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編み物の話。

子供の頃、祖母に教わって編み物をしていた。
2004年、テレビで見た編み物を紹介する番組を見た瞬間、編み物をやってみたい、と、編み針一式と毛糸を購入した。かぎ針で小さなぬいぐるみを編んだ。それすら編むのは容易ではなかった。

ある日、インターネットで色々な編み物ブログを見ていたら「365日お手製の靴下を編んで履いています」との言葉が目に入った。365日お手製の靴下を編んで履くってどういうこと?

私も靴下を編めるようになりたい。すぐに靴下編みについて調べ始めた。棒針編みも子供の頃ぶり。まずはマフラーなど簡単なものから練習して、靴下を編む段階に入った。難しすぎる。太い針と太い毛糸でまずは練習した。

練習後、本番糸で編み始めた。細い針(4本棒針2号)と細い毛糸で、なんとか編み上げた。最初に編んだ靴下は今でも忘れられない。

初めて編んだ靴下

以降、靴下編みにハマってしまった。青山にある毛糸屋さんに海外のソックヤーン(靴下用の毛糸)があることを知り、セールの度に購入。素敵な糸がいっぱい。色とりどりのソックヤーンで靴下を編むのはとても楽しかった。

ドイツのソックヤーン
イタリアのソックヤーン

私の靴下編みはつま先から編む方式。

左右の柄合わせも慣れてきた。

靴下を履く瞬間が最も嬉しい。

当時、靴下編みは英文編み図しかなかったが、日本語訳してくださっているサイトがあった。また、インターネット上にあみものを楽しむグループがあり参加。このグループに365日お手製の靴下を履いている方もいらっしゃった。あみもの好きな皆で励ましあってわからないことなどを教え合いながら、仲間たちと編み物を楽しんでいた。仲間がいなければ、ここまで靴下編みを出来るようにはならなかっただろう。

気づいたら7年間。毎日編まない日はないというほど、色々編んだ。編み物の学校にも通った。

完成したら友達にプレゼントすることも多々あった。みんな喜んでくれた。とても嬉しい気持ちになった。

「売ればいいのに」と言ってくれる友達もいたが、「売るようなものではないんだよ、自分が好きなものを編んでるぐらいでちょうどいいの。みんなが喜んでくれたら、それが一番幸せ」と答えていた。

編み物名人の祖母は家族やご近所さんにいろいろな物を編んでは渡していた。それを自らの喜びとしていた。私は祖母の血を引いているようだ。

私には趣味を仕事にはできない。8年間毎日編み続けた末、編みすぎが祟りドクターストップで長い休息に入った。

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