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書いた本人のお気に入りというか、うまく言語化できたかな、と思うやつ。
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本を読むということは / はるな檸檬「れもん、よむもん!」

今「ダルちゃん」が話題になっているはるな檸檬さんの、「れもん、よむもん!」を読んだ。
彼女の読書遍歴を綴ったコミックエッセイだ。

作中には、

17歳の私たちは
「ここではない何処か」に憧れ続け、
とにかく知りたくて知りたくて
たまらなかった
一日も早く
大人になりたくて
そのために まるで
栄養を摂るように
読み続けていました

であったり、

以前某漫画家先生が
結局 私たちは
人生

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火葬という優れたシステムよ

今年5月、母方の祖父が亡くなった。
もちろん悲しかったけれど、ずっと病気をしていて、認知症も重かったので、仕方ないな、という部分もあった。
亡くなる一か月ほど前に、お見舞いにいけていたのでよかったと思った。

亡くなった、という連絡を受け、翌日の朝はやくに母と新幹線に乗って葬儀場へむかう。父は遅れて来る。

遺族の控え室のような場所に通されると、ふつうに祖父の遺体が置いてあったので、驚いてしまった

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日記をつづけるコツ

noteでも日記を更新しているけれど、誰に見せるわけでもない日記を6年ほど続けている。

日記を書いていると言うと、マメだねーと言われることが多いが、そんなことはない。
小学生の頃から何度も日記を始めては文字通り三日坊主でやめてきた。

そんなわたしが気がついた、日記をつづけるコツ。それは毎日欠かさず書くことだ。
いや、毎日欠かさず書くから日記なんだろ!というツッコミが聞こえてくる。その通りです!

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ファッションは武装

ファッションに対するこだわりが、それなりに強いほうだと思う。
だけど、ファッションが純粋に好きなのかといわれるとそうではない。

わたしにとっておしゃれをするということは、ダサい状態を脱却するということだ。

わたしには、なにをしていてもわたしの存在すべてがダサいのではないかコンプレックスがある。わたしという人間の本質がダサい気がしてしかたないのだ。
それがバレることはなにがなんでも避けなければな

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給食というかなしみ

好き嫌いの多いこどもだったので、給食の時間は苦痛だった。

そもそもわたしは、牛乳がきらいなのだ。なんで和食でもお構いなしに毎日牛乳が出るのか。ふつうにお茶を飲ませろ。

あるとき、先生が「班の全員が食べ終わるまで外に遊びに行ってはいけません」というルールを制定したことがあった。
なんだその誰も得しないルール。

いつもどおり牛乳を飲めずにいたわたしに、おなじ班の男の子が言った。
「それくらいさっ

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もう二度と会わないかもしれないね

会うことも、連絡をとることもない知り合いというのは、自分にとって死んでしまったのと同じことなのかもしれないと思った。

毎日のように顔を合わせていて、挨拶や、ちょっとした会話はするけれど、わざわざ連絡をとったり、休みの日に遊ぶことはなかったようなクラスメイト。卒業してしまえば、もう二度と会うことはないのかもしれない。わたしが過ごしてきた日常の片隅にたしかにいたはずの人たちが、卒業を境にいとも簡単に

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盗撮している人を見た話

100円ショップで買い物をしていた。すると、なんだか男の人がわたしの後についてまわってるような気がする。不審に思ったので、さっとかわして、離れてその男の様子をうかがった。

男はリュックを抱っこするようにかかえていた。だけど、時々下ろして手からぶら下げるように持つ。それは決まって、スカートをはいた女の子のそばを通るときだった。

盗撮してる。

すぐにそう思ったけど、どうしていいかわからず、しばら

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共感できないものを否定すること

小説とか映画とかのレビューで、低い点数をつけている人の感想を読んでみると、
「主人公に全く共感できない」とか
「登場人物の誰にも共感できなかった」という
自分の共感ポイントがなかったことを理由に作品を否定するコメントが多い。

だけど、共感できることがそんなに重要なのだろうか。

たしかに共感できる作品というのは、自分が思っていたことや感じていたことを言語化してくれていたり、具体的に表現してくれて

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コンプレックスとワールドカップ

22年間生きてきて、はじめてサッカー観戦にはまりつつある。
このタイミングではまるって、くそミーハー、ドにわか、ってかんじでちょっと恥ずかしいけど。

で、サッカー観ててなにが楽しいかっていうと、点が決まった瞬間にみんなで喜び合っている姿を見ることだ。
もちろん、点の決め方のかっこよさだったり、試合運びのおもしろさだったりもあるけれど、やっぱりみんなで喜んでいるところを見るのが楽しい。
あー、なん

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会って2秒後の人に好きな本とか映画とか音楽の話したくない

ほぼほぼ初対面みたいな人に、好きな本とか映画とか音楽とか、とにかくなにか好きな作品の話をするのが、めちゃくちゃ苦手だ。

その人の好きな作品を聞いて、その人をどういうタイプの人間か、と枠にはめてしまうこと、はめられてしまうことがあると思う。
(ちなみにとくにそれが過激であるように思うのは音楽。どんなバンドが好きなのかで、互いに若干馬鹿にし合うみたいなの、少なからずありませんか?)

たしかに好きな

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「モテ」を買えない

こちとら自意識過剰を22年やってるから商品名に「モテ」ってついてたり、パッケージにでかでかと「モテ」と書かれていると、どうにもレジに持って行きにくい。

あ、モテたいんだって店員さんに思われる気がする。こわい。無理。
いや、ひたすら忙しくレジ打ちしてる店員さんに、そんなこと考えてる暇ないだろうってのはわかってる。わかったうえで、やっぱりどうしても気になって無理なので、慰めは不要。

「モテ」がつく

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「〇〇に似てるね」という褒めの危険性

「〇〇に似てるね」
誰でも一回くらいは日常会話で聞いたことがあると思うし、言ったことがある人も多いかもしれない。
先に言っておきたいのだけど、ここで取り上げたいのはディスりとしてではなくて、褒めとしての「(顔が)〇〇に似てるね」だ。
つまり、〇〇に入るのはアイドルだったり、美人女優だったり、イケメン俳優だったり。

でも、たとえ悪気など一ミリもない褒めとして言ったとしても、「〇〇に似てるね」はなか

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街で偶然会った知り合いに即座に満面の笑みで話しかけられるなら、それだけできみの勝ちだと思うよ。

高校3年生のとき、当時同じクラスだった女の子と街中で偶然会ったことがある。
その子は普段からかなりテンションが高く、声も大きく、まさに明るく元気!というかんじの女の子だったのだが、その時もわたしを見つけるなり「あー!」と叫び、わたしの名前を大きな声で呼び、満面の笑みでかけ寄り話しかけてきた。

圧倒された。べつに嫌だったわけではないが、ちょっとした恐怖すら感じた。なにもかもが「違う」と思った。

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運動音痴はかわいいじゃない

漫画とかだと体育の授業中、運動音痴なドジっ子でかわいい〜みたいなのあるけど、あんなのは運動音痴の人間にはまずあり得ないと、声を大にして言いたい。現実は厳しい。
ドジっ子で済むのは運動神経が良くはない、程度までだ。まあ運動音痴だとしても、クラス内でそれなりの地位を獲得していてコミュ力もめっちゃ高いみたいな人ならば例外もごく稀にはあるかもしれないけれど、そういう人はなぜか不思議と運動神経が悪くない。な

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