裏道を歩く

 目的地まで、いつもの道を歩いて行くか、遠回りして裏道を歩いて行くか、迷う時がある。大抵、裏道を選ぶ。そうして、初恋を思い出す。

 私が初めて恋というほろ苦い感情を自覚したのは、小学校3年生の頃だった。初恋の彼は、休み時間になるとよく漫画を描いていた。友だちもそれなりにいて、女子にちょっかいを出してはしゃぐこともあった。私にも冗談ばかり言って、笑わせてくれた。
 彼は、お人形さんのようにくっきりした二重瞼をしていた。だけど、その眼にはどこか翳りがあった。長い睫のせいじゃない。私には見えない、暗い世界を知っているような眼をしていた。

 ある時、彼がぼそりと、「俺の両親離婚するんだよ」と言ったのを憶えている。その時、彼は、ヘラヘラと笑っていた。私は驚いて、言葉が出なかった。離婚、の意味もよく分かっていなかった。何故そんな風に悲しそうに笑うのだろうと思った。胸がぎゅっと掴まれるような気持ちがした。
 そのことがきっかけで彼のことが気になり始めたのか、その前から淡い恋心を抱いていたのかは定かでない。とにかく私は、いつの間にか、彼と一緒にふざけて過ごす時間を愛おしく思うようになっていた。用もないのに、だらだらと、放課後の教室に残ってばかりいた。

 ある日の放課後、私と彼が話していると、突然先生に、「あなたたち、一緒に帰りなさい」と言われた。なんでも、学校の近くに不審者か何かが出たらしい。私たちは、なんとなく、言われるままに校舎を出て、並んで歩いて校門を抜けた。その時、不意に彼が言った。「裏道を歩いて帰ろうよ」。
 私は戸惑った。親にも先生にも、裏道は危ないから通ってはいけないと言いつけられていた。まして、不審者が近くをうろついているかも知れないのに、危険じゃないだろうか、と。
 なかなか頷かない私を置いて、彼はどんどん先に歩いて行ってしまった。そしてふっと左に曲がり、細い道の奥へ消えた。
 私は彼を追いかけることができなかった。怖かったのだ。歩き慣れた道を外れることが。一瞬の恋心の為に、冒険をすることが。
 独り、いつもの道を歩きながら、裏道の彼はどうしているだろうかと思った。しばらく進むと、前方の脇道から彼が出てくるのが見えた。私はほっとして、駆け寄ったのだと思う。しかし、彼は、怖い顔をしていた。私に冷たい一瞥をくれると、こう言った。「そんなに俺と一緒に帰りたくないんだ」と。
 違うよ、などと口ごもる私を振り切り、彼は先を歩いて行った。私はその背中を見て、立ち竦んだ。後悔が心の底からこみあげてきて、全身を揺らすのを感じた。

 それから、初恋の彼とは一緒に遊ばなくなった。私は他に好きな男の子ができて、彼のことを忘れて行った。同じ中学校に進学したけれど、彼は間もなく不登校になったらしく、学校で姿を見ることもなくなった。

 今でも時々思う。あの時裏道を歩いていたら、私の人生は違っていたんじゃないかって。

 先日、風の噂で、彼が結婚したことを知った。もう会うことも無いだろうけれど、この世のどこかで、彼が幸せに生きていればいいなと思う。