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モノローグでモノクロームな世界

第十部 第二章
一、
 あの時、全てを棄てる覚悟でこの壁を出た筈だった。
だが、いざ壁の中へ、生まれ育った国へと帰って来たケイの心中は、温かいもので一杯だった。
 これが郷愁というものなのだろうか。
喪われた古い書物に書かれていた、今はもう誰も使わない言葉。
壁の外から出る事なく、国から出る事なく、生まれたその場所で、ずっと生きていたならば、その言葉が持つ意味も、その言葉が意味する感情も味わうことは無かっただろう。
言葉は使われなくなれば、いずれ消えていく。
 その失われたはずの言葉を、身を持って体験するとは、思わなかったが、この感情に名をつけられたことが嬉しかった。
たとえ、そこが誰かが創り出した偽りの世界だったとしても、この国で両親や祖父と一緒に過ごした日々、時間は、彼にとってかけがえのない大切な本物の日々だ。
だからこそ、今、この世界の真実を知っても、壁の中の世界を懐かしいと感じる。
そして、彼との思い出も。
「ツツジ。」
 ケイの呼びかけに、目の前の華奢な肩がぴくりと動いた。

 ポッドの一角に設けられた入国審査場は、開始前とあって、事務作業に勤しむツツジの姿しかない。
白い短髪姿に黒い制服。その白い頭が恐る恐るという風情でゆっくりと振り向く。
そして、驚いたように、叫んだ。
「・・・・・・ケイッ!」
見る間に泣き出す寸前の表情になる彼に、少しだけ笑って見せる。
 毎日のように見ていたツツジの姿、この職場の風景。それらが変わらずにいてくれた事が、ことのほか嬉しかった。
すんでの所で彼の手から滑り落ち、地面に叩きつけられそうになるのを防いだタブレットをテーブルに置くケイに、ツツジが抱き着いた。
白い短髪が顔に当たって、少しだけ照れ臭い。
「心配したんだよ。」
「ごめんね。」
「よかった、生きてて。」
「うん。」

 ケイは手短にこれまでの経緯をツツジに伝えた。
その間、彼は一言も発せず、ケイの話をただ受け止めてくれた。
「ケイの着ているその服って、ナインヘルツの高官の物だよね。
ケイ、ここで何をするつもりなの?」
「・・・・・・壁を壊す。」
「壁って、え、あの壁?」
「そう。TheBeeを止める。」
「ちょ、ちょっと待って。TheBeeを止めるって、そんな事をしたら、この国は、いや、この国だけじゃない、世界中の人々が死んじゃうんじゃ。」
「TheBeeのシステム全部は止めない。
それは外の安全が保障されてからだ。」
「どういう事?壁のシステムって、奇麗な空気を創りだすとかそれ以外にも何かあるの?」
「うん。詳しくは話せないけど、TheBeeのあるシステムだけを壊すんだ。その為に、僕はここに戻って来た。そして、それは、僕らが僕らであるために必要な事なんだ。
ツツジ、一つ頼みがある。このIDで、十月国への入国許可が欲しい。」
「え、これって・・・・・・カミシロマトビのID・・・・・・ケイ、あの人とどういう関係なの?無理矢理何かさせられてるんじゃ・・・・・・。」
「ただの協力者であり、同志だよ。彼の、いや違うこれは、僕の両親やマドカ、そして僕自身の願いを叶えるために、僕が決断してやっている事なんだ。
 こんな事を頼めば、君に迷惑をかけることになるのも分かっている。だから、悩んだ。君を巻き込むことが、本当に許されるのかって。
でも、君にしか、こんな事頼めない。僕がこの世界で心から信じられるのは、ツツジしかいないから。」
「・・・・・・それをして、本当にケイは後悔しない?」
「うん。しない。」

 ツツジは、少し考える素振りを見せた後で口を開いた。
「・・・・・・ケイ、覚えてる?ここに俺が来たばっかりの事。
あの頃の俺はさ、はっきり言うと、自分でもどうかしてたって思ってる。周りに当たる事だって、しょっちゅうあったし。今では、この仕事もここの人達も好きだけど、当時は、何でこの仕事の適性が出ちゃったんだろうって、何でこんな東方の僻地の、知らない国に行かなきゃならないんだろうって、ずっと思ってた。
 壁のすぐ側は、国の中央部分と違って危険が伴うし、元々俺の国は、階級意識が根強くって、壁の中でも地域によって住んでいる階層が違っていたし。
勿論、国はそんな事はないって言っていたけれどね。
 とにかく、今でも俺がここに居る事を知っている故郷の連中は、あぁ、あいつはどうしようもない奴、救いようのない奴だから、あんな辺境に飛ばされたんだって、皆、そう思っているよ。

 俺さ、集団行動が苦手で、ましてや、自分の事を誰かに話した事なんて今まで無くて。
誰かと何かを分かちあおうなんて思った事無かったし、これから先もきっと無いと思っていたし、それでいいやって思ってた。
 でも、どっかさ、どこにも居場所が無い事が寂しくもあったんだ。
でもその寂しさすら感じないように生きてきたし、感じちゃいけない事だと思ってた。ここに初めて来た時、皆、こんな俺でも受け入れようとしてくれたじゃん。でも、俺はさ、そんな風に過ごしてきたから、最初、申し訳ないけれど、本当に意味がわからなくて、混乱しちゃってさ。それで周りに迷惑かけて。ケイ、昔さ俺がした恩人の話覚えてる?」
「うん。覚えてるよ。学校の先生、だっけ?」
「そう。理由づけて何かと学校に行かない俺の事を、心配して、家まで何度も押しかけてきてさ。あの頃も俺は、あの人を撥ねつけていたけどね。
 俺は、感情のコントロールも下手くそだし、下手したらサカイ行になっていてもおかしくなかった。あの人が何度も何度もそんな俺に、コントロールの仕方を教えてくれたお陰で、俺は今ここに居る。
 あの頃、その事を思い出して、思ったんだ。ケイは、彼に似てるって。ここに来た時、荒れ果てた俺に、周りの人は徐々に遠巻きにしていった。それは、俺が悪かったから、別に何とも思わないけど、あぁ、ここでもやっぱり同じかって思った。その時、ケイだけは、彼みたいに、ずうっと俺に話しかけて、普通に接してくれた。
 どうしていいのかわからなかった俺にとって、ケイのそんな態度はなんか、救われた気がして、嬉しかったんだ。だから、今ここで俺が楽しいって思えるのは、全てケイのお陰だ。
 ・・・・・・ケイがこんな俺を信じてくれるように、俺もケイを信じるよ。そのID、貸して。」
 ツツジの長い指が、端末のアルファベットの上を踊るように滑っていく。
無駄のない、滑らかな動き。
数秒後、電子音が一度だけ端末から鳴ると、カミシロマトビの電子IDに、入国許可の印が表示された。
「ツツジ、ありがとう。俺もここで君と出会えて、楽しいも、悲しいも沢山の感情も一緒に感じる事が出来て、嬉しかったよ。
 だから、忘れないでいて欲しい。
楽しいも、悲しいも、ツツジが今まで得てきた沢山の感情も、この先得る沢山の感情も、全て君自身の物だから。」
 本当は、ここで会った沢山の人々にお別れを言いたかった。
所長も、お世話になった先輩達も、慕ってくれた後輩達も、
皆、突然姿を消し、消息不明になったケイの事を心配している事だろう。

 身内がこの世界に誰も居ない今のケイにとって、ここで出会った沢山の仲間は、家族のような存在だった。
だけど、もう行かなければならない。
ここに長く居すぎるのは危険だ。それに何より、ケイに協力をしたツツジも危うくさせる。
これからは、更に気をつけて行動をしなければならない。
ナインヘルツに敵対した者達の末路を、彼は嫌という程聞いてきたのだから。

「さようなら、ツツジ。元気で。」
「何それ、やだなぁ、まるで別れの挨拶みたいじゃん。
・・・・・・また会えるよね、ケイ?」
問うその声に、言葉を窮する。
この計画が仮に上手くいったとしても、この先、どうなるのかなんて分からなかった。
ケイも、ツツジも、この世界も。
「ケイ。ここで待ってるから、ずっと。
何があろうと、君がどうなろうと、ずっと、待ってるから。」

だけど、人生はそんなものなのかもしれない。
先が見えないから、今を大事にする。

「ありがとう、ツツジ。
・・・・・・戻ったら、また昔話でもゆっくりしよう。
君に話したい事が沢山あるんだ。」 

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