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ツインレイ〜彼の奥さんのこと

何の因果なのか、私と、彼の奥さんとは名前が似ている。

私がりさで、奥さんがりさこ、みたいな。

だから彼は私を名前で呼ぶことはほとんどない。

一度、仕事の合間にふざけて、私のこと、りさちゃんって呼びたい?って聞いた。
奥さんと同じ、って知ってて。

彼は、りさちゃん、りーちゃん、って口に出した後、ん~、奥さんとおんなじ名前なんだよ、って困ったような声で言った。

そうだよねー、呼びにくいよねー、って私は言った。

その時私は、私との時間に、奥さんを思い出すものを入れたくないのだ、という彼の思いを感じ取ったから、だから私は、彼の呼びやすいように、今のまま、名字にさん付けで呼ばれようと思った。

もっと言えば、ただの仕事仲間であれば、別に妻と同じ名前であろうと仕事中は何の気なしに呼べるはずで、だから、彼にとって私はやっぱり、ただの仕事仲間ではないのだった。


最初の頃、彼の奥さんのことを、ふと思ったことがあった。

仕事と子育てを頑張っている、私と同じ名前の奥さんを。

毎日頑張ってる時に、ダンナがほかの女を遊びに誘ったり、心を動かされてたりしたら。

それ、絶対ダメじゃん、って。

だから、お寺の松の木に聞いた。

彼の奥さんは幸せですか?って。

それは、嫉妬とかそういう気持ちではなくて、ただ、私は聞きたかった。

同じ名前の女性として。

松の木からは
『それはあなたの考えるべきことではありません』
『自分の幸せだけにフォーカスしてください』と返ってきた。

私が考えたってどうしようもないことには違いなくて、奥さんの気持ちを知ったところで、私にはどうしようもないのだった。


夢の中で、私は彼に言ったことがある。
私と出会わなければ、奥さんと子供と幸せにやれてたでしょう?って。

彼は『どうしてそれを、幸せ、って決めつけるの?』って言った。

私の幸せが何なのか、私にしか分からないように、彼の幸せも、また彼にしか分からないことだった。


彼は私に、ダンナさんって〜なの?みたいに聞いてくることがある。

でも私は、彼に奥さんのことは聞かない。

聞いたって、私には何の得にもならない、って思ってるから。

ツインレイの女性の中には、お相手の奥さんに対して、彼を愛してくれて、そばにいてくれて、子供を産み、育ててくれてありがとう、みたいな崇高な気持ちになる人さえいるらしい。

でも私は、そこまでにはまだなれない。

彼と彼の家族の幸せを願ったり、彼がお家で少しでも穏やかに安らいで過ごせますように、って祈れるような日も時にはあるけれど、その後、反動のように揺り返しがきて、苦しくなったりする。

連休とか彼がお家で家族とたくさん過ごしてる、って思うと、そんな立場じゃないのに、自分のことは棚に上げて、つらくなったりもする。

お寺の石に言われたことがある。

『でもあんたと奥さん、ホントは仲良くなれんのよ』

私がもっともっと自分と向き合って、心根をキレイにできたら、の話だろうか、そんな時が本当にくるのか、私には見当もつかなかった。

石はさらに告げる。

『ダンナとのことも大詰めだから、しっかり向き合っていきなさい』
『あんた、どっちからも愛されてるから、愛を受け取っていきなさい』って。

私が、夫と彼と二人から愛を受け取るのはいい(笑)。

でも、彼が、私と奥さんと二人から愛を受け取るのは何かおもしろくない(笑)。

私はそれくらい、人間が小さい。多分、人としての器が。

だから多分、自分の小ささやずるさやそういうものとこれからもっと向き合っていかないといけないんだろうな、って思う。

自分自身と向き合うプロセスは、時にのたうち回るくらいにつらかったりするけれど、でも、そんな闇と向き合ってそれを超えた先には、びっくりするくらいの光が待っていたりする。

だから、彼がどうとか彼の奥さんがどうとか考えるよりも、まずは向き合うのは自分自身で、自分自身のやるべきことをひとつひとつやっていくしかない。

松の木が、『自分の幸せだけにフォーカスして』と教えてくれたのは、周りのことを考えずに好き勝手やれ、ということではなくて、まず自分自身と向き合え、自分自身を愛して満たしてゆけ、ということなんだと思う。

自分と向き合って、もっともっとクリアになって、自分を満たしていったら、その時は私は、本当に、彼の奥さんにも愛や感謝を持てるようになるのかもしれない。

りさちゃん、りさこちゃん、って呼び合ったりできる日が、お互いの子供を見て、大きくなったねえ、なんて言い合える日が、そんな日が本当にきたら、それは私と彼、その周りの誰もにとって、とても幸せなことかもしれない。







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