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百鬼夜行渋谷アタック大作戦!!このよにのこす のできごと

○前日準備

仕込みに何人もやってきてくれた。今年から空間を演者に任せた。
企画を重ねるごとに、みんなが能動的にやった結果のほうが、いびつで面白く感じるようになった。
なにやら文化祭みたいでウキウキ前のめりなテンション。

ダンボールで看板や靴箱を作る班はガレージで円になって思い思いに絵を描いている。
youtuberよっちゃんの友達が新潟から百鬼夜行するために来てくれていて、みんなにカルピスを差し入れた。
しゅわしゅわ冷たくて、湿度でやられそうな体をスカッとさせた。

チームに分かれノリノリで準備をしたおかげで、すぐ会場が出来上がった。
初期衝動でバッとできた、高校の文化祭みたいなわくわくの詰まった空間。
この時点でもう盛り上がり過ぎて満たされちゃった、と帰り道しょうごと話した。

この日までは、常に百鬼夜行のことを考えていて不安だった。
そこから膨らんで人生のことまで不安だった。
これでいいのか、何を百鬼夜行でしたいのか、みんなを巻き込んでいいのか、直感を信じて路上での活動を続けてきたが、間違ってなかったか。

ちょっと前路上中に警察に捕まって、パトカーに乗せられ渋谷警察本部で取り調べをうけた。
7人くらいにかわるがわる責められた。
いい年して、路上やっちゃいけないことは分かるだろ。目立つのと長いことやってるから警察はみんな長崎さんのことみんな覚えちゃったんだよ。
もしなにかあったら責任とれるのか。有名になりたいとか、お金稼ぎたいならyoutubeで発表すればいいのになど。

私は怒らないように反論した。
路上から生まれる文化はどこの国でもある。渋谷のグラフィティーだらけの壁は海外の日本ガイドブックに公式に取り上げている。
すべて否定して、路上の活動を絶滅させようとするのは何故なのか。
パッケージされたイベントだけの街なんてものたりないと。
警察としての立場より前に、あなた自身の言葉で話してと。

警察は、その言葉はない。あまりに反省しないと今日は拘置所に泊まることになるという内容が返ってきた。
話すほど平行線で、勢いで制圧され、警察が諭す話を黙って聞くほど、優しくなった。
次に路上をしたら前科にするかわりに、拘置所行きは免れやっと帰ることができた。
いつも黙って見逃してくれている警察たちはなにも言えず、哀れんで横目で見ていた。

怖かった。何かに属さずに生きていると、ときに誰も助けてくれないから。


でも、何かに導かれるように、その後もずっと路上をしている。
百鬼夜行も予定通りやった。

渋谷の文化のためじゃない。自分のためだ。


○練り歩き

それぞれが街でアタックをしながらそれぞれバラバラに代々木公園を目指して歩いた。

雑草の観察をアタックとして行う、福岡さんと緒方さんが雑草を見つけ、図鑑と見比べいきいき観察している。
私は先にいくぜ。

センター街で気持ち良く歌っていたら、名古屋からきた男の子が興味を持ってくれて、一緒に歩くことになった。

パンダちゃんが子どもの注目を集め、手を振ってプロパンダに徹している。
小雨の中、わくちゃんが持ってきてくれたカラフルな傘をさし、少し遠回りしてついた。
代々木公園はブラジルフェスでごったがえし、サンバや太鼓の音が地響きのように鳴っていた。
長い旅の途中、異国の楽園に迷い込んだような。
ゆっくり練り歩いたから東京でも旅ができた。ロマンチックに感じた。

代々木公園にいると伝えただけで、たいして連絡も取らなくともみんななぜか流れ着いて合流できた。
大切な人とはなんとなく会える確信を得た。


ハヤシタカユキくんと東京ディスティニーランドと練り歩きの帰り道合流した。
待ち合わせ場所はスクランブル交差点。せっかくだからスクランブル交差点で会おうとタカくんが言った。
それを伝えるとディスティニーさんも食い気味にわかったと言っていた。
百鬼夜行、ちゃんと二人に伝わっていたと思い嬉しかった。
練り歩く途中にバッタリ会ったり。街を生かして遊べている。
意図的に仕組んだが、現実になると想像を超えて歩く度にわくわくした。
いつもの渋谷でアタックが今溢れている。

他の場所に向かった仲間がなにかしてると思うと勇気が出た。無事を祈った。

さりちゃんは事情があり、今回の練り歩きにはいなかった。
いろいろな事情を抱え今日みな集まっている。感じ方、何に傷つき、何ができて、何が面白いかは違う。

アタックのレベルや精度でなく、その人にとっての初期衝動や、何か踏み出す第一歩、自分自身の更新になること、
多くの人が当事者意識を持ってのアタックが街に散らばっていく、そんな現象を起こすことが、路上活動を続けた私がやるべきことだと考えている。

私が渋谷で路上をすると、ひねくれて行き場のない気持ちがいつも集まってくる。
こんなにもみんな、葛藤して、面白いことを探していて、何かやらかしたい、生きたいと思っているのに、
どこにも気持ちをぶつけられていないものなのか。
その気持ちと日々お話していたら、歩きたい気持ちが膨らんでいった。
ゴールは決めずうろうろと、道草する時間をかみしめて。

がむしゃらにに自分と向き合う1日が少しでも増えたらそれは希望だ。


○夜のパフォーマンスショー


ハヤシタカユキ

タカくんはその場で歌を作れる。高円寺で出会った時も出会った人の名前と印象で女の子を笑わせて幸せにしていた。
ハッピーで面白くてモテそうで、旅していそうな歌、タカくん自身の印象と同じだ。
あいうえお作文の歌でタカくんにあわせみんなも歌い、夜の部は最初からワールドワイドでピースフルに幕を開けた。

ぬりえ

ぬりえ少年団は同じ高校に通った4人組。名前通り、少年の心を持つ大人たち。
音楽が好きという気持ちのもと集まり、メンバーはそれぞれ今も音楽と色んな形で関わっている。
彼らが騒いでると場の空気が和んで、私たちはいつだって子供の頃の延長線にいて、無垢なままなんだと安心させてくれる。
演奏中にわーわーしゃべってとまって。でこぼこで尊く、このままでいてほしいと思った。
ただあんまりしょうごをいじめるのはやめてよね。

ナオチャ

初めて会ったのは原宿での路上していたとき。道路をはさんで向こう側で大道芸をしていた姿にビビッときた。

街中では、信頼できて、シンパシーを感じた人と仲間になることが本当に難しいと痛感している。

学校や滞在制作の現場では、ある程度何をしている人か保証されていて、じっくり時間をかけて人と関わり、こういう人間なのかと理解を深めることができる。
だから、逆に一期一会の路上で会う人と交わす時間の流れは早く感じる。
短い時間で、関係の熟成は難しい。
だからその人の空気を全身で感じ取り、直感で百鬼夜行に誘う。そしてあとは信じることしかできない。

ナオチャから百鬼夜行の意欲的な返事が来た時は嬉しかった。女の子とのコメディーショーは超面白かった。
初めて見た時は大道芸らしい技をやりそうでやらない、見てるほうが唖然とする全力投球さが面白かったが、
百鬼夜行では本物のマジックをしていた。いい意味で裏切られた。
これでもかと惜しげもなく二人から驚きの大技やマジックが繰り出した。それはプロだった。
鍛錬を重ね熟成された輝きに、脱帽だった。
二人とは、これからも時間をかけて仲良くなっていきたいと思った。


○お風呂場は大人の展示室

バスタブでは画家の関山さんが、一生懸命なにかを作っている。普段油絵を描く関山さんは、街で何をするのかと私たちも本人もギリギリまで想像がつかずにいた。
ただ、関山さんは百鬼夜行に合う人だと直感があった。
それは、このよのはるのことをよく分かってくれていて、私たちの誇れるところ、ダメなところ全部含めて良いと素で言ってくれるから。それもなんとなくタバコを吸いながら、なんてことないときに。
何を私たちがやろうとしているか、伝わっていると信じていた。

誰かと作り上げる活動を私がやり始めたのは5年前ごろからだが、枠組みを作り、そこに入って出演してもらう形をやったことがない。
一番最初に直感で思いついたことを、一緒に出来そうな人と一対一で遊ぶことを続けてきた。
散歩したりしながら相手のことを知り、一緒に遊ぶ。その中で生まれたことで、企画を変化させていく。
まず遊ぶ中でしか作れない熱があると自負している。

関山さんが完成させたのは渋谷の喫煙所マップだった。大人の夏休み自由研究。渋谷を周り喫煙所があったらそこでタバコを吸い、歩いている途中で酒も飲む。
ここは星3つ、などと詳細に記録していた。初めて見る画家の関山さんのプライベートな作品。
やっぱり関山さんはすばらしいオワコンパイセンだ!

ジェンさんは百鬼夜行3年オール皆勤賞。
毎年渋谷を水彩スケッチして展示する。3回の百鬼夜行で描いた全部の絵を見ているとゆるやかな発展があり、今回の絵が一番いいねと、お話しした。百鬼夜行を絵を描くきっかけにしているみたいだ。どんなに暑くても、ちゃんと時間いっぱいスケッチして夜の部でその成果を見せてくれる。渋谷にもわびさびがあると気づく。


ルチオ城ヶ崎は超エロ漫画家。その漫画は無垢でピュアで、人間の体っていいな、人が生まれることってすごいよなと思った。
いわゆる猥せつな感じがないんだ。超エロとはピュアのことなのか。一回目の百鬼夜行からたくさん描き足され、世界に一冊の本になる。
代々木公園まで練り歩きもやってくれたのが嬉しかった!


○終盤の火花

誰かの感情の熱が誰かに燃え移り、大きな炎になった。見る側も見られる側も共鳴して全員で一つの熱狂を生み出した。
本音と自分そのものが、舞台でこれでもかと溢れ出す。それを見る人は息を飲んで、もっと欲しいと熱いまなざしを向ける。
ディスティニーランドさんは百鬼夜行の終盤をたった一人で爆発させたダイナマイトだった。

パフォーマンスという言葉は全ての行為を内包できる言葉。ただディスティニーの芝居は、ディスティニーとしか言いようがなく、演じているようで自分自身をさらけ出しまくっている。この場で一人の命が燃えたぎりながら生きている姿だ。
なんて嘘のない、美しい姿だろう。言葉になんてしたくないほどに。
「芝居っていわないと病院から出てこられなかった、演じている人格は全部自分自身だ」と最後の方に言っていた。
後から、終わり方を考えてなくてアドリブでやっていたと聞いた。演技し芝居をし、すべて出し切ったときのふとした独白が一番私のこころにささった。


着火したら止まらない。世界的ベーシスト、今沢カゲロウのステージ。綿密なやりとりのなかで出演とセッションが叶った。
結果、綿密な計画はすぐに大木さんの飛び入りで崩れ去った。表現のボクシングへ。
ベースは強く重くなっていき、ビートが負けじと追いかける。紙が舞い、リキッドライトが沸騰していた。ギターの弦がベコベコになって蹴られる、ぶつかる。
「まけるな」という叫びが聞こえた。カゲロウさんの曲でコールアンドレスポンス。
熱狂しギラギラ汗まみれで、100%を出すつもりが、1000%の力であっというまに終わっていた。

私たちはこのよのはる。二人でひとつなんて、しょうごに会うまでは想像すらしなかった。
4年も目をそらさずに向き合っている。私と真逆の性格の分身が隣にいるかんじだ。
しょうごが路上をやめた2年前。
もともと私一人でどんなかんじに路上していたか思い出せなかった。
100%このよのはるに自分を注いでいたのだ。ほぼ毎日24時間一緒にいて、音楽をして旅して、渋谷で朝まで、ぐずぐずに崩れるまで路上していた。今は、私たちがあなたとわたしであるために距離感を大事にしている。
だが依然、綱渡りしているみたいな感覚は続く。
こんなに時間をかけても私たちの正解はでない。それが楽しい。

ライブ。
小さい頃から大好きだった強いピンクの光に照らされて、お気に入りの手作り衣装を着て。
このときだけは本音が全身から溢れてもいい。

私たちを囲む全員が超いい笑顔で、天国みたいな光景だと思った。
天国は、ひなちゃんが撮ってくれた写真に刻まれた。

時計の音
拍手の音
生まれる音と
死ぬ音

この曲なんだ
この曲なんだ


○渋谷アタック

私はあやふやな存在を続けている。上司も部下もいなければ、社会的な肩書きもない。
自分で、こうだ!と名乗れるほどまだ何も成し遂げていない気がする。
流され続けた時間は今は自分で流している。
その状態を最高と思う日もあれば、ものすごく不安が襲ってくる日もある。

百鬼夜行で気づいたこと、不安をそばで和らげてくれる仲間より、本気の状態で熱をぶつけ合える、むしろそれだけを見せ合える仲間がいることが、私にとっては幸せだった。
ひとりひとりの一番熱くカッコイイ状態を目に焼きつけると、こころが喜ぶ。
風船が膨らむような、花火が弾けるような。

体裁もしがらみも脱ぎ去って、あの熱狂空間で共鳴した人たちが今日もどこかで生きている。

私はだれかとこころの火をおこして遊びたい。
今はそういうことだけにこころがときめく。


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