品性について

「品性」とはなんでしょう。

礼儀、知性、身だしなみ、経済力…どれも近いようで、ぴったりとは重ならない。

私は、品のある人、を思い浮かべる。過去に恋をした、お金持ちで、世間知らずの、夢想家な男の子たちを思いだす。彼らの纏う、上質な空気を思いだす。

結局それらは「育ちの良さ」から来るものなのかしら、などと首を捻る。

仮にそうだとしたら、私には「品性」のかけらもないことになるから、私はひどく落胆した。

では「下品」とは。

性的な話をおおっぴらに話す人々を見ていると、ああ下品だなあと頭では感じるけれど、いくら汚い内容を話しても、どこか品のある空気を保ち続けている人もいて、不思議だなあと思う。

最近、こんなことがあった。

とある女性とケーキ屋に一緒に並んでいた時、狙っていたケーキを、前に並んでいた若者の集団に注文されてしまった。その時、彼女は「あら、とられちゃったわ」と聞こえよがしに発したのだ。

私の脳内で「下品」、という文字が警告灯のようにチカチカ点滅したのはその時だった。

「品性」とは、自らの浅ましさに対する羞恥と同義なんじゃないかと私は思った。

人間なのだから汚らしい部分は必ずあるし、それを抑え込むのが善だとは思えないけれど、せめてオブラートに包むとか、ちょっと反省の色を見せるとか、そうするだけで人は「精神的に上品」に見えるものじゃないでしょうか。

どんなに美しい衣装を身に纏っても、食事のマナーに精通しても、貪欲さを隠すことができなければ、精神的に下品だ。

と、自分なりに定義づけたら妙にすっきりした。

ただ、私は「上品さ」を全肯定しているというわけでもない。「上品な人」は、私の定義に沿えばつまり「隠し事の上手な人」でもある。それは「狡さ」であり「弱さ」かも知れない。

それでも私は上品な人に惹かれる。自分を美しく善く取り繕おうとする汚い努力に、魅せられる。