰が有資格者で誰が専門家か。そのためTeは受け取った情報(この例では証明されたという話)が既存の枠組みにはまるかどうかをすぐ確かめようとする。
合理タイプは曖昧なものを曖昧なまま放置せずすぐ構造化しようとするという特徴を持つ。そのため「ただ聞いたから」という曖昧な理由で何かを正しいと扱うことはしない。

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