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モノローグでモノクロームな世界

第十部 第三章
一、
 副島にとって、壁の中の世界は本当に善き場所だったのかは分からない。もしかしたら、あの時祖父に着いてワームに行った方が、幸せだったかもしれないとさえ、時々思う。
 副島は、壁の外に完全に出た事は一度もない。
サカイで暮らすワーム以外の彼らの居住先は、皆、壁の外だ。ポッドという舟の中での暮らしではあるが、それがどんな生活なのか、彼には全く想像さえできない。
 壁の外はどんな世界が広がっているのか。
祖父は壁の外へ行った後、どんな人々とどんな暮らしをしていたのか。
副島を始め、壁の中の人々が持つ壁の外のイメージは、ただ危険の一言につきる。人が生きていくことができない荒涼とした大地。
壁の中の教育で、彼らは皆、幼い頃からそこがいかに危険かを頭に叩きこまれる。

 曰く、空気も大地も人が生きていられない程に汚染されている。
曰く、変異をした危険動物やウィルスが存在している。
曰く、あちらこちらに汚染された危険な物資が放置されている。
そうして、決まって死の谷の映像を見せられる。
 真っ白な灰のような細かい砂が、見渡す限り一面を覆い尽くす死の谷。
そこには、人の姿どころか、生き物の姿も見当たらない。ただ白い灰が、時折吹く風によって巻き上げられる映像が淡々と続く。
 死んだ場所。だから、死の谷だと思っていた。
それが、どうやら違う意味でつけられたのだと知ったのは、つい最近の事、
この仕事についてからだ。

 副島がナインヘルツに入ってすぐの頃の事、とある国の外交官が搭乗した舟が失踪する事件があった。その舟が最後に発信した救援信号を辿った先が、死の谷だった。
 当然、救援の為の支援要請がナインヘルツからある物と思われたが、ナインへルツが取ったその後の行動は、彼にとって疑問の残る物だった。
 ナインヘルツは、一切の救援活動を許さなかった。理由は端的に言えば、ただ一つ。場所が悪い。ただ、それだけの理由だった。
 彼らの遺族は、それで納得をしたのだろうか。今でも副島は疑問に思っている。

 死の谷は、西方の国と国の丁度境にあたる場所で、両国の壁の外にある。
二重の壁は透明なため、当然、両方の国からもその場所は見ることができる。だが、壁の外は、たとえ目に見えていても、壁の中の世界では、『無い』場所として片づけられる。世界地図にも載っていないその場所は、本来地名がつけられる事も無いが、その『無い』場所に地名をつけ、警鐘を促す程、死の谷は特別なエリアだった。

 死の谷に迷いこんだら最後、生きて壁の中に戻る事は無い。
それは舟に乗った事のある人間ならば、皆、一度は合言葉のように聞いた事のある言葉だった。
 ナインヘルツが救援を行わない理由も、二次被害を避ける為だ。このエリアでは、時折、ポッドの計器を狂わせる程の磁場が発生し、何度も救援の舟を含め、消息不明や墜落事故が多発している。かつての世界の中心都市だったこの場所は、今や灰のような白い砂が吹き荒れ果てた大地になり果てた。かつての世界で生きていた者達の誰もが、そのような光景が訪れる日が来るとは、想像もしなかった事だろう。
 今、この場所にあえて訪れるのは、防護服を着たワームぐらいだ。彼らは、此処でかつての文明の資源や物資を回収し、残留物を除去したうえで、それらをサカイの闇市で売る。それらの物資は、手に入れる事が難しい貴重品として、貿易商人を通じ、壁の中で流通される。
 これら闇の品々を媒介とし、流行った病が、今も治療法が見つかっていない死の華である。恐らく物資に残っていた除去しきれなかった危険物資を原因とし、壁の中で発生した死の華は、今も治療法が明確に確立できていない。 
 トリプル・システムにより、安全に守られて生きてきた人々は、かつての世界やワームの人々に比べ、ウィルスやその他の病原菌に対して、耐性が低いと言われてきた。トリプル・システムは、発症事例のあるデータに関しては、確かにかかる前にその兆候を見つけ出し、確実に対処ができる。だが、死の華のような未知の疾患に対しては、対処方法を持たない。それは、以前から指摘されてきた事だったが、それが死の華によって、現実となったのだ。

 ナインヘルツは、これらの事態を重く受け止め、死の華を壁の中に流入させたワームやサカイを世界から締め出す事に躍起になっている。だが、そんな対策を嘲笑うかのように、死の華にかかる患者の数は減ることが無い。逆に、無駄な検閲や締め付けを増すナインヘルツに対し、ワームやサカイは不当だと、決して屈することなく、その団結力を強めている。

 そもそもナインヘルツの、そしてトリプル・システムの技術や知識を持ってすれば、死の華に対処する方法は幾らでもあったのではないかと副島は考える。トリプル・システムによって日々得る、膨大な症例データによる治療方法の確立。衛生歴では西暦時代に不治の病とされた数々の病気に対し、予防的観点から危険因子の排除や罹患した場合の迅速な対処を次々と確立していき、それらを皆のトリプル・システムに共有させる事で克服してきた。
 この死の華に対しても、治療薬の開発や初期の段階での検知が、既にトリプル・システムで可能だとされる研究データも発表されている。だが、未だに新たに死の華にかかる人が後を絶たない。何故、人々のトリプル・システムは未だに死の華を検知できないのか。
 ナインヘルツはこれらの問題に対し、今なお、一貫して、鋭意調査中の回答しか出していない。

 真実は、副島にもわからない。本当に未だ治療法も検知方も確立されていないのかもしれない。だが、副島には、ナインヘルツが、死の華をワームやサカイといったナインヘルツにとっての不都合を、世界から締め出す手段に利用しているのではないかという疑念を心のどこかで抱き続けている。それは、検閲をしている側が持ってはいけない疑念だ。だが、現場で対応しているからこそ、余計にそういった疑念を抱いてしまうのもまた事実だった。

 もしも、ワームやサカイの人々が闇市を開けなくなる事態になれば、彼らは、食糧やエネルギー資源といった生活に必要な物資を受け取る方法を失い、その先には死が待ち受けているだろう。
壁の中の人々にとっての嗜好品は、壁の外の人々にとっては、生きるための手段だ。
 そして、もしもこの事が真実であるならば、ナインヘルツがやっている事の罪は重い。彼らは自分達の世界の基準にそぐわない人々を壁の外へと追い出し、更に壁の中の人々をコントロールし、彼らを使って壁の外の人々を殺そうとしているのだから。
 副島は毎回検閲の度にその考えに到り、ぞっとする。そして、何よりも一番怖いのは、壁の中の誰一人として、ナインヘルツの一連の政策に対し、一分足りともおかしいと疑わない点だった。


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