土萠めざめ
エッセイ集
掌編小説集。
特に心惹かれた文章や、保存したい文章などを追加していきます。
詩集Ⅱ
詩集Ⅰ(完結)
「リストカットしちゃった」と親友に告白された14歳の私は何と答えるのが正解だったのか、今でも時々考え込む。 22年生きてきて、今まで出会った人の中で、自殺したい、と話してくれた友人がふたり、自傷癖のあった友人が3人ほど。その人たちの影響で、自殺や自傷をしてはいけない理由を何度か考えたけれど、答えは出ていない。 「命は尊いから」、「親からもらった大切な身体なのに」、そういう理由で自殺や自傷を罪とする考えは腑に落ちない。 「地獄のような人生の中で苦しみ続けるより、まだ見ぬ『無
「ふつう」を捨てる、一度書き終えて公開した後もずっとモヤモヤとしていたので、改めて考えたことをあとがきのような形で追記しました。長くなりましたが読んでいただけたら嬉しいです。
「30になって心境の変化はあった?」と聞かれた時、微酔いで「恥ずかしながら、今更人付き合いって大切だなと思うようになったよ。」と即答した自分がいた。学生の頃の私だったらあり得ない発言だ。他人からの評価ばかり気にしていたあの頃の私にとって、人付き合いは恐怖でしかなかった。端的に言えば、私には社会性というものが欠如していた。周りの人たちの「ふつう」を知らなかったし、「ふつう」ではない自分に対して、気が狂いそうなほどの羞恥心を抱いていた。「ふつう」ではない自分が「ふつう」の人たち
最近、息子の瞬きが多い。もしも音が鳴るなら、パチパチ、という可愛らしい音ではなく、ギュッ、という痛々しい音がすると思う。両目をつぶるのと同時に、口元がギュッと上がるのだ。 チックじゃないかと疑っている。チック、とは自分の意思とは関係なく体の一部が動いてしまう精神的な病気だ。子どもに多く、神経質な人がなるらしい。ストレスが原因になるという説もあるし、そうではないという説もある。 もしもストレスが原因だったら、私のせいだろうかとふと思う。 親から受けた教育の影響は大きい
眠りに悩まされる人生だ、とつくづく思う。この頃は、若い頃の睡眠不足を埋め合わせるように、長く長く眠る日々が続いている。眠れないのも、眠りすぎてしまうのも、困ったものだ。 昔は眠るのが苦手だった。寝つくのに時間がかかったし、夢の中でも嫌な思いをすることばかりだった。高校生の頃は受験のために寝る間も惜しんで勉強し、眠っている時間をムダだと思っていた。するといつからか毎晩のように金縛りに遭うようになり、数々の幻覚を倒してからやっと眠りにつけたかと思えばすぐ朝が来た。睡眠不足の
子どもの頃、死ぬことが怖くてよく泣いていた。このトンネルを抜けたら、事故に巻き込まれて死ぬのではないか。眠っている間に大きな地震が起きて、明日の朝には死んでいるのではないか。いつもそんなことを想像していた。しかし「その時」は今日まで来なかった。もうすぐ私は30になる。 何度も「死ぬのではないか」と恐れて、結局死ななかった。このまま100歳まで生き延びて、現実も夢も区別がつかなくなった頃に、気づいたら死んでいるのかもしれない。そんなふうに、いつしか私の中で、「死ぬことは遠い
10年ほど前に嫌な別れ方をした人からもらったものを捨てた。 正確に言えば貸してもらったのだが、返す前に相手から連絡手段を完全に断たれたので手元に残ってしまったものだった。これも俗に言う「借りパク」にあたるのだろうか。 傷つけられた悲しみと、他人のものを返すことができない罪悪感。 なんでずっと持っていたのだろうと思いつつも、なんとなく捨てるのは躊躇われて、一度ゴミ箱に入れたものを取り出して数分間眺めていた。けれど、やはり捨てることにした。その人のことを思い出すだけで嫌
保活、という言葉を知っているだろうか。 子どもを保育園に入れるための活動、略して「保活」である。私は自分が子を持つまで知らなかった。 人口の多い都会に暮らす親たちは、保育園の「椅子取りゲーム」に勝利すべく必死に情報戦を繰り広げている。近年はコロナウィルスのせいで預け控えの傾向があったり、子どもの人数自体が減ったりしているために、以前と比べたら待機児童は減ったそうだが、それでも希望する保育園に容易く子どもを預けられるような状態ではないだろう。 転勤先で知り合った夫と結
随分前に作ったまま放置していたはてなブログに文章を載せていこうと思った。これまで長い間noteに投稿していたが、それをやめるつもりはない。ただ、はてなブログユーザーの方とも交流したくなったのだ。要は自分の書くものをもっと沢山の人に読んでもらいたくなった、というわけだ。 noteは、様々な作品が入り乱れてタイムラインを流れてゆく感じがある。それはそれで面白いのだけれど、はてなブログは、昔からある「ブログ」の形そのままで、閉ざされた世界であり、巡っていると作者の自室を覗き見
遅くなりましたが、社交不安障害(SAD)についてのエッセイ、後編も書き終わりました。前編よりも更に長い文章となってしまいました。単純に育児や勉強で忙しかったこともありますが、過去の辛かった出来事を思い出すのもまた辛く、なかなか筆が進みませんでした。でも書けて良かった……
SADの症状に苦しみ、半引きこもりのような生活を送っていた私も大学生となり、上京して親元を離れなければならなくなった。眼科に一人で行くのも辛いのに、知り合いのほとんどいない都会で暮らさなければならないと思うと、怖かった。 当然、初めは失敗続きの日々だった。思い出すだけで恥ずかしくなるような出来事が沢山あった。アルバイトの面接にも、何度落ちたか分からない。 しかし、東京の人混み自体は何故か居心地がよく感じられた。「他人の視線」に恐怖を感じる私だが、人があまりにも多すぎる
SADについてのエッセイ、読み直したら初っ端からSocialの綴りが間違っていました……恥ずかしい。やっぱり何度も何度も読み直してから投稿しないとダメですね。
「SADは、悲しい病気です」、と全校生徒の前で言ったのは、校長先生だった。私はその言葉を聞いたとき既にSADの存在を知っていたから、おそらくそれは高校の離任式での出来事だったはずだ。 SAD。Social Anxiety Disorder、社交不安障害のことである。 社交不安障害とは、かつて対人恐怖症やあがり症と呼ばれていたものを包括する概念である。社交不安障害を持つ人は、他者に「見られている」状況において過度な不安、緊張、苦痛を感じる。例えば、知り合い程度の関係性の相
大学生になって、もう勉強なんて真面目にしないぞと思っていたのに、気づけば私はものすごく真面目な学生になっていた。 受験勉強に必死になりすぎて忘れていたけれど、そういえば私は元々勉強が好きだった。一人で部屋に籠って新しい知識を吸収すると、世界が広がるようで楽しかったのだ。 大学の授業は、一人で勉強するよりもますます面白かった。自分の興味のある授業を選択できるし、ちょっと変わった教授たちが、冗談交じりに面白い話をたくさんしてくれる。私は、朝早い授業も受講したし、授業にはきち
人には、元々持っている知能水準、俗に言う「地頭」よりも極端に高い学業成績をおさめてしまうタイプと、元々能力が高いにもかかわらず、成績が伸びないタイプとがいるらしい。前者をオーバーアチーバー、後者をアンダーアチーバーという。 私は確実に前者だ。オーバーアチーバー、よく言えば頑張り屋さん、悪く言えばガリ勉タイプである。 学歴はその人が社会に役立つ人間か否かを証明するものだと思っている人は未だに多い。私の両親もそんな学歴主義者であり、私が良い大学を出るようにとあれこれ手を尽
子どもの頃の私は、親が私に向ける愛情に敏感だった。いや、今でもそれは変わらない。こんなことを言われて傷ついた、あれをしてもらえなかった、と文句を言い出せばキリがない。程度の差こそあれ、きっと誰だってそうだ。親に「正しく」「十分に」愛されたいと願ってしまうのは、人の本能なのだと思う。 お産を終えて吐き気を催しながら病室に戻ってきた私は、ベッドに横たわり、身体中の痛みに耐えながら天井を見上げていた。疲労困憊しているはずなのに、全く眠れなかった。頭の中では、初めて対面した我が