ハイヒールとスニーカーと

 先日、最近の私にしてははなやかな場面があって、久しぶりにハイヒールを履いた。黒い表革で11センチほどのヒールのそれは、シンプルだけれど美しいデザインの一足。白いブラウスにデニムというそっけない組み合わせに少しだけ何かをプラスしたかったので、棚の奥からこれを引っ張り出してみた。仕上げにヘビ皮のクラッチを持ち、左手首には大振りなシルバーのバングル。中年と呼ばれる年齢になってからの私は、たいていこんなスタイルである。


 9センチ以上あるハイヒールを履いたのは、思い起こせば一年半ぶりだった。一昨年の年末、東京アメリカン倶楽部での派手なパーティに出た時に、大量のまばゆい飾りが散りばめられたショートブーツに足を通して以来である。ショートブーツのヒールは13センチ。ほとんど竹馬状態。その時は最初こそふくらはぎにはりを感じたけれどすぐ慣れて、「人間、一度覚えたことはなかなか忘れない&すぐに思い出すというのは、ハイヒールに関しても然りなんだなあ」と我ながら感心したのだった。
 で、その日から一年半ぶりのハイヒールは、というと、午後遅めに自宅を出て、日付が変わる頃に家に帰ってきたのだけれど、途中から右足の小指とその付け根あたりが痛くて痛くて、社交もお酒もじゅうぶんに楽しめなかった。お酒のせいか、だんだん右足の小指付近がじんじんとしてきて、金色の液体が注がれた細長いグラスを上げ下げしながらも、内心は早く家に帰って素足になりたいなあとそればかりを考えていた。
 まあ、そんなことは長い長〜い人生の中で初めてではない。一度や二度ではなく、何度もあった。多くの女子がそうであったように、若い頃(というか中年になる前までは)は、おしゃれというのは半分は我慢でできていると信じていたから、ちょっとした水ぶくれや血豆くらい致し方ないもんだと思っていた。20代や30代の頃は、11センチヒールでつかつかと周囲を威圧しながら歩き回り時には走り回り、挙句の果てに酔っ払って捻挫を繰り返したりもした。真夜中に家に帰ってきて、ハイヒールを脱いだ時の独特の解放感も含めてが、あの頃の私にとってファッションの醍醐味であった。


 そんな私があんまりハイヒールを履かなくなった経緯は別の機会に書くとして、ここ2〜3年、流行にのっとって、足元はスニーカーのことが多い。アディダスやリーボック、ニューバランスなどのスポーツブランドが中心で、トッズだとかセルジオ・ロッシだとかのファッション・ブランドのものもある(サイズがあれば)。流行にのっとって、と書いたけれど、本当に気持ちとしては「便乗」だ。それが気分、それがおしゃれと思うから、という理由ではなく、ハイヒールを履く煩わしさと憂鬱さを「流行」という大義名分でほっぽりだすことができるから、スニーカーの流行に飛びついた。
 夏は必要最低限しか都会に行かなくなったので、足元はたいていビーサンだ。ハワイアナスのきれいめなビーサン(この表現自体が矛盾していると海沿い生活者は思う)から本当にテキトーなビーサン的な草履(こっちのが本当のビーサン)、もしくはファッション・ブランドがリゾート用と称して出している、やたらと凝ったビーサンばなれした値段のビーサンもたまには履く。
 スニーカー、ビーサン、冬にはUGGのブーツなんていう生活を数年ほど送ったところ、私の足はすっかり変貌してしまったようだ。
 一年半ぶりのハイヒールで起こした小指の付け根の痛みがいつまでたっても治らない。スニーカーを履いていようが素足でいようが、じんじんとした感触が続いた。もしかしたら疲労骨折でもしたのだろうかと不安になった。一ヶ月も痛みが続いたので、本当に整形外科に行こうかと思った。診察の時、医師に「久しぶりにハイヒールを履いたら、足の骨を砕いちゃったみたいで」といって、伝わるかしら。
 やっと治ったので、恐らくは骨折ではないとだろうが、この先、私はハイヒールとは無縁の人生を歩むのだろうかと考えてしまっうた。大げさに聞こえるかもしれない。でも、50代になると、そんなことも冗談ではなく実感である。


 流行は必ず終わる。終わるからこそ流行なのだ。
『流行大百科』なんていうタイトルの本で世の中に出た私は心の底からそう思う。終わっちゃうからみんな追いかけるんだよね、きっと。
 スニーカーの流行もいつしか終わる。ダッド・スニーカーを履いているのは、従来通り、真のダッドだけという状態に戻る。その時、みんなはどうするのだろう。華奢なハイヒールが復活するのか、また別に何かが流行るのか。
 私より少し年下の友人はいう。
「一度スニーカーに慣れちゃったら、ハイヒールとか窮屈な靴に戻れますかねえ」
 私は多分戻れない。もう日常的にハイヒールを履いて、足に水ぶくれや血豆が定番なんて無理。そんなストレスを受け入れるぐらいなら、別のことにエネルギーを使いたい。そう思うのは、もちろん年代的なものが大きいだろうけれど、時代的にも「我慢するのはカッコ悪い」という意識が流れているように感じる。


 生前の樹木希林さんが何かのテレビ番組でおっしゃっていた。舞台挨拶で女優が高いヒールを履いて出てきて、舞台を降りるとスリッパに履き替えるのは本当にみっともない、というようなことを。私は大いに共感すると同時に反省もした。車移動の時は、履き古したスリッポンかなんかで出かけて、目的の場所でだけハイヒールを履いたりする自分がせこく思えた。時々レストランのテーブルの下でハイヒールを半分脱いでぶらぶらさせている女性を見かけるけれど、樹木希林さんならああいうのも「みっともない」とはっきりおっしゃるだろう。
 ハイヒールを美しく履くには、それなりの犠牲というかド根性が要る。55歳の私にはそんなド根性はないし、いろいろな経験をしてそれが必ず必要なものではないとわかった。ハイヒールは女性を美しく見せる一つの手段ではあるけれど、私には他の手段を選ぶ自由もあるのだから。

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甘糟りり子

作家。小説やエッセイを書いています。テーマは、女性の生き方だったり、鎌倉の暮らしや情報だったり、興味の赴くまままに書いています。バブルの語り部です。著作は『鎌倉の家』『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』『エストロゲン』『マラソン・ウーマン』などなど。

50代だっておしゃれしたい

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