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人生って何歳からでも変われるの??

はじめまして、りのかと申します。
昭和の末頃生まれ、女性、末っ子、元ブラック企業勤め、
拒食症と鬱病発症。
そんな私の波乱万丈?な30代を振り返ってみたりりしつつ、
同じ様に今仕事や婚活で悩んでいる皆様にちょっとでも
希望をお届けしたく、ブログを書いている次第です。

今現在同じ様な境遇の方、いらっしゃったら
是非コメント頂ければ嬉しいです。
今回は会社から抜け出した話をお伝えしよう・・・
と思ったのですが。

すみません、ものすごくありがちな記事になりそうなので、
バックボーンから記載していきます。


①超絶人見知りでした

超絶人見知り。
人によっては「友達いたり、恋人いたり、別にそうでもなくない?」
と思ったり、勿論自称人見知りな人もいるのかと思います。

ちなみに私は
・友達は幼稚園、小学校、中学校、高校、それぞれ一人か二人いた。
 それ以外の人とは会話できなかった超コミュ障。
・体育の時間の「ふたりひとくみ」が出来なくて、二人の間に
 入れられて申し訳なく三人組にさせられていた。
 (なので体育とても苦手)
・大学時代友達0人。飲み会?一人でならあります。
・就職先友達0人。新年会で「お酌する」という当時あたり前?の事に
 気が付かず、完全にハブられるようになりました。
・恋人は過去3人。チャット等で知り合い付き合うも、
 私が常日頃から塩対応過ぎて別れた。

そんな感じでかなりキていると思います。
いや、もちろんずっと0人…という方もいるとは思うのですが。
人見知りの中では群を抜いてヤバかった自覚があります。

とこれを読んで落ち着いた人もいると思うんだ…。
下には下が居る代表格が私です☆



②拒食症でした

13歳の頃、53㎏くらいだったかな。
身長は一般的です(155~160の間)。
その為か人見知りのせいかわからないのですが、
何かを切っ掛けにデブと言われるようになり、痩せようと思いました。
とりあえず当時だけ成績だけは良かった…
(といっても最終的には偏差値45くらいまで落ちたぜ!)
ので、頑張れば数値はコントロールできる。
という根性論の元、13歳~14歳まで拒食症でした。

まあよくあるタイプで
・とにかく何も食べない
・水すら太ると思っているため水分摂取は300ml未満程度
・登下校3㎞の道程を当時自転車通学だったが、歩きにする
・本当に限界な時はトマトを丸一個食べる
・休日もとにかくウォーキングしかしない

こんな感じで4カ月で53㎏→27kgまで痩せました('ω')ノ
半分以下じゃん…
良い子は絶対真似しないでね、っていうか悪い子も真似しないでね。
もちろん停滞期もあって、40kg丁度位の時丸一か月くらい
体重が減らなかったので、歩く量をとにかく増やしてましたね。
筋肉が削げ落ちるしかないですし、はたからみたらおばあちゃんです。

20㎏代になっても
「足が太過ぎる」
「ウエストが太過ぎる」
「顔が丸過ぎる」
という状態になっていたので、もはや制御不能です。

そんなお子様をもつ親御さんもいらっしゃると思います。
ちなみに。
当時(平成初期)の先生は、基本無視。
というかいないもの、と認識されていました~!
とりあえず志望校に受かる成績だけは維持していたので
あまり言われなかったのかもしれませんね…

もちろん親は心配していましたが、病院には一度言ったものの
「なんか生きてるし大丈夫」
みたいな感じで放置されてました( ´∀` )ナンデ?

そんな私にたった一回だけ、転機がありました。
保健室の先生です。
唯一、私の為に泣いてくれた人です。
体格はふんわりしていて可愛らしい人だったのですが。

卒業式の日、その先生に。
生まれて初めてギュって抱きしめられました。
老婆みたいな、むしろ餓鬼みたいな身体を気持ち悪く扱うこともなく。
ふんわりと優しく抱きしめてくれました。
親ですら触ろうとすらしなかったのに。

「頑張ったね。もう頑張らないでね。元気でいてね」

多分こんな事を言っていたと思うのですが、
かなりうろ覚えです。
ただ、ほぼ初めて話したのに、こんなに泣いてくれる人が
この世界にいたんだ。ってことと、
人の身体のやわさかさが心地良くて、茫然と立ち尽くして泣く事しかできませんでした…、
多分後にも先にもあんなに泣いてくれた人(他人)は
あの先生だけだったと思います。


③鬱病でした

イメージダウンキャンペーンしてるのかと思うくらい
自分を下げてますが、事実なので致し方あるまい('ω')
高校生活は拒食症は治ったものの、結局過食症になったりしつつ
とりあえず元の体重まで戻ってしまいました。
ので、体重は若い頃は30kg代~50kg代とめちゃくちゃなふり幅を
振り子のように前後していた気がします。
足して二で割れば丁度いいのに(自分で言うな)

大学生になってから、家を出て一人暮らしが始まったのですが、
友達もいなく故郷でもなく、大都会の人の多さに余計に
孤独感を感じている日々でした。

学校にも友達はどうしてもできず
(話しかけてくれた子はいたんですが、持ち前の人見知り発揮で
 疎遠になってしまいました…
 超陽キャの女子も話しかけてくれたのですが同上)
バイトも全く続かず。

素晴らしく人間失格、って感じでした。
とはいえ今思えば若さって素晴らしいのに。
望んでももう二度と手に入らないのに。
謳歌しなかったのは単純にめちゃくちゃ勿体ないですね。

とはいえ、振り返ったら戻ってくるものでもないので
大学時代の頃の事は記憶から殆ど消えているのですが。
学校行きたくないない病から始まり、お外にでたくない病も始まり、
寝たら悪夢を見る病も始まり→結果寝ないとなり、
最終的に不眠症になりました。
ちなみに現在もバリバリの不眠症です!!

あ、いやそこは脚色して
「いまは元気でよく眠ってよく食べて運動もしてます♡」
って言えたらいいのですが、それただの嘘になるので…。
よく嘘書きブロガーさんっていますが、
「あー嘘だなー」って思いますよん…
オンラインとかで交流すると凄かったりしますし。

と、話は反れましたが、19歳の頃にうつ病で撃沈。
学校が家に連絡してくれて20歳の成人式は入院していました。
ちなみに閉鎖病棟だったんですよ~!

閉鎖病棟って、今は無いのかな…?
とりあえず外出は禁止、医師の言いつけを守ったら
出られるシステムだったと思います。
色んな患者さんが男女放り込まれているし、
男女の境目?も一切なかったので(トイレだけだった)
色んな事件が起きてましたね…。
統合失調症の方も多かったですし、とりあえずごちゃまぜ病棟は
治療には向いてなさ過ぎた( ‘ω‘ )

まあここのネタは面白いのでまた今度書ける範囲で書こうかと思います笑

とりあえず、この病棟から出たさに
「良い子を演じて」卒業?することができました。
意味なくない????????
まあいいか…



④喪女でした

そんななのでもちろん喪女でした。
(喪女とはモテない女、の意味です)
とはいえ何人か地元の人とか、チャットで知り合った人とかとは
お付き合いしたことはあるのですが、結局は私のせいで
お付き合いごっこで終わってしまい。
相手に気を使わせるだけ使わせて、疲れてバイバイ。
って感じが多かったです、20代の頃は。

ちなみに結婚もしたくないし、子どもも欲しくなかったので
20代でもそこは全然気にしていなかったです。
多分上記の願望があれば、頑張ったんでしょうが無かったので…

セク〇ラとかチカンはまああったのですが、人並みかと思います。
多分弱気に見えたのでタゲられやすかったのかも?

いつからかめっちゃ強気人間になったので、
何も起きなくなりましたけどね…!
いいのかわるいのかわかりません…



⑤30代後半からの気付き。

まあそんな時代を過ごしてきた私です。
未来も変わらず消費されて朽ち果てていくんだろうなー
まあいっか、みたいに思ってました。

結構いるんじゃないかな、そういう人。
なんかもう何もかもどうでもいい。みたいな。
大人になってもメンヘラとか、依存症とか、未だにリスカしちゃうとか、
永遠に一人でいたいとか、めっちゃ汚部屋とか、
全部種類は違うとは思うのですが、
なんというか。
心中お察ししてしまうのです。
それは今になっても変わりません。

それに、SNSとかブログとか、見てれば見てるほど病みません?
キラキラしてる、とか超美人(加工済)とか、
どう見ても20代(加工済)とか、普通に可愛いとか、
女社長とか、シングルマザーだけど副業で月収何百万とか、
起業して年商億とか、居過ぎません???

そしてそれを真に受けてしまう人がいるとしたら…
なんかめちゃくちゃ気の毒になってしまうんです。
だって、大体(加工済)のお話だから。

他人の事なんて別に信用しないでもいいんですよね。
勿論わたしも含めて。
あんまり言うと何処からか怒られそうなのでやめておきますが、
とりあえず鎧で固めたハリボテの人生論を語る人の
嘘を嘘と見抜く目は必要だったりします。
もう数が多過ぎてワケわからんのですけどね・・・、

信用できるのって結局、ハンドメイド作家さん(上手い)だったり
イラストレーターさん(AIじゃない)だったり
ブロガーさん(AIじゃない)だったり、
歌ったり踊ったりが上手な人だったり、
一般的でない感情論にさえ寄り添える人だったり。

本物感がある人なんですよね。
会社をやめて、自分で事業を始めて確信したことです。
確かに駅前で通路塞いで踊ってる人とかは意味わからんw
となるのですが、それは一旦置いておくとして。

「本物感」を知ることって大事だなと改めて思った次第です。
ネットには模造含み情報情報が溢れすぎていますし、
全部に間を受けて生きていると大変なことになります。


⑥そんな私が。


というわけでここからは次回予告になります。
結局、大学卒業後に某企業へ就職しました。
そこで再度鬱病となり、診断書を貰いお休みを頂いていました。
その中で、こんな私なので「一般企業に勤めるのはむりぽ」
という結論に至ったのです。

ならば自分で事業を起こせばいい。
人の顔色伺って、残業して、青い顔で仕事したくないから。
やるなら自分の好きな事でやりたいから。
そんな理由ではじめたのが起業です。

なんだ、お前も一緒じゃん。と思った方はいると思います。
大体の方の仰る転機のマイナスの理由が
・シンママだから
・借金からの脱出
・夢を追いたい
・楽して稼ぎたい
・スマホ一台で稼ぎたい
こんな感じだと思います。
どれにも属さない私の理由は上記の通り
・一般企業で勤めるの無理だから
です。
これ、実はすごくわかりやすくないですか?


そんなわけで次回は就業~先の事を書いていきます!
ちなみに
『前向きにポジティブに頑張る!』
なんて気が無いので、(むしろ逆が近い)
気を抜いてゆるゆると読んで頂ければ幸いです。

宜しくお願いします(*'▽')


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