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「Fラン大学」「底辺のお仕事」炎上問題で思うこと

 精神科医療に携わってきた心理士(近日退職予定)が、思うところを自由につぶやいています。

 今回は、就活サイトが掲載した「Fラン大学」「底辺のお仕事」の記事が炎上している、ということについて(面倒くさいので、引用もしません。ググってみてくださいませ)。しょーもない話題なので、今さら私ごときが燃料を投下する気にもならないのですが、思うところを記しておきます。

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 「Fラン大学」という言葉があるのですね。ふわっとした(悪意があることだけが確かな)言葉で、明確な定義がある訳ではないようなのですが、およそ「偏差値35以下(未満)または、恒常的に定員割れしている大学(学部)」を指すようです。「予備校の偏差値ランキングで、偏差値の数字がつかない大学」とする立場もあるようです。

 念のために書きますが、偏差値とは、いわゆる「相対評価」です。一定の算定式により(機械的に)算出される数字であって、(正規分布において)集団の数%は、自動的に「偏差値35以下(未満)」に振り分けられてしまうのです。集団全体の(もちろん個人の)点数の高低とは無関係に、です。同じテストを行い、平均点が30点だった集団と、平均点が90点だった集団とでは、同じ「偏差値35」でも、意味するところは全く違います。偏差値で輪切りにした上での「Fラン大学」批判。これは全く意味をなしません。

 ちなみに、私はとある大学で非常勤講師をしています。その大学は、決して「偏差値の高い」大学ではありません(予備校のランキングで、ちゃんと数字はついているよう)。しかし、教える側からしたら、「小さく産んで、大きく育てる(成績の低位の学生さんを、しっかり育て上げる)」ことが、最大の教育効果といえるので、私に向かって直接“Fラン批判”があれば、受けて立ちます(笑)。がんばります。

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 話は変わって「底辺のお仕事」問題について。職業の貴賤を侮蔑的に話題にする人は、いつの時代にもいますね。私が若かった頃には、「3K職場」(危険、汚い、怖い)という表現がありました。

 あの時と違って、今の日本は、残念ながら、よりよい(豊かな)未来を無邪気に信じることができない時代を迎えています(希望が、潰えてしまったのか、中断しているだけなのかは、私には分からない)。分厚い中間層が崩壊し、一部の「超富裕層」以外は、みな「底辺」といっていいくらいの格差社会なのです。なので、職業についても、ごく一部の職種・職場を除けば、あらゆる職業・職場が「底辺のお仕事」なのではないでしょうかね。それなのに、弱いものがさらに弱いものを叩くような言説を為しても、社会の分断が進みこそすれ、職業生活・尺場環境の改善には寄与しませんよ。むしろ、手を取り合って(協力して)立ち向かっていく必要があるはずです。「弱きもの、団結せよ」です。

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 「Fラン大学」にしても「底辺のお仕事」にしても、格差と自己責任論とが結びつくと、ろくな結論にならないと思いますね。分断された社会は、(為政者にとって)御しやすいんです。一方で、主な社会革命は、庶民が団結し立ち上がったから成功したわけですし、ウクライナの国民は、愛国心の下に団結し闘っているから、巨悪の侵入を何とか食い止められているのです。

 いろいろな意見・立場・力量の人たちが、どうしたらつながり合えるのか。組織を離れて地域に出る私の、大きな宿題となりそうです。

(おわり)

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