見出し画像

【資料】AD70年エルサレム陥落頃の出来事

【資料】AD70年エルサレム陥落頃の出来事

西暦2018(平成30)年7月21日(土)日没〜22日(日)夕暮=ユダヤ暦5778年アブの月の10日 改訂

聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

『マタ24:1 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。19 だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。20 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。』マタイの福音書24章15~21節
『すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」』マルコの福音書13章2節
『41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」』ルカの福音書19章41~44節
『20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。23 その日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。』ルカの福音書21章20~24節

『25 レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、26 主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。』列王記 第一 14章25~26節

『12 第五の月の十日--それは、バビロンの王ネブカデレザル王の第十九年であった。--バビロンの王に仕えていた侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、13 主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。14 侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を全部取りこわした。15 侍従長ネブザルアダンは、民の貧民の一部と、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕らえ移した。』エレミヤ書52章12~15節

『8 第五の月の七日--それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった--バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、9 主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。』列王記 第二 25章8~9節

エルサレム神殿崩壊日(ティシャ・ベ・アブ:Tisha B'Av)

#エルサレム神殿崩壊日 (ティシャ・ベ・アブ:Tisha B'Av)】
西暦2018(平成30)年7月21日(土)日没〜22日(日)夕暮
=ユダヤ暦5778年アブの月の10日
聖書朗読箇所:申命記4:25-40/エレミヤ8:13-9:23
ティシュ・べ・アブ(Tisha B'Av「アブの月の9日」の意)とは、ユダヤ人にとって最も一年で哀しい日、国を挙げての断食と悔い改めの日です。この日に、イスラエル王ソロモン建立の第一神殿が炎上崩壊、そして656年の歳月を経たまったく同じ日に、ユダ総督ゼルバベル・大祭司ヨシュア・預言者ネヘミヤ・エズラ・ハガイ・ゼカリヤ達再建の第二神殿が炎上崩壊しました。ティシュ・べ・アブが安息日(金曜日没〜土曜日没)に重なった場合は翌日のアブの月の10日になりました。(2018年はちょうど重なる)
◾️エルサレム第二神殿炎上崩壊日:ユダヤ暦3830年アブの月の10日、西暦(グレゴリオ暦)70年8月3日(日)、ユリウス暦70年8月5日(日):参ユダヤ戦記Ⅵ〔268〕
◾️エルサレム第一神殿炎上崩壊日:ユダヤ暦3174年アブの月の10日、紀元前587年7月24日(日)、バビロニア暦ネブカデネザルの治世19年第五の月(マケドニア暦ローオスの月)10日:参エレ52:12-15
エレミヤ書52章12節『第五の月の十日--それは、バビロンの王ネブカデレザル王の第十九年であった。…』
※第一神殿崩壊年(諸説有)から第二神殿崩壊年までは656年となる。
※ネブカデレザル王(=ネブカドネザル2世)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ネブカドネザル2世
※第一神殿崩壊日のユダヤ暦への計算は下記ページ
https://keisan.casio.jp/exec/system/1343263576
※Solomon’s Temple
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Solomon%27s_Temple
※Missing Years; 423 BCE (3338AM)
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Missing_years_(Jewish_calendar)
————————-
『ユダヤ戦記 3』Ⅵ〔268〜270〕より
〔二六八〕人は運命の日がまちがいなく巡って来ることに驚くであろう。先にわたしが言ったように、運命の女神は、聖所がかつてバビロニア人に焼き払われた同じ月の同じ日に、焼き払われたのである(※アブの月の10日)。〔二六九〕ソロモン王が最初に基礎をおいたときから、聖所が崩壊したウェスパシアノスの治世の第二年までの期間は、一一三〇年七か月と十五日、〔二七〇〕またキュロス治世の第二年になされたハガイオス(a預言者ハガイ)による再建から、ウェスパシアノスが都を陥落させたときまでは、六三九年と四十五日だった(bこの辺りの計算方法は不明)。
『ユダヤ戦記 3』Ⅵ〔435〕より
こうしてエルサレムは、(ローマ皇帝)ウェスパシアノスの治世の第二年、(マケドニア暦)ゴルピアイオス(ユダヤ暦3831年ティシュリ)の月の第ハ日(西暦:グレゴリオ暦70年9月26日)に陥落した。()内は引用者補足
————————-
※エルサレム神殿
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/エルサレム神殿
※第二神殿崩壊日の西暦(グレゴリオ暦)からユダヤ暦への計算は下記ページ参照
https://keisan.casio.jp/exec/system/1343263576

————————-
————————-

『ユダヤ戦記 3』

以下、写真は、P.165-166, 168-173, 195-196『ユダヤ戦記3』フラウィウス・ヨセフス著、秦 剛平(はた ごうへい) 訳、山本書店 発行、1982年7月25日 初版発行、定価3200円(2018年7月現在絶版)より

⬇️大祭司一覧(BC200-AD70年)

AD18-38年 ヨセフ(カイアファス=新共同訳カイアファ=口語訳・新改訳カヤパ)
『4:1 彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、2 この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、3 彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。4 しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。5 翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。6 大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。』使徒の働き4章1~6節

『13 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。14 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。』ヨハネの福音書18章13~14節

『17 そこで、大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、18 使徒たちを捕らえ、留置場に入れた。
23 「獄舎は完全にしまっており、番人たちが戸口に立っていましたが、あけてみると、中にはだれもおりませんでした。」24 宮の守衛長や祭司長たちは、このことばを聞いて、いったいこれはどうなって行くのかと、使徒たちのことで当惑した。25 そこへ、ある人がやって来て、「大変です。あなたがたが牢に入れた人たちが、宮の中に立って、人々を教えています」と告げた。』
使徒の働き5章23~25節

⬇️シリア駐在のローマ総督・知事
⬇️ユダヤ駐在のローマ総督

『1 皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、2 アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。』ルカの福音書3章1~2節

『わたしは、ユダの町々とエルサレムのちまたから、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶やす。この国は廃墟となるからである。』
エレミヤ書7章34節

聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

P.165-166, 168-173, 195-196『ユダヤ戦記3』フラウィウス・ヨセフス著、秦 剛平(はた ごうへい) 訳、山本書店 発行、1982年7月25日 初版発行、定価3200円(2018年7月現在絶版)より

『ユダヤ戦記』
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ユダヤ戦記

著者フラウィウス・ヨセフス
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フラウィウス・ヨセフス

凡例
1 章節の区切りおよびその表記法は次のとおり
ローマ数字Ⅰ-Ⅶはヨセフスの本来の巻数を示す。
同じくⅰ-ⅹⅰ等はニーゼ版の章、アラビア数字(1)(5)等は節を示す。なお、ニーゼ版につけられた小節数は〔一二三〕〔四八二〕等、その行の肩に表示した。
通常ヨセフスの引用にあたっては二通りの表記法があり、『戦記』Ⅱ・ⅴⅰ(1)などのように三種の数字を用いる場合と、『戦記』Ⅱ〔八〇〕とする場合とある。本書では後者を採用した。
2 人名・地名等の固有名詞は原則としてヨセフスの用いているギリシア語よみに従って表記した。たとえばカイサル(ラテンよみカエサル)、ウァロス(ラテンよみウァルス)等。ただし、ローマ、エルサレム、エリコ等の地名(ギリシア読みはそれぞれロメー、ヒェロソリュマ等)は慣用に従った。註、総説その他においてはラテンよみ、ヘブルよみを記すことにつとめた。

ユダヤ人のローマ戦争に対する記録 Ⅵ


神殿炎上(Ⅳ ⅳ)

P.165
聖所、炎上崩壊する
(8)〔二六七〕わたしたちがその素晴しさをこの目で見、この耳で聞いてきた神殿ーーその構造と規模、細部にいたるまでの贅をつくした仕上げ、聖なるものについての評判等ーー炎上崩壊を慨嘆してもそれは当然のことだが、生きとし生ける者と同様に、人間の手になる建物や場所も運命の女神の定めからは所詮逃れることができないと考えれば、大きな慰めが得られるのではなかろうか。
運命の日
〔二六八〕人は運命の日がまちがいなく巡って来ることに驚くであろう。先にわたしが言ったように、運命の女神は、聖所がかつてバビロニア人に焼き払われ<-P.165 / P.166->た同じ月の同じ日に、焼き払われたのである(※)。〔二六九〕ソロモン王が最初に基礎をおいたときから、聖所が崩壊したウェスパシアノスの治世の第二年までの期間は、一一三〇年七か月と十五日、〔二七〇〕またキュロス治世の第二年になされたハガイオス(a)による再建から、ウェスパシアノスが都を陥落させたときまでは、六三九年と四十五日だった(b)。

P.163註(※)エレミヤ書五二12以下によれば、ネブカデレザル(ネブカデネザル)王の待衛長ネブザラダンが神殿を焼き払ったのは第五の月(ローオス)の十日で、ヨセフスと一致する。他方、列王紀下二五8によれば、それは第五の月の七日。
『12 第五の月の十日--それは、バビロンの王ネブカデレザル王の第十九年であった。--バビロンの王に仕えていた侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、13 主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。14 侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を全部取りこわした。15 侍従長ネブザルアダンは、民の貧民の一部と、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕らえ移した。』
エレミヤ書52章12~15節
『8 第五の月の七日--それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった--バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、9 主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。』列王記 第二 25章8~9節
————————-
P.167註(a)ヘブル語読みではハガイ。参考聖句箇所
・初代ペルシャ王キュロス=クロス
・三代ペルシャ王ダレイオス=ダリヨス
エズラ4:5, 24『5 さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。このことはペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで続いた。24 こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年まで中止された。』
エズラ記5章参照 http://seisho-shinkaiyaku.blogspot.com/2010/12/blog-post_6174.html?m=1
エズラ記6章参照 http://seisho-shinkaiyaku.blogspot.com/2010/12/blog-post_6095.html?m=1
ハガイ1:1-2, 8, 14-15『1 ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアとに、次のような主のことばがあった。2 「万軍の主はこう仰せられる。この民は、主の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。」8 山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。主は仰せられる。14 主は、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの心と、民のすべての残りの者の心とを奮い立たせたので、彼らは彼らの神、万軍の主の宮に行って、仕事に取りかかった。15 それは第六の月の二十四日のことであった。』
ハガイ書1章〜2章参照 http://seisho-shinkaiyaku.blogspot.com/search/label/070ハガイ書?m=1
参考:神殿再建年表 http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?「ペルシヤ王とユダヤの出来事」
P.167註(b)このあたりの計算法は不明。

P.168
ローマ兵、偽予言者にたぶらかされたユダヤ人六〇〇〇人の避難する柱廊に火を放つ
〔二八三〕ついでローマ兵は外庭の中でただ一つ残っていた柱廊へ向った。その上には一般市民の女や子供たち、種々雑多の流入者が六〇〇〇人避難していた。〔二八四〕彼らの措置についてカイサルが何らかの判断を下したり指揮官たちに指示を与えたりする前に、ローマ兵は怒りにかられて下から柱廊に火を放った。そのために彼らのある者は火から逃れようとして、またある者はそれに巻き込まれて落命した。多勢の者の中で助かった者は一人もいなかった。
〔二八五〕ところで、彼らがこうして滅びた原因であるが、それは、一人の偽予言者にたぶらかされたためであった。その日、予言者は市中の者たちに向って、神の命令にしたがって神殿に上り救いの徴をうけるように宣言していたのである。〔二八六〕実際そのころは、暴君たちのお抱えの予言者たちが多数出現した、やがて神の救いがあるからそれを待つようにと言って一般市民をたぶらかしていた。その目的は、投降者を一人でも少なくし、恐怖や不安の虜にな〈-P.168 / P.169-〉っている者に希望を吹き込むことだった。〔二八七〕とにかく災禍にあっている人間というものはこのようなぺてん師にすぐひっかかり、ぺてん師どもが差し迫った危難からの救いを実際に約束してやると、わらをもつかむ思いでそれにすがってしまうのである。
都の陥落前のさまざまな凶兆
(3)〔二八八〕こうしてそのとき、あわれな一般市民はいかさま師や神の使者だと僭称する〔得体のしれぬ〕連中の言葉にだまされ、目前に迫った都の荒廃を明らかに示す徴に注意を払わず、またそれを信じようともしなかった。彼らは落雷にあって目も心もそれに奪われた者のように、神の警告に聞きしたがわなかった。剣の形の星と彗星〔二八九〕(d)そのような警告は、剣の形の星が都上空に現われ、彗星が一年中見られた年にも発せられた。祭壇と聖所周辺の不思議な光〔二九〇〕また戦争を引き起こした叛乱や騒乱が起こる前の、クサンティコスの月(e)の第八日の夜の第九時(f)に、民衆が種入れぬパンの祭に集まって来ると、非常に明るい光が祭壇と聖所の周辺を照らし出して真昼のようになり、そのような状態が半時間も続いた。この現象は占いに不慣れな連中には吉兆に思われたが、聖なる文書の解釈者たちは、そくざにそれをその後に起こる事件の凶兆だと解釈した。

P.169註
(d)以下のさまざまな徴は、タキトゥス『歴史』五・一三にも詳しい。
(e)クサンティコスの月は三ー四月。
(f)午前二時

神殿での奇怪な出産〔二九二〕ま〈-P.169 / P.170-〉たこの祭のとき、犠牲として捧げるために引いてきた雌牛が、神殿の庭で小羊を生んだ。内庭の真鍮の扉、ひとりでに開く〔二九三〕このような事例はほかにもある。内庭の東側の内扉ーーそれは真鍮でつくられていたためにきわめて重く、夕方ころにいったん閉じると、二〇人の力をもってしても開けることが殆どできないもので、通常は鉄をはめたかんぬきでしっかりと閉められ、門扉には敷石の中に奥深く差し込まれている差し錠がついていたーーが、夜の第六時(a)ころ、ひとりでに開くのが認められた。〔二九四〕神殿の衛兵たちが走って行って、事のしだいを衛兵長(b)に報告した。衛兵長は門の所へ上って行き、やっとのことでそれをもとどおりに閉めた。〔二九五〕この件も素人には最高の吉兆に思われたのである。彼らは神が自分たちのために祝福をもたらす門を開かれたと考えた。しかし学識のある者たちは、堅牢強固な神殿が今や自然に崩れ落ちつつあると理解し、心の中では、その兆を切迫している荒廃を告げ知らせるものと受けとめ、門が開いたのは敵への贈りものを意味すると解した。〔二九六〕また、祭が終って幾日もたたないアルテミシオスの月の第二十一日(c)にも信じがたい不思議な事件が認められた。天空を駆ける軍団〔二九七〕実際、〔二九八〕わたしがこれから語ろうとすることは、それを見た者が語ったり、その後で凶兆どおりの不幸が起こらなかったら、面妖奇怪な作り話として一笑に付されるであろう。話というのはこうである。日没前に、国中のいたる所で、戦車が天空に現われ、密集隊形の武装した兵士が雲の中を疾走し、〔二九九〕町々を包囲しているが見られたという。また、これは祭司たちの話であるが、ペンテコステと呼ばれる祭(d)のとき、彼らが通常の奉仕をするために夜間神殿の内庭〈-P.170 / P.171-〉へ入ると、最初は何かが動いているような気配が、ついで武器か何かがぶつかりあう音が、夜の神殿の奇妙な声〔三〇〇〕そして最後に「さあ、われわれはここから立ち去ろう」(e)と気勢をあげる声が聞こえたという。
しかし次の兆しこそは人びとをさらに恐怖のどん底に陥れるものだった。戦争が起こる四年前、都が平和と繁栄をとくに謳歌していたときのことである。アナニアス(f)の子イエスースと呼ばれるどこにでもいる田舎者が祭(g)ーーその祭では神のために仮庵をつくるが、それは全ユダヤ人の慣習であるーーにやって来たが、イエスースという男の不吉な叫び〔三〇一〕彼は神殿の中に立つと、突然、大声でこう叫んだのである。「東からの声、西からの声、四つの風からの声!エルサレムと聖所を罵倒する声、花嫁と花婿を罵倒する声(h)、〔ユダヤの〕すべての民を罵倒する声!」そして彼は日夜こう叫びながら、路地という路地を歩いてまわった。〔三〇二〕市民の中のおもだった者たちは、縁起でもない彼の言葉に苛立ち、彼を捉えるとたっぷり鞭打って懲らしめた。〈-P.171 / P.172-〉

P.171註
(a)夜の十二時。
(b)衛兵長は、使徒行伝四1、五24参照。
(c)ニーゼによれば、六月六日
(d)五旬節。
(e)写本によっては〈われわれはここから立ち去る〉。
(f)写本によってはアナノス。
(g)六二年秋の仮庵の祭を指す。
(h)エレミヤ書七34に〈そのときわたしはユダヤの町々とエルサレムのちまたに、喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声をたやす。この地は荒れはてるからである〉。
『わたしは、ユダの町々とエルサレムのちまたから、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶やす。この国は廃墟となるからである。』
エレミヤ書7章34節 聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

〈-P.171 / P.172-〉しかし男は弁解するわけでもなく、また自分を鞭打った者たちにひそかに説き明かすわけでもなく、それまでと同じように大きな叫び声をあげ続けた。〔三〇三〕そこで町の指導者たちは、男がダイモン(※)か何かにとりつかれていると考えてーー事実、そうだったーー、彼をローマ総督の前に引き出した。〔三〇四〕そこで彼は骨の髄まで鞭打たれたが、憐れみを乞うわけでも涙を流すわけでもなく、ただひどく悲しみにうち沈んだ調子で、鞭打たれるたびに「エルサレムに呪いを」と言ってそれに応えた。〔三〇五〕総督アルビノス(a)が「一体おまえは何者で、どこからやって来たのだ。どうしてそんなことを口にするのか」と尋問しても何も答えず、都を呪う言葉を繰り返すだけだった。ついにアルビノスは、気が触れているとして彼を放免した。〔三〇六〕以後、この男は戦争が勃発するまで、市民に接触したり話しかけたりすることはいっさいせず、毎日呪文でも唱えるかのように、「エルサレムに呪いを」と繰り返していた。〔三〇七〕彼は連日自分を鞭打つ者を呪うこともせず、また食物を恵んでくれる者を祝福するわけでもなかった。彼はすべての人にあのうす気味悪い託宣を口にするだけだった。〔三〇八〕そして祭のときともなればいちだんと声をはりあげて叫ぶのだった。こうして彼は七年と五か月、あいかわらずの調子で、倦むことなく、悲し気な叫び声をあげ続けた。しかし、都が包囲されて託宣が成就されたとき、ついに彼は沈黙させられた。というのも、彼はそのとき周囲を巡りながら城壁から「都と民と神殿に呪いを!」とかん高い声をあげていたが、〔三〇九〕「そしてわしの上にも呪いを!」と口にした瞬間、投石機から発射された石が命中して即死した〈-P.172 / P.173-〉からである。こうして彼は、呪いの言葉を口にしながら死んだ。
(4)〔三一〇〕これらの数かずの予兆の意味を考えると、われわれは次のことを、すなわち、神は人間の保護者であり、ご自分の民にはあらゆる手段を用いて救いの道をあらかじめお示しになっていたことを、しかしまた人間というものは愚行と自らが引きうけた悪とで滅びるものであることを知るのである。数々の託宣〔三一一〕こうしてユダヤ人たちは、アントニアが破壊された後、神殿を広場(b)にしてしまった。もっとも、数かずの託宣によれば、都と聖所は、神殿が広場と化されたときに陥落するとされていたが……(c)。〈-P.173

P.173註
(※)別訳ダイモニオン。擬人化された悪霊。
(a)ユダヤ総督(六二-六四)本書Ⅱ〔二七二〕以下参照。
(b)〈広場〉()。文字通りには「四つの隅をもつ」の意の形容詞。
(c)この託宣の出所は不明。

P.195-〉

(1)〔四三五〕こうしてエルサレムは、ウェスパシアノスの治世の第二年、ゴルピアイオスの月の第ハ日(c)に陥落した。都はそれ以前に五回攻略され、今度は二度めの徹底的な荒廃にさらされたのである。過去におけるエルサレム攻略〔四三六〕エジプトのアソカイオス(d)、ついでアンティオコス(e)、ポンペイオス、そしてヘロデと手を組んだソシオスがそれぞれ都を攻略したが、荒廃はさせなかった。〔四三七〕しかし、それ以前にはバビロニアの王(f)が都を征服して荒廃させた。それは都が創建されてから一四六八年と六か月後(h)のことだった。
〔四三八〕都を最初に建てたのは、土地の言葉で「正義の王」(i)と呼ばれたカナン人の族長だった。〈-P.195 / P.196-〉実際、彼はそう呼ばれるのにふさわしい人物であり、またそういう人物であったればこそ神に奉仕し神殿を建て最初の者ともなった。彼はそれまでソリュマと呼ばれていたこの土地をヒエロソリュマと呼んだ。〔四三九〕カナン人の住民はユダヤの王ダビデに追放され、王自身の民が代ってそこに居住した。そして都は、王の死後、四七七年六か月めに、バビロニア人に徹底的に破壊されたのである。
〔四四〇〕ユダヤ人の最初の王になったダビデのときから都がティトスに破壊されるまでの期間は一一七九年だった。〔四四一〕また都が最初につくられてから最後の陥落までの期間は二一七七年だった。〔四四二〕その長い歴史も、その莫大な富も、その民が全世界に散在していることも、さらにはその宗教の大きな評判も、都の破壊を救うことができなかった。
エルサレムの攻略劇はこうして終わった。〈-P.196
(終)

P.195註
(c)七〇年九月二十六日。
(d)シシャク(在位九三五-九一四)を指す。列王紀下一四25参照。この人物は、『古代誌』Ⅶ〔一〇五〕、Ⅷ〔二一〇〕〔二五三〕その他ではイソーコス、スーサコスの名で登場。七十人訳ではスーサキム。
『25 レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、26 主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。』列王記 第一 14章25~26節 聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
(e)アンティオコス四世エピファネスを指す。
(f)ネブカデレザルを指す。
(g)前五八七年。
(h)この計算方法は不明。
(i)メルキ・ツェデク。

P.165-166, 168-173、195-196『ユダヤ戦記3』フラウィウス・ヨセフス著、秦 剛平(はた ごうへい) 訳、山本書店 発行、1982年7月25日 初版発行、定価3200円(2018年7月現在絶版)より

【付録】⬇️同時代のユダヤ史年表

(『ユダヤ戦記』終)

————————-

ティシュア・ベアブ
〜ユダヤ人にとって一番悲しい日〜
By Bridges for Peace Japan フェイスブックページより(1:24)
2018年7月19日木曜日22:30投稿

ユダヤ歴では様々な喜び、勝利、奇跡などを覚えて祝う日がちりばめられています。

同時に、悲劇や災難、あらゆる犠牲などを覚える日も定められています。

今週土曜21日の日没から日曜の日没にかけて、ユダヤ歴ではTisha B’Av(Avの月の9日目)で一番悲しい日と定められています。

この日にユダヤ人は間食べ物と飲み物、すべてを断食します。

そして西壁には多くの人が集まり、皆で哀歌を朗読します。

なぜこのTisha B’Avがユダヤ歴で一番悲しい日なのでしょうか?

https://www.facebook.com/bfpjapan/videos/1040169826131338/

——————————

Tish'a B'Av / **תשעה**באב

Tisha B'Av (Hebrew: תשעה באב or ט׳ באב, "the Ninth of Av,") is an annual fast day in Judaism, named for the ninth day (Tisha) of the month of Av in the Hebrew calendar. The fast commemorates the destruction of both the First Temple and Second Temple in Jerusalem, which occurred about 655 years apart, but on the same Hebrew calendar date. Tisha B'Av is never observed on Shabbat. If the 9th of Av falls on a Saturday, the fast is postponed until the 10th of Av.

Tish'a B'Av begins at sundown on Sat, 21 July 2018.
https://www.hebcal.com/holidays/tisha-bav?utm_source=redir&utm_medium=redir

——————————
——————————

列王記 第二 バビロンによるユダの捕囚(前606年)

『聖書ハンドブック』ヘンリーH.ハーレイ著、聖書図書刊行会発行、いのちのことば社発売、1953年9月15日 初版発行、1961年10月15日 初版9刷、1965年4月1日 再版発行、1974年11月1日 再版5刷、1980年3月31日 3版発行、1997年6月20日 3版11刷、P.205-206
【列王記 第二 バビロンによるユダの捕囚(前606年)】より
25章.ゼデキヤ(前597-586年).ユダの最後の王.ユダの捕囚は4度に分けて行われた.
前606年.ネブカデネザルがエホヤキムを征服し,神殿の宝物,ダニエルを含めての王族を捕え,バビロンに引き揚げた(Ⅱ歴36:6-7,ダニ1:1-3).
前597年.ネブカデネザルは再び来て宝物の残りを奪い,王エホヤキン,王子,役人,主要人物1万名をバビロンに捕囚として連れ去った(Ⅱ列24:14-16).
前586年.バビロン軍はまた攻めて来て,エルサレムを焼きその城壁を崩し,ゼデキヤ王の目をえぐり,鎖をつけて,他の832人の捕囚と共に連れ去った.残されたのは貧困な庶民階級だけであった(Ⅱ列25:8-12,エレ52:28-30).エレミヤ書の概要は列王記よりも短く,重要事件だけを収めている.バビロン軍はエルサレムを征服するのに1年半かかった.彼はエルサレムをゼデキヤの第9年の第10の月の10日に包囲した.それが陥落したのは,第11年第4月9日であった.1か月おいて,第5の月の7日に町は焼かれた
このようにネブカデネザルはエルサレムを滅ぼすのに20年かかった.彼は,欲すればもっと早くにそれをなし得たが,貢が欲しかった.さらにその20年の最初にバビロンに連れ去られたダニエルも,間もなくネブカデネザルの側近となり,ユダのエジプトと同盟を結ぼうとの執拗な努力がネブカデネザルにエルサレムを抹殺させるに至るまでは,大いに彼を牽制していたであろう.
前581年.エルサレムが焼かれてから5年後,エレミヤを含めた相当数の者がエジプトに逃亡した後に(エレ43章),バビロン軍は再度来て,さらに745人の者を捕囚とした(エレ52:30).エルサレムの陥落は,3人の偉大な預言者,エレミヤ,エゼキエル,ダニエルを世に送り出した.
バビロンのユダ捕囚は100年前にイザヤ,ミカによって預言されていた(イザ39:6,ミカ4:10).それが事実となった時,エレミヤは捕囚は70年後に終わるであろうと預言した(エレ25:11-12).
ダビデの地上の王国はこれで終わった.それは400年で絶えた.それは霊的な意味においてキリストの来臨の時に再開されたが,その再臨において栄光のうちに完成されるであろう.

(終)
『聖書ハンドブック』ヘンリーH.ハーレイ著、聖書図書刊行会発行、いのちのことば社発売、1953年9月15日 初版発行、1961年10月15日 初版9刷、1965年4月1日 再版発行、1974年11月1日 再版5刷、1980年3月31日 3版発行、1997年6月20日 3版11刷、P.205-206
【列王記 第二 バビロンによるユダの捕囚(前606年)】より
——————————
——————————

(付録終)

【イスラエル(聖書)の祭りリンク集】

★⓪「イスラエルの祭りを預言的に今のあなたに適用する」聖書の祭りの概要解説★
https://note.mu/risingdestiny/n/n3c49a2acc5d7

聖書三大例祭
❶ペサハ/過越祭/復活祭
❷シャブオット/七週祭/ペンテコステ
❸スコット/仮庵祭

①「過越の血潮の十字架」
https://note.mu/risingdestiny/n/n9bee941bc01a

①-2【除酵祭と聖潔の祝福inペサハ(過越祭)】
https://note.mu/risingdestiny/n/n830dfdf2aa79

①-3【復活の初穂の祭り】
https://note.mu/risingdestiny/n/n8ae9ca3b0847

②■七週の祭り(シャブォット=ペンテコステ)〜初穂の祭りから婚姻の契約の日まで50日間オメルを数える〜■(2016/6/12)
https://note.mu/risingdestiny/n/nd8bcd2547630

③【七週祭(シャブォット=ペンテコステ)〜婚約の契約の日】(2017/5/31)
https://note.mu/risingdestiny/n/n181fbe477ea8

④ラッパの祭り(ヨム・テルーアYom Teruah)/ユダヤ新年ロシュ・ハシャナー(Rosh HaShanah)
https://note.mu/risingdestiny/n/nf61856c3882e

⑤畏怖の期間(ヤミム・ノライームYamim Noraim、Days of Awe)と大贖罪日(ヨム・キプールYom Kippur、Day of Atonement)
https://note.mu/risingdestiny/n/n0725b97be359

⑥【仮庵の祭り】(סוכותスコットSukkot、Feast of Tabernacles/Feast of Booth)
https://note.mu/risingdestiny/n/n820f48beca59

⑦【八日祭(シェミニ・アッェレット)/律法歓喜祭(シムハット・トーラー)】
https://note.mu/risingdestiny/n/n5810a1375d9d

番外編
⑧ハヌカの祭り(宮きよめの祭り、光の祭り)
https://note.mu/risingdestiny/n/n692253f6a89a

⑨ 【プリムの祭り - エステル記】
https://note.mu/risingdestiny/n/nef9860584230

⑩【資料】AD70年エルサレム陥落頃の出来事
https://note.mu/risingdestiny/n/n12d065f5659c

(リンク集終)


【福音】新しく生まれ変わる!(新生の祝福)
https://note.mu/risingdestiny/n/nb11945f61b7a


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?