えりむ

読書と旅行が好き。日常で感じたことを書くことが多いです。

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最近の記事

「普通」が上書きされていく怖さ

学生の頃は、欲しい「もの」や「こと」に対して努力をすれば良いと純粋に思ってた。ある程度、努力すれば、ある程度のものは手に入ると。 高校生の時は良い大学に入ることが、何よりも欲しい「こと」だった。大学生の時は「彼氏」や「就職先」「良い経験」が欲しかった。 結果的に、就職先は、第一志望に行けなかった。ただ納得できる会社に内定は頂けていたのでそちらに落ち着いた。 ここでひとつ、良い意味で諦めの尺度を知った。頑張っても手に入らないものやことがある。そして、自分はそこまで有能でも

    • 最近思うフェミ的あれこれ

      ⑴「男は」「女は」論のオチ フェミニズムに関する主張が言論の場でバズると全ての男が悪いわけではない!女の意見ばかり持て囃されすぎだ!女尊男卑!みたいな意見が目につく。女は!女はあ!!みたいな鼻息の荒さが、ちょっと面白い。一旦落ち着け? 私は夫によくフェミニズムについて話す。私と出会う前は意識すらしたことが無かったらしいので、斬新で新鮮な考えらしい。フェミ的意見を聞くと、つ、強いな…と思うのだとか。ごめんね、意見強くって。あれ、男は!男はあ!!という鼻息がXで見かける温度感

      • 時間に追われるのではなくて、時間の前でふんぞり返りたい

        最近、退勤後にせこせこピラティスに通っている。働くようになって肥大化した身体を、少しでも健康に近づけるためだ。一度膨張した身体は縮小させることがなかなかに難しい。膨らむのは簡単なのに。 週2回通うようになって、そこそこキツい動作も理解できるようになってきた。出来るわけではない。なんとなくこうか!とわかってきたレベルである。でもなんだかんだで続けると楽しくなるもんだ。 ピラティスにしっかり通うために、最近は出社すると残業しないように業務を巻いてまいて、必ず定時に上がることが

        • 友人における距離感が難しい今日この頃

          友人の距離感ってまじまじ考えると難しい。特に、それぞれの人生に分岐が出てくると話せることが少なくなってくる。 自分の日常が誰かからしたら、羨ましいと感じるものになっているかもしれないし、逆に友人の話を聞いて羨ましいと思うこともある。 羨ましい程度であれば、さして問題ではないけれど、相手への気遣いを忘れて、知らぬところで傷付けてしまったり、親しさゆえの甘えから敬意を示さなかったりしてしまうかもしれない。 家族でも恋人でもない、なくてはならない大切な存在が友人だ。でも、友人

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        • ためになるメモ
          1本

        記事

          やわらかな耐力を持ちたいという話

          普段、人とたくさん話す仕事をしている。人と話すことは基本的に好きだ。相手から自分には想像もつかない考えを聞けると、すごい!と感動するしリスペクトの気持ちが湧く。 逆に自分の考えを話すことも好きだ。自分の言葉を理解してもらえると嬉しいし、話したことが相手にとってささやかでも助けになったら嬉しい。だから今の仕事はそれなりにやりがいもあるのだと思う。 仕事でもプライベートでも基本よく話す方だが、最近プライベートの話す、が少々辛くなってきた。 仕事はあくまで仕事なので、良い意味

          やわらかな耐力を持ちたいという話

          大人の期間、長すぎる問題について

          だいぶ前だけれど、友達ともうアラサーだね、という話をした。こうやってアラフォー・アラフィフになるのかーという。 周りで結婚したり、妊娠・出産・育児をしている人も増え始めた。仕事に邁進して頑張っている人もいる。皆、それぞれ人生を進めている。 歳を取ることにそれほど嫌気がさしているわけではない。むしろ、歳を取ることにぎゃーぎゃー言っていたのは18、19歳くらいだった。 今、自分の心に住んでいるフェミニズム的にアウトな考えだけれど、華のセブンティーンが過ぎてしまった、もう10

          大人の期間、長すぎる問題について

          恋することは向いてないけれど、愛することはできる

          ずっと前に「愛」についてnoteに書いてよ、と友人に言ってもらったことがあって、ためてためて、2年越しくらいに今、書いてみる。 「愛」なんて高尚なものをご立派に語れるほどの月日を生きているわけではないし、こういうものだ、と定義する資格なんてない。 けれど20数年生きてきて、やっぱり誰かの愛情によって今まで生かされてきたと感じるし、大切な人たちを強く愛したいと考えている。 そういう意味では「愛」と無関係に育って生きてきたわけではないんだなぁと思う。 よく「愛」と「恋」は

          恋することは向いてないけれど、愛することはできる

          「結婚」して変わったこと

          少し経ってしまったが、5年間くらい付き合っていた人と籍を入れた。結婚して改めて思ったアレコレを新婚と言われる時期に書き留めておこうと思う。 結婚の報告をすると会社の同期・先輩・学生時代の友人みんなに驚かれた。けれども周りの人はみんなあたたかくて、私の心もすごくあたたかくなった。 ちなみに、学生時代にこのような記事を書いたことがあるが、ゼミ教授の薦めてくれた本の通り、私は「保存」型の結婚ドンピシャの結果になった笑 よく、何が決め手になったの。何か変わったことはあるの。と聞

          「結婚」して変わったこと

          SNS疲れを自分なりに分析してみた

          最近初めてコロナになった。体調は悪いが、一日中寝ていられるわけでもないし、となると、自然と行うは、ネットサーフィン、Netflix、読書、SNSである。隔離期間中にできることは限られる。 最近、SNSによく疲れる。私がよく使用するアプリはInstagramとTwitterだが、程よい時間だけ見ないと、ほんとに疲れる。目も頭も疲れるが、外的な要因だけで疲れるわけでもないな…と最近思い当たったことがある。 以前の自分の記事で「自分が充実してない時に、SNSを見ると劣等感が触発

          SNS疲れを自分なりに分析してみた

          地べたの多様性

          大学では外国語と社会学・ジェンダー学を学んでいた。 私は中学・高校と海外で男女共同の寮生活をしていて、その中で男性と女性にそれぞれ振り分けられる「あるべき姿」に辟易してジェンダー学に興味を持った。 外国語に興味を持ったのは、もともと父親が外国人ということもあるけれども、言葉を知ることで知らない世界が目の前に広がることが楽しかったからだ。 でも、大学で言葉と文化と社会学と、諸々学ぶごとに、「私は、中学・高校よりも、もっと前に、日本で身近に異文化に触れたことがあるな」という

          地べたの多様性

          劣等感と幸福感のはざま

          社会に出ると、学生の頃よりも、より多様な物差しがある。例えば、どの会社で働いているのか、どんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのか、恋人はいるのか、結婚はしているのか、子供はいるのか。本当に様々。 どれが正しいとか、間違いとかではないけれど、何となく「これはイケてる=良いなあと思われること」「これはイケてない=その程度ねと思われること」という線引きは無数に存在していて、私はその線引きを全く無視できるほど強くない。 人と比べることは無意味と言うけれど、やはり比べてしまう

          劣等感と幸福感のはざま

          「生き方」の選択肢を増やすために行動してきたけれど、それだけじゃダメだった件

          前回の記事を書いてからちょうど半年。社会人2年目の夏、仕事イヤイヤ時期を乗り越え、少し落ち着きを取り戻し、そして私は転職した。 https://note.com/rinrinpanda/n/n16e959ea1290 え!仕事また頑張ろうと思ったんじゃないの、となるところだが、様々な理由から、「変えるなら、きっと今だ。」と思い転職に踏み切った。 1番の背景は結婚してライフステージの変化を迎えたこと。自分だけの人生でなくなったことは確実に行動の後押しになった。求職者の方か

          「生き方」の選択肢を増やすために行動してきたけれど、それだけじゃダメだった件

          「仕事辛い」に対抗するため、もがいた春

          今年、私は社会人2年目になった。新人期間はあっという間に終わる、と先輩に聞いていたものの、本当にその通りあっという間に過ぎ去った。2年目の春、私は仕事が辛くて辞めたくてしょうがなかった。(運よく死にたいまでは思わなかった) 部の新しい方針、新しいチームメンバー、2年目と言う新しい意識の芽生え。慣れるのも必死。追いつくのも必死。1年目はできてなくて当たり前、じゃあ2年目は?別に誰も責めてこないし、誰かが催促してくるわけでもないけれど、自分で勝手に追い詰められていった。一人で空

          「仕事辛い」に対抗するため、もがいた春

          社会人一年目を振り返ってみた。

          昨年は色々あった。ありすぎた。 学生生活の最後の力を振り絞って卒論を提出し、卒業確定して喜んだのも束の間。コロナウイルスの世界的流行と蔓延。卒業式も中止され、ワタワタと不安な気持ちのまま社会人になった。 社会人が始まって丸々2ヶ月は完全リモート研修。緊急事態宣言は予想はされてはいただろうなと検討はつくものの、実際きっとかなり忙しく社外ネットワークの設備やら、社用PCやら、社内IT関連の用意を整えてくれた弊社には感謝している。 いざ、配属部署が決まり、緊急事態宣言も解けた

          社会人一年目を振り返ってみた。

          「初心を忘れない」社会人に、私はなる。

          時が経つのは早いもので、私は昨日4月の最終出勤を終えて、本日からGWに突入した。こんなに心踊らないGWは人生初めてだ。先日頼んだ本も、いまだ届かず、キレそうだ。配達してくれるお兄ちゃん、オジちゃんたちには感謝の念しか感じないけれども。Amazonは日用品の稼働率を上げる代わりに、書籍の稼働率を下げたみたいで、一時在庫切れオンパレードだ。 本はおうち時間の必須アイテムでしょ!と内心総ツッコミをしたが、世間はどうやらそうでもないらしいと思い知ったものである。映像コンテンツは嫌い

          「初心を忘れない」社会人に、私はなる。

          気がつけば、社会人になっていた。

          4月も3週目に突入し、社会人と呼ばれるようになって約2週間が過ぎた。新しい環境が始まるまでにあれこれ余計なことを考えるたちなので、社会人になる前日は、明け方の3時まで寝れないという緊張っぷりを発揮した。 さあさあ、いよいよ始まった社会人生活。不安と期待を胸に、いざ…!と意気込んでスタートできれば良かったのだけど。例のウイルスのせいで、平穏に学生を終えることができなかったことと同様に、平穏に新生活も始められないことはある種、自明であった。そうだった。 私の勤め先は、先日つい

          気がつけば、社会人になっていた。