見出し画像

デジタル化時代の罠

僕:「この機能、早期にリリースしましょうよ」
A:「いや、でも別の施策と実施がかぶり、どちらの効果かの紐付けができなくなるので、リリース時期ずらしたいです」

これは実際に現場で起きた会話です。

デジタル化が進んだことにより、あらゆる数字が可視化され、特にマーケティング視点でいうと効果検証の幅が大きく拡がりました。

一方で、検証できない事象に対する価値の暴落や、目の前の数字の最適化に追われるがあまりミクロな改善精度があがった結果、マクロな事業の本質視点が衰えているようにも思えます。

冒頭の例でいうと、ユーザーにとっては1分1秒でも早く、よりよいサービスを提供してあげることが、最優先事項であるはずなのに、検証ができないから、という理由でスピードが落ちてしまうのは本末転倒です。また全くもって良いか悪いか分からないはずはなく、例えばアプリであれば不満があればユーザーレビューにすぐ反映されますし、良ければなんとなくベースのDAUが積み上がっていく傾向は見て取れます。


広告の話しでいうと、例えばWebの運用型広告をやっている方はイメージつきやすいかもしれませんが、CPAを数%でも改善し、獲得件数を向上させることに躍起になっていると思います。

では、結果それが本当にマクロ観点でみる事業成長にとっての最適解なのでしょうか。昨今の広告の予算割り振り先として「◯◯が好きな人」に「◯◯の広告出しましょう」という使われ方が主です。何故ならそれが一番獲得効率に寄与するから。

では、そもそも「◯◯を好きになる」ための広告という観点でいうとどうでしょう。「好きになった」という定性評価がし難いという理由で、中々予算割当の意思決定が難しいのが実情ですが、一方で「若者の◯◯離れ」というのは、こういうところの企業努力の低下から発生しているものでもあると仮定できます。

これは、メディアサービスのレコメンドの話も同様です。あらゆるデータが蓄積していく中、どんどん「好きなもの」にパーソナライズされていく一方で、これもやはり「新しく好きにさせる」ためのレコメンドという視点が意外と抜けていたりします。


数値で見えないものに対する意思決定が鈍くなるのは、結局みんな数式を解く能力が高まっていく一方で、応用問題を解く力が鈍ってきていることにイコールしていると思っています。

AであればB。それがデジタルで生きている人たちの8割。もしかしたらもっといるかも知れない。

でも僕はAだとしてもBだったりCだったり、そこには無限大の可能性があるかもしれない。だからこそ、いくら短期のPDCAが上手くても、スケールしない人や企業はたくさん存在します。

デジタルの時代だからこそ、本質価値を見失わず、足元利益ばっか見ず、何のために自分の仕事は存在するのか、を今一度立ち返ってみてほしいな、と思います。

いつも読んでいただいてありがとうございます。サポートいただいた金額は、常日頃の感謝を込めて妻への労いに使用させていただきます。