歯を磨く、生活を愛す

 今日は歯医者に行った。美しく健康的な女性が、私の中を覗き込んだ。澄み切った土曜日の朝、この歯科衛生士は働いている。人々の口の中に、鋭く冷たい視線を送っている。彼女は、私の知らない世界を見ているのだ。どんなに綺麗に着飾った女性でも、その口内は淀んでいるかも知れない。この世はまだまだ深い。見えないモノばかりだ。
 帰り際、痛かったですねと声をかけられた。治療中に右腕を握りしめた左手を、歯科衛生士は見逃さなかったのだ。ほっとして部屋を出た。またひとつ私は健康になった。

 健康、といえば彼女を思い出す。毎日ジョギングとストレッチを欠かさない。料理が趣味で、妹の分まで食事を用意する。食べることが好きで、好物はチーズとアボカド。地味だが品質の良い服装と、美しい文章を好む。
 その人は私の友人であり、尊敬する女性でもある。
 彼女の健康志向は、信念と言うほど押し付けがましくない。何かに突き動かされるかのように、自然と、正しく美しい方向へ歩いて行ってしまう。それが彼女の生き方だ。
「どうして毎日走るの」
 と、尋ねたことがある。彼女の答えはこうだ。
「ずっと走ってきたから。走らないと気が済まないから」
 また彼女はこう言った。
「身体を動かすから食べたくなるのか、食べる為に身体を動かしているのか、時々分からなくなる」と。

 一方の私である。ハタチになったその日に煙草を吸った。食べることが嫌いだった。睡眠時間を削ってばかりいた。自分の身体なんて大切にしたくなかった。
 料理にもジョギングにも興味は無かったし、身体に悪いものばかり摂取していた。
 彼女はそんな私に一度も説教をしなかった。だからこそ、私は自然と彼女の「正しさ」に気づけたのだった。

 正しく美しく生きる為に、彼女は日々の繰り返しを丁寧に、丁寧にこなしてゆく。ジョギングはラジオを聴きながら、少しずつコースを変える。一方、ストレッチの順番は、絶対に変えない。その日食べたものを、写真に残す。眠る前には、必ず日記をつける。

 私は大きな夢ばかり見てきた。その代わりに失ってきたものがある。日々の生活への愛である。
 いつだって、今ここにある日常から遠い場所を夢見て、無我夢中で生きていた。手作りのスープの温かさや、小さな汚れを落とすことや、新しい洋服に袖をとおすことや、そういった小さな喜びを、否定し続けてきた。

 今、私は6時前に起床して、12時前には就寝する。朝昼晩と歯を磨き、毎日必ず野菜を食べる。煙草はとっくにやめてしまった。
 こうして何かを取り戻そうとしている私である。少しは幸福になれたのだろうか。別の何かを諦めた証拠だろうか。

 確かに言えることは、私は日常を愛せるようになった、ということだ。