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モノローグでモノクロームな世界

第九部 第一章
三、
 「この世界は狂っていたんですね。」

終着駅のホームで彼を待っていたのは、神代真飛本人だった。
数か月前にケイの仕事場で会った時と全く変わらない彼の様子を見ながら、彼はふとツツジは元気だろうかと考えた。いつも底抜けに明るかった彼の脆い一面を知ったのも、あの時真飛と会っていなかったならば無かったことだろう。
 ツツジもケイ同様に、毎日、浴びるようにTheBeeの共鳴音を聞き、トリプルシステムによるコントールも受けている。日常の中で、知らず知らず繰り返されてきた感情抑制という名の消去。
 だが、少なくとも二人共まだ心を失っていない。それに、ツツジの脆さを知った今でも、ツツジに対するケイの感情は変わらない。
だからこそ、思う。
きっとツツジやケイだけではないはずだ。自分達と同じように、幾ら上書きされ、消されたとしても、本質を保ったままでいる人たちが。
きっと人間はそう簡単には変わらない。
そういう人が一人でも居るならば。
居てくれるならば。
マドカとの約束を果たす意味はきっとあると。
今は、そう信じよう。

 「ミハラ君。君はこの世界をどうしたい?」
僕はこの行き過ぎた世界を何度も、壊そうとしたんだ。

そう神代真飛は、地下へと沈むエレベーターの箱の中で、声を零した。
モニター越しではない、彼の生の声を聞くのは、久しぶりの事だった。

 「表側からも、裏側からも壊そうとした。 
だが、いつも上手くいかないんだよ。」
エレベーターの刻一刻と変化していく、階数表示を見つめながら、彼は話す。まるでそこに何か大事な暗号が隠されているかのように、一度たりとも視線を外さない彼の横顔をケイは、彼の言葉を受け止めながら見上げた。
 ケイより少し高い位置にある真飛の横顔は、少し疲れた表情こそ見せているものの、十月国で会った時から全く変わっていない。
いや、それどころか、彼の相貌は、三十代だと言われたとしても、それを疑わない程、若々しいと言えた。ポッドで話してくれたリトリの言葉が正しいならば、真飛はケイの父親と同じ世代だというのに。
 じっと自分を見つめる視線を知ってか知らずか、真飛は話を続ける。
「その度に思い出すんだ。
TheBeeの共鳴装置を作ったあの頃のことを。李鳥を失ったことを。
その失った原因が、私やこの世界のせいだという事を。
 ミハラ君。僕はね、
李鳥が傷つかないように、
彼女が生きていけるように、
そんな綺麗な世界がただ作りたかったんだ。
彼女が戻って来れた時に、困らないように。
だが、それは同時にこの世界への復讐でもあった。
 本当は、何処かで気が付いていた。
誰も傷つけない、安心安全な世界。
誰にも傷つけられない、安心安全な世界。
真っ白で、奇麗で、
楽園のような世界。

・・・・・・そんな世界はあり得ないのだという事は。

人は何度も過ちを繰り返す。
人は平気で人を欺く。
人は平気で嘘をつく。
他人にも、親しい人にも、そして自分自身にさえも。
 それでも、過ちを犯しながらも、人は何度も起ちあがって前を向こうとする。過ちを正しながら。
こんなにあきらめの悪い生き物を私は知らない。

 だから、私はワームを創った。
それは、罪滅ぼしであったのかもしれない。
だが、それと同時に希望でもあった。
人は傷つき、傷つけられながらでも、明日を夢見て前に進むしかないのだから。今すぐでなかったとしても、たとえ、何十年かかろうとも。
時が進む限り、私達は前を進むことしかできないんだよ。
 あの地下倉庫で出会った、沢山の傷ついた人々のように。」

淡々と話す真飛の言葉は、彼を取り巻く暗闇へと吸い込まれていく。
 声に形があるのならば、彼の発する言葉が形を亡くし、やがて、
闇へと溶けていく様を見ることができただろう。
だけど、言葉に形はない。
だから、ここで彼が何を話そうが、ケイが漏らさない限り、二人が話した事は、文字通り、闇の中だ。
 彼が言う、安心安全な世界。
次第に世界は、感情を失くし、ある一時を境に、変化を良しとしなくなった。
それは、裏を返せば、何の変化も受け入れない同じ場所に留まり続ける世界だ。神代真飛が望む、前に進む世界とは真逆の。
そんな世界にどうやって、希望や夢を抱けばいいのだろうか。

 進展も、発展も、発見も。
それは、どんな状態でも進み続けたから、成し得たことだ。
何度も失敗し、過ちを犯し、それでも諦めなかったから、齎されたものだ。
それがたとえ、結果的に悲劇的なことしか生み出さなかったとしても、そこから世界は起ちあがり、何度も迷いながら、何度も間違えを正しながら歩み続けてきた。
 だが、今、この世界で明日を夢見る者などいない。
このままいけば、何れ世界は滅びるだろう。

「神代さん、僕はあなたの罪をただしたい。
TheBeeを止める手段を僕に教えてください。」
 僅かな震えを残し、エレベーターは漸く降下を止めた。
金属製のドアがゆっくりと左右に開く。
そこは、一面、真っ白な部屋だった。まるで、壁の中に戻ったかのようだと、ケイは思った。
 そしてその部屋で彼らを待っていたのは、リトリと瓜二つの顔を持つ女性だった。



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