梁川梨里(やながわ りり)

「ひつじの箱」七月堂(第二詩集) 現代詩手帖、詩と思想の入選作を中心にした詩集です。ご…

梁川梨里(やながわ りり)

「ひつじの箱」七月堂(第二詩集) 現代詩手帖、詩と思想の入選作を中心にした詩集です。ご連絡くだされば、梁川より購入可能です。 詩と思想 2017年現代詩の新鋭 HP『あおのむらさき』http://ririnahoriri.wix.com/ririyanagawa

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最近の記事

新詩集のこと

新詩集を上梓することを決めた。 2年前に上梓するつもりで準備するものの、詩の活動自体を休止したため、無期延期していた。そもそもわたしは「ひつじの箱」で詩集の上梓を終わりにしようとしていたのに、なぜ次の詩集を出そうとしているのか。 諸々理由はありつつも、最終的にはなんとなく「また、やってみたい」なのかもしれない。そもそも詩集をつくるには決して安くないお金がいる。私家版だっていいじゃないか、そこも考えた。 ただ、「ひつじの箱」の上梓後に詩誌に幾つか載せて頂いた詩の中には、まとめ

      • 苦界浄土という世界 

        石牟礼道子「苦界浄土」を読んで 「不知火」という現象の名をした海、に根付いた水俣の地の景色を、おそらく訪れた以上の感度で浴びていた。それは、シナプスを刺激するには十分で、わたしの中にもあった遠い日の、からだの中に置き忘れた風景が湧き上がり猛烈な懐かしさの波を受けて、しばらく動けずにいた。 私にとって死とは「全ての終わり」であり、わたしが終わった後には世界は存在しないのだという虚無感に苛まれていた。それが作中の「やさしい死」に出会い、死生観が揺れた。もっと「自然」の近くで暮

        • 七月堂のヤバイ本フェア

          梁川の第二詩集「ひつじの箱」の版元である七月堂さんの ヤバイ本フェア がはじまります! 梁川も寄稿させて頂いておりますので、ぜひはじまりましたらご覧ください。 このフェアでは、七月堂から出版されH氏賞受賞詩集「髙塚謙太郎『量』」を特集した冊子の無料配布もあります。TOLTAによる解説、37人の詩人、作家に聞いた「あなたにとってヤバイ作品」(←梁川はこちらに寄稿)これは二度とないチャンスです! 遡ること一年前、コロナ禍の前に寄稿依頼を頂き、フェア開催を心待ちにしていたところ、

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        • あおのむらさき (詩、朗読)
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        • わたしのなかのひとり (エッセイとつぶやき)
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        • 写真のことば
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        • 短歌のようなことば
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        • 稀なる完成した小説(もどき)
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        • 入院、手術のこと。
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        記事

          ココア共和国が季刊だった頃

          ココア共和国の感想を書かせて頂いていますが、ココア共和国が季刊だった頃、憧れだったことをnoteをはじめたばかりのわたしはこのようにかいていました。 懐かしさもあり、月刊誌になった「ココア共和国」の手のひらサイズが、すっかり手に馴染んできたのを感じています。

          ココア共和国が季刊だった頃

          「そして私は霊媒師になった 2階に住みつく父母の敵を一喝」を読んで思うこと

          「なかまある」というサイトの「もめない介護」からの記事「そして私は霊媒師になった 2階に住みつく父母の敵を一喝」を読んだ。 唸った。これこそが「傾聴」だ。文字にすればたった二文字を、これほどまでに実践した例をみたことがなかったからだ。以下の記事を読んで頂ければ分かるが、ざっとまとめてみる。 そして私は霊媒師になった 2階に住みつく義父母の敵も一喝 もめない介護97 義父母が「2階に誰かがいる」「毎晩、寝室に入ってきて物を盗ってゆく」と訴えはじめ、痴呆が発覚。物忘れ外来の

          「そして私は霊媒師になった 2階に住みつく父母の敵を一喝」を読んで思うこと

          終わりの予感

          風の強い夜。 海の底に引き込まれそうになる。 抗えない。 きっと、こんなふうにわたしは、ここを去るのだから。 明日の来ない夜に、わたしは何を思うのだろうか。 いつも終わりの予感ばかりにフラグが立ってしまう。さよならが怖くて、出会わないことにした。何もうまないし、何も育たない。 生産性に乏しいわたしは、今、ここにいる意味などないことを知っていて、それでも、また耳をそばだててしまう。 一番明るかった夏の日に、パリンと割れる音がして、硝子が飛び散った猛暑の中で、わたしが笑って

          「片袖の魚」全文書き取りをしました

          先日、大好きな詩人である文月悠光さんの「片袖の魚」という、文月ファンの私が今最も好きな詩、を全文書き取りしてみた。 細やかな息遣いが聴こえてきた。 句読点。「その」という連体詞の配置。一連目と最終連の同一の一行「あなが誰かのものになっていく。」の効果。 小学生の頃、全文書き取りの宿題をよく出す先生がいた。きれいに書かないと駄目、指定された教科書に載っている小説を10枚以上を書き写すという宿題は「指」を酷使した。数日かけて全文を書くのだが、そのせいで、小学2年生で鉛筆ダコ

          「片袖の魚」全文書き取りをしました

          ココア共和国3月号やながわの感想

          ココア共和国やながわの感想です。ご無沙汰しておりました。前回から時間が経ってしまいましたが、何をしていたかというと、詩をかいていました。それも、これまでにない勢いで毎日、電気の消えた部屋で、電気スタンドで灯りを取り(家人が寝ているため)新しくかいたり、以前のものを改稿したり。投稿欄時代も(時代?)これほど毎日、詩に向かったことはなかったと思います。まあ、わたしのことはこのへんで。 今回は、10作品で力尽きました。(2021年3月7日現在)作品と向き合うことは、作者の情熱を受

          ココア共和国3月号やながわの感想

          かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを (アナグラム詩)

          ものさしはひとさえもしやにかく くさきをたおるしももしらないふゆ 物差しは人さえも視野に描く 草木を手折る霜も知らない冬 しらゆきもふとやさしいはなをたおる しのひくもにえかくさもしさ 白雪も、ふと優しい花を手折る 忍び、雲に描く、さもしさ ふたつ作ってみましたが、類似が見られますね。どうしても「手折る」から逃れられなかったことが明白です。「る」ってしりとりでも断然難しいので、動詞にしたかったとか、あちこちに手ぐせが出るものの、それこそがアナグラムの無意識の意識ゆえな

          かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを (アナグラム詩)

          かくとたに×5(アナグラム詩)

          たたくかたににたかかとに にかくととく とかくたとくに 叩く肩に似た踵に 苦く届く とかく多読に かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを 梁川の一番好きな百人一首。最初の5文字を5回リフレインしてみました。短い言葉の繰り返しは、似た言葉になってしまって、ううむむむ。しかし、「苦く」と「届く」になった瞬間、ああ!この言葉の生誕を無作為なわたしの指が決めたこと、そしてやや強引ながらも、なんか作為的でもあるということ、これこそがアナグラム詩の楽しさなんだ

          かくとたに×5(アナグラム詩)

          夜 (アナグラム詩)

          せみのこえは まさになつをかきて へやいちめん らむねとほし くゆるふたり そろうおもひ わすれぬよあけ 蝉の声は まさに夏を描きて 部屋いちめん ラムネと星 燻るふたり 揃う想ひ 忘れぬ夜明け  初めてアナグラム詩を作ってみました。 「あ」から「ん」まで46文字を一度だけ使って作りました。あっちが足らずこっちが足らずで行ったり来たりが脳の運動には最適かも。 みえるさんの企画に参加させて頂きました。 アナグラム詩の「作り方」はこちらがおすすめです。これでないとだぶり

          夜 (アナグラム詩)

          「圧倒的な光と寂寥」トレモロ/萩野なつみ 詩集評

          先日、この詩集評を沢山の方に読んで頂いたようで感謝しております。(読んで頂いた数が梁川note歴でトップでした) こちらの詩集評は、とある詩集評の公募に出したものなのですが掲載されなかったため、こちらに発表した次第です。 梁川はじめての詩集評だったので、公募に出した時の形式(縦書き)で残しておこうと思い再度掲載しました。noteは横書きなので、縦書きだと、イメージもだいぶ違うかな、と。

          「圧倒的な光と寂寥」トレモロ/萩野なつみ 詩集評

          圧倒的な光と寂寥

          「トレモロ」とは、「単一の高さを連続して小刻みに演奏すること」らしい。「たたん、たたん」という音が表記された詩、「あけぼの」を、まずみてみたい。  寝台特急「あけぼの」は、二〇一五年に運行終了となったブルートレインのことだ。「今はない」列車の旅は、2050(二十時五〇分)に上野を出発し、638(六時三十八分)に秋田に着くまで続く。作者の見ている風景は、記憶なのか、あるいはまったくの虚構なのか、そのあわいを揺れているように感じる。それは、闇から光へ向かう旅だ。 537(五時三

          ココア共和国12月号やながわの感想

          すでに1月号の告知が出ているというのに、12月号やながわの感想をやっとUPしている。 さて感想。 「ある日私が完成していたこと」あけめねす 「私」は、一昨日くらいに私は完成していたという。指も足も手も口も「僕」の言うとおりにしか動かない、それって、これまでは僕でないものでも「動かせていた」ということになる。完成した「私」は、川沿いの工場まで行かないことを悲しくない。完成したら「変わってしまう」。未完成ゆえに、つまらないことにも無駄なことにも笑えて、泣けるのかもしれない。

          ココア共和国12月号やながわの感想