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ツインレイ〜一番って?

彼の気持ちが入ってくる、心は彼とつながってる、といくら言ったところで、それでも私は一番ではないのだ、現実に彼のそばで生活を共にしている奥さんが一番で、私はそうではないのだ、という思いがずっとあった。

だから、龍神さまに言った。

一番になりたいです、って。

『なればよかろう』とすぐに言われた。

『ただ、一番には一番の大変さがある、のは分かるであろう』とも。


勉強でも、スポーツでも、一番になりたいと人は頑張る。
そして念願叶って一番に、金メダルを取ったなら、次は追われる立場になること、一番をキープするのがいかに大変なことか、はどんな場面でも同じなのかもしれなかった。


昔話に、晴れの日も雨の日も泣いている老婆の話がある。

老婆には二人の娘がいて、一人は傘屋に、もう一人は下駄屋に嫁いでいる。
晴れの日は、傘屋の傘が売れない、と老婆は泣き、雨の日は、下駄屋の下駄が売れない、と老婆は泣く。

お婆さん、晴れの日は下駄が売れる、雨の日は傘が売れる、って考えればいいんだよ。

そう言われて、老婆は考え方を変え、いつも笑っていられるようになる。

...昔話なら、笑い話にできるのに、実際の日常生活では、私はこの老婆と同じようなことをしているのかもしれなかった。

彼と一緒にいたいのにいられない。
彼の一番になりたいのに彼には奥さんがいる。

でも見方を変えれば、現実に一緒にいないから、彼の食事作りや洗濯はしなくていいし、私は寝起きのすっぴんを見られなくて済むわけだし(笑)。

妻という現実社会での諸々の責任も何もなく、ただ魂の世界で愛を伝え合うことができる、のはある意味最強なのかもしれなかった。


つい先日、自己統合は、自分自身を更地にすること、というイメージが浮かんだ。

更地のようなクリーンな自分になれば、その上に、彼と一緒に、どんな建造物も建てられる、そんなわくわくするイメージと共に。


でも、その後、じゃあ、私はどんな建造物を建てたいのか、と自分自身に尋ねた時、私は、ふっと気付く。

この三次元では、形あるものはいつかは必ず壊れる。

建造物という形あるものを作ったら、それは、いつか壊れる、あるいは壊さなければならない時がくるのだ、と。

それでも、作る楽しみ、建てたものの中に入る楽しみ、はとても大事だと思う。

ただ、私は、建てること、にそれほど価値を見出していない、気がした。

形ある建造物を作るよりも、魂の世界で、愛を伝え合うことのほうが、魂の世界の土壌を耕すことのほうが、今の私には、とても価値のあることに感じられた。


形のない愛を、彼と交わし合うこと。

無償の愛、無条件の愛、とも呼ばれるものかもしれない。

私はそのために、この地球上に生を享けた、ような気さえした。


そんな悟ったようなことを思う日もあれば、やっぱり、欲深く、一番になりたい、と無いものねだりをするような日もある。

多分、これからもそうなんだろう。




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