自死と自傷は罪ですか

「リストカットしちゃった」と親友に告白された14歳の私は何と答えるのが正解だったのか、今でも時々考え込む。

22年生きてきて、今まで出会った人の中で、自殺したい、と話してくれた友人がふたり、自傷癖のあった友人が3人ほど。その人たちの影響で、自殺や自傷をしてはいけない理由を何度か考えたけれど、答えは出ていない。

「命は尊いから」、「親からもらった大切な身体なのに」、そういう理由で自殺や自傷を罪とする考えは腑に落ちない。
「地獄のような人生の中で苦しみ続けるより、まだ見ぬ『無』へとドロップ・アウトしたい、その方が楽だ」と考えてしまう気持ちは想像できるし、そんな考えにとりつかれるほど辛い日々を過ごしている人達に、命や身体の大切さを説教しても、届くかなあと思う。

本当に死にたい人は死ねばいいと思うし、自分の身体を傷つけたい人は傷つければいいと思う。それがその人にとっての苦しみからの解放の形ならば。
感情論抜きにして考えるとそういう結論に達してしまう。だけどそう言い切ってしまうのはあまりに冷酷だ、とも思う。

実際に目の前に死にたがっている人がいたら私は確実に止めるだろう。
なぜ?その人に死なれたら私が傷つくから。

自殺や自傷が罪であるとすれば、生きようとしている人たちを傷つけるからなのではないかと思う。身近な人に自ら命を絶たれたら、周囲の心優しい人間は自分を責め続けてしまうだろう。そのことに無自覚な人もいれば、分かっていて傷を見せびらかす人もいる。

たとえば、いじめられっこが世間の注目と同情を集めようとして自殺を考えてしまう例がある。それは、いじめっこへの復讐の一つの形でもある。
だけど実際には、いじめっこの罪というものは「鈍感さ」にあるもので、自分がいじめた相手が自殺してもそれほど傷つかないかもしれない。逆に、それほど虐めに関与していなかった周囲の優しい人間の方が、助けてあげられなかったことについて深く胸を痛めたりする。結果的に傷つくのは悪の元凶ではなく優しい心の持ち主なのだ。

でも、多くの場合、自殺や自傷のことばかり考えている人は自分の苦しみに捕らわれてしまっていて、意外な誰かを傷つけていることに気づいていないのかもしれない。もしくは、世界を忌み嫌っているゆえに開き直っているのかもしれない。だとしたら、私は傷つかないように、彼女らの見えない心の刃と闘うしかない。

……と、結局、こんなふうに感情論に終始してしまう。
私にとって、これからもずっと考え続けていくべきテーマの一つだと思う。

蛇足ですが、私は心根がうまい具合に鈍感で明るく負けず嫌いであり、死への恐怖感が人一倍強い為に、本気で死にたいと思ったことは多分無いと思う。
そんなことを考えていた時に読んだ、後藤明生の『円と楕円の世界』の中で自死について触れられていた部分が面白かったので引用します。

「わたしは自殺しようと考えたことのない人間だ。(略)ごく平凡ないい方をすれば、おそらくわたしが『小説とは生き恥をさらすことと見つけたり』と考えてきたためと考えられる。」

「『生き恥さらした男』の目をもって、なおもわたしが生きながらえているこの世界を見続けるためには、現実において生きながら葬られたものとならねばならぬ」後藤明生『円と楕円の世界』