山田くん

山田くんと会ったのは、終電間際の名鉄各務原線の電車の中だった。

中学は地元の長森南、高校は岐阜高校、大学は一浪して河合塾に通い、名古屋大学に進学した山田くん。
小学校のときの宿泊研修でホームシックを起こし、夜に大泣きして同室の子たちに大顰蹙を買った山田くん。
中学のときの体育祭のクラス対抗リレーで盛大にコケてクラス中から大ブーイングをくらった山田くん。

中学卒業以来だから、もう13年ぶりだろうか。 久しぶりに見た彼は真っ黒なスーツに身を包み、覇気のない虚な目をしていた。
切通駅に着くと、山田くんはキョロキョロと周りの景色を確かめ、ホームへ降りていった。
枯れ落ちる葉っぱみたいに、ふらふらと漂い歩く彼の姿はあまりにも異様だった。その細い体は今にもポッキリと折れそうな弱さを醸し出していた。
僕の最寄りまではまだ一駅あったが、山田くんが心配で後を追って電車を降りた。
明日も仕事で朝が早いけれど、彼を放っておくわけにはいかなかった。

山田くんは改札を出るわけでもなく、ホームのベンチに座り込んだ。
駅の周りは薄暗く、山田くんと僕以外には誰もいない。
沈黙のままそばにいるわけにもいかず、意を決して彼に声をかける。


「山田くん、だよね?」

彼はゆっくりと顔を上げた。

「俺、林。中2のとき同じ暮らしだった、林だよ」

少し間があって、山田くんが口を開く。

「ああ……林くんか久しぶり。こんな時間にどうしたの、こんなとこで」
「いや、それ、こっちのセリフ。なんで終電間際にホームのベンチに座ってんの?」
ベンチをさっと手で払い、山田くんの隣に腰掛ける。
「あー、なんか疲れちゃってさ。林くんって今何してるの? 社会人?」
「そうだよ。名古屋の会社で働いてる。山田くんは? 仕事何してんの?」
「いや、今仕事はしてなくて」

しまった、地雷を踏んだか…?

「大学院通ってる。就活中で今日も面接受けてきたとこ」
「おお、そうなんだ、大学院ね。さすが優秀だな」
なんとか会話を続けようとする。
「無職にならないよう、しがみついてるだけだよ。就活もうまく行ってなくて、内定出ないしさ」
山田くんは苦笑を浮かべる。
「名大の大学院でも苦労するんだな…」
「こうなるなんて思ってなかったよ。親も心配しててさ。周りには迷惑かけたくないよなぁ…」 山田くんはため息を漏らした。


静寂が辺りを包む。
4月の下旬とはいえ、まだ夜になると少し肌寒さを感じる。

「林くんは、帰らなくていいの?」
「次の終電来たらそれに乗って帰るよ。一駅分歩いて帰るのも、終電待つのも時間変わらないし」
「あー、終電…。そうか…」
山田くんはより一層肩を落とした。
「山田くんは切通が最寄りだったろ? もう遅いし早く帰りなよ」
「あぁ…今日はもう帰ることにするよ」
山田くんはベンチからおもむろに立ち上がり、電車から降りた時と変わらず、またふらふらとした足取りで改札へと向かう。

「山田くん!」

鞄からmanacaを取り出す彼を呼び止める。
「あのさ……いろいろ大変だと思うけど、まあ、その、頑張ってたらいいことあるからさ。頑張れよ!」

山田くんは呆然と口を開いたまま僕を見る。 そして口角を上げ、目を細めて微笑んだ。
「ああ、ありがとう。林くんと話せてよかったよ。それじゃ、さよなら」
左手をひらひらと降り、彼は改札の外へと歩いていった。
その足取りは先ほどと比べて、しっかりと前に進んでいるように見えたのは僕の気のせいではないだろう。


山田くんはその1週間後、終電の電車に轢かれ、亡くなった。


生気を失った目。
ふらふらとした足取り。
僕が終電で最寄りまで帰るといったら、落胆した様子だったこと。
周りには迷惑をかけたくない、と言っていたこと。


山田くんは僕と会ったその日、自殺をするつもりだったのではないか。


もちろんそれを薄々勘づいてはいた。
だからあの日僕は山田くんに話しかけたのだ。 彼の自殺を止めるために。

けれども山田くんを、僕は止めることができなかった。


罪悪感に押しつぶされそうだった。
葬儀のとき、山田くんのお母さんに、1週間前に山田くんに会ったことを話した。
そして彼を止められなくてごめんなさい、と懺悔した。

山田くんのお母さんは目にいっぱいの涙を浮かべ、僕に感謝の言葉を口にした。
彼の自殺を止めてくれてありがとう、と。


僕と会った夜から、山田くんはそれまでの鬱々としていた様子から打って変わって、前向きに就活に取り組み始めていたのだという。
山田くんのお母さんもその日の前まではいつか彼が自殺してしまうのではないかと、毎日気が気でなかったという。
だけど、1週間前のあの夜から、彼は目に見えて変わり、心から安心していたようだった。

その矢先のことだった。

学校からの帰りが遅くなり、僕と会った日のように彼は終電の1本前で帰宅していた。
駅についたとき、ホームには酔っ払いが寝っ転がっていたらしい。
山田くんはその酔っ払いを介抱していたのだが、突然酔っ払いがホームから線路へ走り出し、転落した。
山田くんは酔っ払いを助けようと、同じように線路に入り、ホームに進入してきた電車に撥ねられ、帰らぬ人になったのだ。


山田くんのお母さんからその話を聞き、僕はぼろぼろと涙を流した。


良かった。


あの夜、僕がした行動は無駄ではなかったのだ。
結果として、山田くんが亡くなってしまったことには変わりはない。

だけれども、僕はどこか救済されたような心持ちになった。 #岐阜 #小説

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