K noname
日記や雑感です。 明日を思い出して。
一日の終わりは少し希望に満ちているべきで、特に夕闇をを感じられない生活は好ましくない。生き物が、昼夜の別のない環境の中に置かれることは酷なことだ。私はいつの頃からか覚えていないが、朝日に希望を感じることがない。一日のうち、気持ちに余裕ができてくるのは夕刻からで、夕陽に横顔なり、建物なり、窓辺が、影とは対照的に照らし出されるコントラストを、とても美しいと思い見ていた。 社会人になり、暗い建物の中で仕事をして、夕を感じないままひたすら働き続けた結果、気が付いた時には病院のベッド
人にあまり興味がないせいか、自分も人から覚えられたり認識されると思っていない。相手のこともろくに覚えていないし、相手もこちらをすぐに忘れる。最初からこうではなかった。軽薄に誰かを強く強く信じたし、予想外に裏切ってしまったこともある。自分が行いうることを人がしないと思うのは想像力が無さすぎる。ここ数年は裏切られてもよいと思う人だけを信じて、誠実に向き合うことにしている。痛みはある。痛くて良いのではないか。言わなければ誰も傷つくことも、不快な思いをすることもない。共感を求めない感
集まった子供達を大人があやす。 満月の描かれた絵本を開いて掲げ、それを正面から右の子供へ、左の子どもへ、ちゃんと見えるようにゆっくりと振りながら噛んで聞かせるように言う。 「お月様には、うさぎさんがいるんです!」 「わー」 いるんだ!その子供達のなかにいた子供のわたしは、そのとき初めて月にうさぎがいるということを知った。しかも、おもちをついているという。 そうなのか。うさぎがおもちを?食べるのか。どうしよう。ついこの間近くにあるうさぎ小屋で“どう
まだ小さな頃、周囲にあるいろいろなものの彩りを強く感じるような夏に、好奇心から山へ分け入って迷子になったことがある。最初は獣道なのか雨水の通り道なのかわからない道を進んでいたのだけれど、途中にある倒木を乗り越えた先の細いみちのようなものを進み、自身の腰ほどの高さまで伸びた雑草を踏み分けて分けて行きふっと疲れて、振り返ると道がなくなっていた。 少し戻ってみたのだけれど、足場が悪くて何度も転びそうになった。一歩、一歩と踏みしめることができる場所を選びながら戻っていたはずだけ