ドラクエの話がしたい女

昨年11月からドラクエ11を遊んでいる。
世界を救い始めて8ヶ月目。
この勇者一行、牛歩すぎる

ドラクエシリーズが好きなのですでにストーリーの大筋は知っている。知っているからこそ進めないのだ。だって進んだ分終わりが近づくでしょ。
そんな訳でちんたらちんたらと世界放浪していのだが、何故か突然進める気になり、よっこらせぇ、と情けない声を出しながら世界樹に向かった。たぶん誰かにすばやさのたねを盛られたんだと思う。誰だ?グレイトマムーか? 

(以下スーパーネタバレ)
そしたらホメロス来てグレイグ来てウルノーガ来て
世界 滅ぶでしょ。

このシーンめちゃくちゃ胸がギュンってなった。世界を滅ぼすこと・掌握することを目論む魔王がいるのはどのドラクエも同じだけど、でもでも本当に世界が滅んだことがあったか?いやない多分。≠MM。
救われた場合の世界と滅んだ場合の世界の両方に分岐できるマルチエンディングのゲームも多いけど、私はあまり色々なゲームをやっておらずドラクエスタイル(一本道ストーリーで確定ハッピーエンド)に慣れきっており、「エッアッ世界ってほんとに滅ぶことあるんですね…」となってしまった。

異変後の世界がとにかく暗い。朝も昼も夜と化し、海は濁り、多くの命が失われ、大地は燃え、希望は失われた世界になっている。これ本当にドラクエ?思っていた以上にメンタルにくる…
ナンバリング内で鬱ストーリーと名高いのは7だけど、個人的には7よりよっぽど辛かった。でも私は7に対して盲目なきらいがあるし、グラフィックが違うから没入度も異なるなとは思う。確かによく考えると7は大分鬱だ。でも「始まりが終わり」である物語だから、あとはもう再度始めるだけ!と思えなくもないのかも。あと、鬱要素が人間関係なのは流石の勇者もどうにもできない。自分たちで解決してどうぞ。

今日は友人とドラクエの話をしたのだけど(雑)、彼は学生の時に9を遊んだことがあるらしい。
「そうだ、9のラスボスって魔王じゃなかったんだよ」と言われ、「あぁエルギオス!」と即答できた自分にちょっと笑った。私は9を遊んだことありません。何で知っているんだ。コンテンツ愛ですね…

この友人、面白いのが滅茶苦茶にバトルゲームに向いていないのである。
負けると悲しくなってゲーム閉じちゃうし、仲間が死ぬと可哀想になってゲーム閉じちゃう。感情移入の天才だと思う。しかもストーリー上でキャラクター(イザヤール)に裏切られた時は速攻で3DSを閉じ、階段を駆け下り、「う、裏切るなんて…、ひどすぎる…っ!」と父親に怒りを爆発させたらしい。最高でしょ。堀井雄二さんも喜んでると思うよ。もう、頼むから私の隣でドラクエをプレイしてほしい。絶対笑える(私が)。というか人が私の好きなゲームを遊んでいるところを観たい。その需要は昨今のゲーム実況で大分叶えられるようにはなったけれど、友達が遊んでいるところを横で見たい。貸すから…だれか…

クリア前なのにドラクエ11が刺さりすぎてドラクエ11の事しか考えられない女ことわたしだが、この興奮と熱って何かと同じだな?と思ったらダレン・シャンだった。まーたダレン・シャンの話してる…
この二つから自分の好きな物語の傾向を知れるのではないかと思い、少し考えてみた。

結論、「現実と乖離した大いなる話」が好きなのだと思った。
「現実と乖離した」というのは、平たく言うとファンタジーである。
魔法が使えて、人間じゃないいきものがでてきて、ここじゃない世界がある。そんなファンタジーがすき。
「大いなる話」はなんぞや…という感じだが、世界の命運を握る話である。規模のでかい話ともいう。そして規模こそでかいけれど、それに立ち向かうのは国家の権力でも最強の軍隊でもない、表立たない存在というのがミソ…あれ、これまんま映画ドラえもんでは…?ドラえもんも好きです。

ドラクエ11の異変後の絶望感と、ダレンが闇のいきものになる時の辛さは、私の中でリンクし得るものだった。これ以降は両作品の超重大ネタバレなのでドラクエ11をクリア済かつダレン・シャン読破済のけったいな御方以外にはおねがいだから読んで欲しくないのだけど(こんな駄記読んでる暇あったらどらちか履修してきてどうぞ)、




時をかけるのはもう絶対に泣く。私こういうのすごく弱い。
特に置いてきた世界の人たちを思うともう、涙を拭くのにハンカチなんかじゃ足りないよ。バスタオル持ってきて。大判の。
死後のダレンが湖で揺蕩っている間のハーキャットを思うと辛くて堪らない。ダレンとスティーブの生の結末を知ったハーキャット達はどんな反応を見せたのか…それが描かれていたらもう一枚バスタオルが必要だった。それでもダレン亡き後に指揮をとって和平を実現しているハーキャットは本当に強くて立派だよ。そんなハーキャットの心中をお察ししてまた泣いてしまう。その強さの根底にいる人を思って…
なおドラクエ11はまだそこまでプレイしていないけどもう知ってしまっている。そしてなお泣く確信がある。むしろ先んじてバスタオルを用意できて良いのかも。

そう、11主人公が魚になるのも滅茶苦茶ダレン・シャン感じませんでしたか?!?!
討つべき相手との戦いによって難破船のようにボロボロの瀕死となるも、セレンの力で魚の姿となり、運命を拓くチャンスを再度手に入れる…。これってダレンがスティーブ・レパードとの戦いにて命を落とすも、レディー・エバンナによってリトル・ピープルとして再度肉体を得、運命を変えるチャンスを再度手に入れる…。すごく近いものを感じる。

アッ待って泣きそうわたしダレン・シャンの話すると9割方泣く。
私は泣くのが苦手だ。嫌いとも、下手ともいえるかもしれない。
人に泣いているところを見られるのが嫌とかのレベルではない。部屋に一人だろうが映画館だろうが素直に泣けない。泣くことに対する自分の中のストッパーがやたら強固なのである。多分、どこかで泣くことを「弱さ」だと思っているフシがある。涙がぽろりと零れるそのことを弱さの表れだと思っている。そんなことあるわけないのに。いつからか己に染みついている。

そんな私が人前で泣いたのは、最近だとDOCを観た時だった。綺麗なものを観聴きして流した涙だから綺麗だったはず。あ、あと仕事辛すぎて泣きながら友達に電話した時もあった。あの涙はストレスで濁っていたけど、その分すっきりできたのかも。

ひとりの時は本を読んで泣くこともあるが、大抵は耐える。それでも一番涙腺に効くのは本だ。ダレン・シャンは文字通り号泣したし、桜庭一樹さんの本もひとりで静かに泣いた。中高生の時のわたしは特に泣けない時期で、自分が己の涙にやたら厳しいことも自覚していたのだが、夜、自室のふとんの中で『無花果とムーン』を読んで自然と涙が止まらくなった。あ、私泣いてる、と思ったのをなぜかよく覚えている。
「涙活」という言葉があるように、泣くことはひとつのストレス発散法だというのは事実だと思う。泣きそうなとき、謎に堪えて鼻の奥がつんとなるよりも、好きなだけわーんと泣いてすっきりするほうがいいに決まってる。分かっているけどなぜか自分がそれを止めるの何とかならないかしら


なんのはなし?

ドラクエ11だ。今グレイグと二人旅で、デルカダール城の地下牢獄です。この先どれぐらいストーリーが残っているのかまるで分からない。思えばこういったRPGってドラクエしか遊んだことがない。ゲームは人並みに好きだけど、パズルゲームやリズムゲーム(あとは某戦闘摂理解析システム)しか遊んだことが無いので、新規ストーリーゲームらしい感覚が面白い。ドラクエの話ができる友達ほしいけど20代女性の人口が少なそうすぎるのはアイカツと同じね

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