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【抄】

「今一番の悩みは何?」
「ん?そうねー、好きな男がいること」
「え?」
「好きな男がいる」
「ふ~ん」
「だからほら、白髪増えて」
「それは年のせいだと思う」
「恋煩いってやつだよ」

前のほうの席に座っていた彼は、立ち上がって教室の後ろの方へ歩いてくる。
私の座ってる一番後ろの席の近くまで。

壁の掲示物。卒業まであと何日、子供たちが書いた手書きのカウントダウンカレンダー。画鋲なんか取れていないのに、彼は、親指で強く抑えつける。

「で、その男とどうしたいの?」

「どうしたいんだろうね」
いざ、面と向かって会うと、私は、結局、そんな歯切れの悪いことしか言えなかった。

どうしたいのか、と言われれば、心の奥の本当の本当のところでは、抱いてもらえたら嬉しいだろうな、って思っていた。
ただ一緒にいたい、離れたくない、背中にでもしがみついて、そんなふうに言いたいほどに、私の気持ちは、いつ溢れてもおかしくないくらいだったけれど、 それをぶちまける訳にはいかなかった。

そうして、自分でも思ってもみなかった言葉が口をついて出た。
「タチのわるい男でさ」

「え?」
彼が聞き返す。

「タチのわるい男」
もう一度ゆっくりと口に出してみると、それは、彼にぴったりな形容詞にしか思えなかった。

私のこと好きなくせに。
どんなに私が気持ちをぶつけても、決してシャッターは下ろさないくせに。
ダンナにだって気が狂いそうになるほど嫉妬してるくせに。
夢の中ではあんなに私を求めてるのに、そのくせ、口に出すのは綺麗事ばっかりで、先生って、教育者、ってそういうとこあるよね、建て前ばっかりみたいなとこ、職業的なもの?

やっぱり言えるはずもないけれど、私は心の中で挑発的とも言える気持ちになっている。

彼は私を見る。
画鋲から手を離して、私に向き直る。

「本荘さんはさ、バカな女だよ」

「何なの、この才媛をつかまえてバカ、って」
「さいえん?」
彼の頭の中には、菜園、とでも出ているのか。
「賢い女性、ってこと」
「才女、ってことね。でもバカなの、不器用っていうか」

不器用なのはあんたもでしょ、って私は心の中だけで思う。

そう、私たちは揃いも揃って、バカで、不器用で、タチがわるかった。

でも、タチのわるい、ろくでもない男である彼は、私みたいにろくでもない女にしか、真に癒やされることはなくって、そうして、バカな女である私は、やっぱりバカで不器用な、彼のような男に愛されて初めて分かる幸せがあるのかもしれなかった。




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