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手術の日

手術の方法等は、病状、医師、病院によって大きく異なります。あくまでも参考程度にご覧ください。

0時より絶飲食。朝の7時までは用意した二本の500mlのクリスタルガイザーのみ口にしてよい。
産科で緊急手術が入れば時間が遅れると言われていたが、おおよそ9時半から3時間か4時間(うち1時間が病理検査(開腹のまま))卵巣を左右摘出し、病理にまわす。
今まで経過観察していたのと違うほうの卵巣がもやもやっとして見えるため(このもやもやが、とても的確な表現なのを感じる)両方の摘出となった。

9時45分 「手術になります」
手術室の二枚の扉の一枚目で、むすめふたりと父母と別れる。
長女の「ママ、頑張って」にわたしはあえて振り向かなかった。
全身麻酔へのトラウマゆえに。

わたしが小学生の頃、夏休みになると新潟の叔父ちゃんの家へ海水浴に行っていた。
その叔父ちゃんが心臓の手術をするという。「大丈夫だよ」と笑って手を振って入っていったあと、叔父は遺体で出てきた。
伝え聞いたこの話は、トラウマになった。
すこしたった頃、母は遠い目でこう言った。
「昔のはなしだからそれで終わったけど、医療事故だったのかもしれない」

そう、昔に比べれば今の医療は進んでいる。
全身麻酔での合併症で心停止等の症状が発生する確率は100万件に3件。(とある資料より)相当に低い数値だ。

でも、ゼロではない。

入院前に遺書をかいた。
しかし、よくよく考えれば、死んだあとのことなどわたしがどうこう言う問題ではなかった。葬儀は、残されたものの気持ちが済めばそれでいい。死んだものの「何かして欲しい」は、おかしな話だ。せいぜい通帳の場所を知らせるくらいで十分。自分がそういった仕事をしていたので、色々書きたくなったが、次回は意味がないのでやめよう、と思う。

手術室の扉の前で、名前と手術内容を告げ、右手のIDタグをピッとされて入室。よくドラマである紙の簡易帽子をかぶり、台の上にのるのと同時に、ものすごい勢いで準備がおこなわれた。
手術着を引き抜き素肌に何かをかけた(見えない)
あらゆるモニターがパチパチとつけられる。
もう目にも留まらぬ速さに圧巻。

「家族何人来てくれたの?」
「娘ふたり、だんなと両親の5人です」
「たくさん来たね。みんなに愛されてるんだね。よかったね!頑張りましょうね!」
医師が両指を合わせ指ストレッチをしながら晴れやかに笑う。

そのあと酸素マスク装着。
「酸素入ります」
焦げたような匂いがした気がした。あ、やっぱり怖いので手術やめます。台から肩がすこし浮いた気がした、気がしただけだ。そんな迷いを打ち切るように

「点滴から麻酔入ります」
次の瞬間、意識はなかった。

「◯さん!◯さん!」
何人かの声がした。意識がのっそりとこちら側へもどってくると、脳内がどろりとしている。無意識に眠らされた脳が動き始める頃、この「どろり」が一番近い言葉だ。

ベッドを移動したのがどのタイングなのかよくわからない。麻酔とはなんと不快な。。うわ、何、これ。麻酔が完全に抜けないので、ところどころ意識が不鮮明だ。

ただ沼のようなところにいた、
暗く、うちに向かう、気持ちの悪い場所だ。

術前検診で麻酔科医より「痛かったらどんどん押してください。それの方が予後もいいし、我慢しないで」といわれたカチカチを持たされたのでカチカチ押した。(何回押しても3分に1回しか出ないらしいことを後で知る)

気づくと病室に戻っていて「ご家族のみなさん、どうぞ」という声がかすかに聞こえたような気がして、酸素マスク越しに顔が見えたのが、母と長女だった。

時計は「13:30」4時間か、と思う。
「よかったね!頑張ったね!」といわれ、うなづく。
(本当に頑張るのは、これからなのであった、とその時は知る術もなく)とにかく吐き気がして、なんとか元気な母をやらねば!の一心で次女の「体調どう?」に対して「ゲロゲーロ」と答えた。
子宮円錐切除の時にもした血栓予防の足がぎゅーすとんってなるやつ。これがきつい。
痛いのに、気持ち悪いのに、すとん、なのだ。

もうあとは、ぐったり、ドロドロで、
「あ、もう、かえっていいよ」を繰り返していた。精神的にやられる系のこの感じ、これどこかて味わったなー、えーと、そーだ、気持ち悪さのない「陣痛」だ。
だんなからは良性だったこと。子宮は残ったこと。を聞いた。
よかった。
ただ、自分でもおそらく良性ではないか、と思っていた。それでも卵巣が重い気がすると、まずい、やっぱり悪性かも、はやく切らないと!的には動揺していたのだが。

なにせ一番怖いのは「全身麻酔」次が「せん妄」次が「猛烈鬱」だった。
まさかそのどれもがクリアしたのに、大丈夫と楽観していた「痛み」と「吐き気」にノックアウトされるとは!なんということ!
人生は予想と大きく外れるものだ。

良性なら切らなければよかったーー。
つらーーーい。だれか、楽にしてーーー。と
心の中で激しくのたうちながら、痛み止めでうとうとする。
そこから朝が明けるまで、
「こんなに何回も見に来たら眠れないよね」と、なんとも優しい言葉をかけてくれる看護師にも(つらすぎます、これ。。)と悪態つきたくなるほど辛かった。もちろん、言いませんよ。だってスペシャルに一晩あれこれやってくれたのですから。ナースコールなんて不要です。(その後も、点滴終わりましたー以外で使わず)

一番恐怖だったのは耳元で(夜中のため)
「血圧がとても下がっているから、一度痛み止め止めるね」(←ここから点滴の痛み止めは止まり、飲み薬の痛みどめを飲めるまで痛み止めはなしだが、痛みより吐き気のほうがきつかった。)

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