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『着物の国のはてな』と、その周辺

片野ゆかさんの『着物の国のはてな』で勉強になった箇所と、それに関する周辺知識をまとめてみました。

(1)似合う着物の見つけ方

■似合う衿元

個人によって違うので研究と修練を

■粋VSはんなり

◇粋
・江戸由来
・カッコいい、シャープ、活動的
・衿を多めに抜いた状態
(平均は横から見たときに首の後ろと衿の空間が握りこぶし一つ分くらい)


◇はんなり
・京都由来
・かわいい、ふんわり、優しげ
・衿の抜き方が平均よりやや少なめ

■裾

◇逆三角形シルエット
・スタイルよく見えるために、裾がややすぼまるようにする
・八掛が後ろから見えるところが醍醐味


◇筒形シルエット
・通常よりも深めに合わせる
茶道で座りやすさと着物がはだけるのを避けるため

■ウレタン草履

安定感のある足裏に馴染む台と太めで柔らかい鼻緒が特徴。ハイヒールのパンプスよりもはるかに楽

(2)着付けルールに王道はない

■おはしょり

【昔】
・おはしょりは斜めの船底型(直接裁断、直接縫いという着物の構造上そうなる)
・江戸時代初期までは対丈(おはしょりを作らない着方)をしていた

【現代】
①帯とおはしょりは水平
②長さは帯下5~8センチ前後
③シワひとつない

…が理想的とされているが、着物の構造を無視している

■戦後の着物ルールの土台

『きもの文化と日本』より
・戦後の着物ルールの土台をつくったのは裏千家十四代家元の長女 塩月弥栄子
・1970(昭和45)年に『冠婚葬祭入門』という、日本の核家族化が進むなかで世間のしきたりやマナーの正解を示して大ベストセラーとなった本の続編として1972(昭和47)年に『きものの本』を出して、併せて700万部売れた
・『きものの本』には茶道の決まり事をベースに、着物の細かな注意事項が390個もある

■昔も今も変わらない不動のルール

①着物の形状
②帯を巻く

それ以外は違う

■衿合わせの方向

【現代】
通常、右前(右が手前)
→右側の裾がヒラヒラする

葬祭のときのみ、左前(左が手前)
→左側の裾がヒラヒラする

【昔】
◇7世紀末~8世紀はじめ(694~710年)
高松塚古墳の女子群像(飛鳥美人)は左前

◇719(養老3)年2月3日
『続日本紀』にて、「初めて天下の百姓(全国民)をして襟を右にせしむ」とあり、元正天皇が衣服を右前にするように命じた

中国の影響(朝鮮半島の北部から中国に領土を持っていた高句麗も長らく左前だったのが後に右前になった)

以降、不動のルールに

◇752年
国家の一大イベントといえる東大寺大仏の開眼供養で左前の人々もいた
→習慣の浸透にはかなり時間がかかる

◇幕末頃
北海道のアイヌの人々も本土からの影響で左前から右前になった

◇明治時代
琉球の人々は明治時代以降も長らく右前と左前を交互に着ていた
→日差しが強い土地なので片方だけが色あせてしまう
 片方だけ汚れると、片方だけ生地も傷みやすい

(3)便利アイディア

■半衿用両面テープ

①襦袢の衿の内側下部に、中央から左右に向かってテープを貼る

②中央から左右十センチのエリアの半衿をギューッと真横に引っ張りながら5ミリくらいずつ付けていく。ほかの部分は普通に付ける

③襦袢の外側の衿にもテープを付けたら半衿を外側にひっくり返し、生地がたわむくらい緩く付ける。膝の上などを利用するとやりやすい

④衿芯を入れたら、中央から衿のシワを伸ばしながら位置を決めて、片方の端を安全ピンか糸で止める。衿芯の反対側も同様に固定する

■補正

着物の場合は、ふたつの胸をひとつにする。乳房を寄せて真ん中が一番高くなるように顎のすぐ下に両方の乳房を持ってきて、できればグラビアアイドルのような極端に寄せ上げた胸を作る

■裾よけ

裾よけの引き締め効果によって骨盤を真っすぐ立てることができれば、湾曲した背骨が真っすぐ伸び、内側に入っていた肩が開いて肩甲骨が中央に拠るので、スッキリした立ち姿になる
=お腹や腰を引き締める補正下着であると同時に、腹筋と背筋をサポートする効果のある骨盤矯正グッズ

「満点ガードル裾よけ」がおすすめ

■歩き方

◇なんば歩き
右手と左足を同時に前に出す西洋式の動きは、歩くたびに身体がねじれるので着物に向かない

着崩れ防止には「なんば歩き」!

・昔の日本人独特の身体の動かし方(農耕民族の特徴)で、畑で鍬をふるうのに適している
・現代でも相撲や剣道、柔道などの世界では継承されている

現代人は慣れていないので、上半身を動かさないように腕を振らないようにして歩くようにするとわりとできる

◇時代劇からのヒント
・町娘が胸の前で両手をにぎって急ぐ
→理に適っており、手の位置を身体の中心に固定しないと、昔の日本人は足を速く動かすことができなかった

・城内で一大事のとき、両手を腰の脇につけた家臣がササ~ッと移動する
→当時の日本人独特の所作

・命にかかわる災害がおこって必死に逃げる
→両手を上にあげて走っていた!


明治時代になって世の中のテンポが速くなるのに合わせて、西洋式の身体の使い方を導入していった
それまでは、腕を振って行動をスピードアップさせる方法がなかった

■座り方

◇平安時代~江戸初期
十二単の時代も含め、女性でもあぐらをかいて座っていた
・室町時代の着物は、今の着物よりもかなり幅広につくってあった

◇徳川家光の時代あたり以降
茶道が浸透し、日本人が正座をするようになった
・正座のほうがかっこいい、上品に見えるということで広がっていった

◇江戸時代中期
幅広の帯が誕生し、現代の着物の原型となった
・帯が太く豪華になれば重いし、動きづらいし、コルセット効果もあるのであぐらが難しくなる

どんどん非活動的な衣服になっていくなかで、正座となんば歩きの所作を徹底させることで着こなしていった

■暑さ・寒さ

◇季節ルール
10月~翌年5月:袷(あわせ)…裏地あり
6月・9月:単衣(ひとえ)…裏地なし
7月・8月:薄物…透け感のある生地で仕立ててある


このルールを守るのは現代では大変

快適/不快の境界は、気温24度・湿度75%がひとつの目安(著者意見)
・冬はショール、ヒートテック、スパッツ、手袋、マフラー、防寒和装ハイソックス、ショートブーツなど工夫はいかようにもできる

(4)キモノ業界の謎

■無料着付け教室のカラクリ

・運営元の多くが、着物販売業者
→国民生活センターや消費者センターによる注意喚起もあるし、クーリング・オフ制度があるが、「親睦会」「産地見学会」「販売会」などと称して着物販売がある
→着付け講師にノルマが課されている場合があり、講師から購入を勧められる
→教室の生徒の中にサクラがまぎれていることもある

■教室に通わないための、着物選びのポイント

①着物の丈
身長±5cm

②袖の長さ(裄(ゆき))
手を伸ばした状態で、首の真後ろから手首のグリグリまでの長さ

③着物の前幅
24.5cm

④着物の後幅
30.5cm

■行ってもいい着物教室

①受講料の詳細(入会金、テキスト代、月謝、免状料、受験料)を提示
②コースの期間やカリキュラムの内容を公開
③授業と販売会は別枠で開催。販売会は原則自由参加
④特殊な着付け小物の購入を強制しない
⑤手持ちの着物1枚でコースを修了できる
⑥派手な宣伝活動をしていない

(例)きものカルチャー研究所
・入会金3300円
・月謝7700円(都市部8800円)
・月4回、4か月
・修了試験無料
・初等科の場合、マンツーマンから2名程度の個別指導

■着物の「格」

◇黒留袖

黒地の留袖既婚者が着用する留袖
・とても格が高いので、着るのは結婚式や披露宴に限られる
・着ることができるのは、新郎新婦の母、仲人の妻、新郎新婦の姉妹など、ごく近親者だけ

※留袖とは、振袖の袖を短くして留めた袖(留袖)を持つ着物で、「留める」という言葉を使うのは、袖を「切る」では縁を切るを連想させるからだと言われている

◇色留袖

地色が黒以外の留袖
・着物の上半身は無地で、裾だけに柄取りがしてあるのは黒留袖と同じ
・格の高い留袖を未婚者でも着用できるようにしたもの
家族や近親者の結婚式に着用する格式の高い着物として扱われている

◇訪問着

上半身にも帯から下にも柄取り
・白の反物を着物の形にしてから、下絵を描きそれをほどいて染めるため縫い目をまたいで柄や文様がつながっている
既婚未婚を問わず、若い方から年配者まで着用できる
・フォーマルシーンでは準礼装や略礼装として着用
・ゲストとして招かれた結婚式や披露宴、子どもの卒業式や入学式、お宮参りや七五三、観劇やコンサート、友人との食事会や同窓会など、さまざまな場面で着用
・1915(大正4)年、三越百貨店(三越呉服店)が名付けて売り出したのが発端

◇色無地

黒色以外の柄のない一色染めの着物
・地紋や色目・紋の数によって街着から改まった席まで、様々な場面で着用
地紋がないタイプは、礼装用ではなく、カジュアルな着物として扱われる
・地紋があるタイプの着用シーン
5つ紋:非常に改まった式服でフォーマルな場面
3つ紋:準礼装となり無紋の訪問着と同等以上の格。基本的に格の高いお茶会や卒業式、入学式などのセミフォーマルな場面で使われることが多いが、「黒帯」を使うことでお通夜や葬式などでの使用も可能
1つ紋:無紋の訪問着や付け下げと同等の略礼装となり、主にパーティーや結婚式、お茶会などのセミフォーマルな場でよく使われる

◇付け下げ

太平洋戦争下、贅沢が禁止されたことにより豪華な見た目の訪問着の代わりとしてつくられた
→訪問着よりも控えめで、訪問着の特徴である「流れるような絵羽模様」はない、もしくは、あっても軽め
・反物のまま染めるという特徴があり、ゆえに柄が縫い目にかからないよう染色する
・着た時に全ての柄が上を向き、左右の身頃や肩から袖にかけて模様は繋がっていない
既婚未婚を問わず着られる
・親族以外で招かれる結婚式披露宴や各種パーティー、オペラやクラシックコンサートなどの音楽鑑賞、歌舞伎などの観劇、あらたまったお食事会、お子様の入学式・卒業式の付き添いなど 、きちんとしたシーンに着用されることが多い

◇小紋

・華やかなものもあれば、地味な落ち着いたものも多い
柄は必ずしも上を向いていない。いわゆる同じ型紙を使って染色されるようなパターン柄が多い
・反物の形状のまま染めるため、縫い目の部分で文様や線のつなぎ目が途切れている
・カジュアルなパーティへの出席、観劇、食事会、大寄せのお茶席等

https://www.kimonoichiba.com/media/column/288/

https://www.kimonoichiba.com/media/column/71/

■「格」についてわかったこと

・伝統文化のようになっているが、大正時代に「訪問着」を三越がマーケットの拡大をめざして発明したように、着物の「格」という概念はあとからつくられたもの

「格」の概念の中核が生まれたのは、現代の着付けルールが生まれたのと同時代の1960~70年以降
→復興を経て豊かな時代になり、洋服中心のライフスタイルに馴染んでしまった日本で、着物を買ってもらうために高級路線を突き進んだ結果

・ランクと値段がまったく比例していない
ランクが高いものは値段が高く、ランクの低いものも値段が高い
||
基本的にすべて高級志向ということ

・フォーマル仕様なのか、カジュアル仕様なのかという観点だと、フォーマルの占有率が異常に高く、浴衣を除くと9割がフォーマルの印象
→フォーマル/カジュアルの範疇がわからないので、徹底的にフォーマルシーン(結婚式、式典、一流ホテルでの会食など)を避けて着るのが無難(笑)

■着物の値段

◇市場規模
最盛期の40年前:約2兆円

現在:約2800億円

◇着物が高価な理由
①絹という上質な天然素材を使っている
・絹糸は大量生産できない
・着物1枚つくるためには3000もの繭が必要

→ただし…
東レシルック」という高品質な化学繊維もある
・正絹のなかで一番とろみ感が強い綸子(りんず)と比較してしまうと、ポリエステル特有のカサッとした感じは若干あるものの、違いはほとんどわからない
・一般的なポリエステル着物が仕立て上がりで2万円前後なのに対し、倍以上の金額ではある
・メンテナンスをプロに頼まなくてはいけない正絹と較べると、自宅で洗濯可能なほど簡単

②生地を染める作業や仕立てに相当な手間や時間がかかる

③市場が小さいので大量生産によるコストダウンができない

④流通過程で複数の中間業者がかかわっている
→呉服屋で買うと高額になるが、あえて呉服屋に行くメリットとしては…
・贅沢感
・着物の知識が増える
・最新の芸術品を鑑賞できる

和装士さんに直接仕立てをお願いするルートもある
・技術の高い方だと、余計なシワもなく着心地がよくて、ピシッと着られる

・個人オーダーする場合の仕立て代の目安(反物代除く)
 浴衣:15000円
 小紋:25000円
 訪問着:35000円

■アンティーク着物とリサイクル着物

◇アンティーク着物
戦前のもの
・対象から昭和初期にかけて流行した独特な色や柄、形が特徴
・特に袖丈の長さが、現代の49センチよりも長めでシルエットが優雅
 →反物を購入して誂えたとき、余りを袖にしていたから
 →戦争に突入すると、その優雅なシルエットが標的にされ、昭和15年に贅沢禁止令(7・7禁令)が出され、高価な素材を使用した着物の販売が禁止され、やがて着物の袖を切らなければ非国民とまで言われるようになった
 =楽しいものや美しいものが無価値となり、破壊されてしまう、戦争ほどつまらないものはない
サイズが小さいものが圧倒的に多い
→いくら色柄がよくても小さいと売れないため、サイズ表記を数センチ上乗せする店もあるため、メジャー持参が必須

◇リサイクル着物
戦後のもの
・昭和40~50年代(1960年代以降)から、バブル崩壊(1990年代前半)までは、おそらく有史以来、着物が一番高額な時代といえそうだが、質の高い着物がどれだけあったのかは疑問(一点ものと言いながら大量生産品の場合も…)
京都との東京との地域差はほぼ皆無

(5)着物との付き合い方

■帯の結び方

◇お太鼓結び

https://sgm.co.jp/useful/kitsuke_obi/nijutaiko/

【江戸時代後期】
亀戸天神の太鼓橋が再建されたときに、渡り初めをした深川の芸者衆が太鼓橋にちなんだ帯結びをしたことが発祥

明治40年頃
伝統文化という点から見れば、歴史が長いのは半幅帯のほうで、お太鼓結びが一般の日本人のあいだに浸透したのは明治40年頃

大正時代
お太鼓を手早く結べるように、名古屋女学校(現 名古屋女子大学)の創設者のひとり越原春子が「名古屋帯」を考案

お太鼓結びのほかに、銀座結び(銀座のママが発祥で、粋でこなれて見える)、角だし結びもできる

・お太鼓結びは、半幅帯や、名古屋帯の銀座結びや角出し結びよりも、帯の位置が高いぶん視線が上にいき、直線効果で背中からウエスト・ヒップにかけてのラインがすとんとした感じにまとまってスッキリして見える

・立体的になっている帯の上部は、弾力のある帯枕によって形成されていて、そこから下はビシッと直線的な形状をめざす
=横から見たときに数字の「7」の形になるのが正解

◇貝の口結び

・半幅帯の結び方の一つで、江戸の庶民がしていた結び方

■マナー

テーブルマナーは西洋式と同じ

■仲居さん問題

仲居さんのようにみえないようにするには、教科書通りにきちんとした着付けにしないこと

①半衿を白ではなく柄にする
②衣紋をしっかり抜いて、衿を寝かせること
③伝統的な色柄の着物に現代的な要素を合わせる(ビビッドな色を足す、帯の結び方を変える)

■お手本

◇『美しいキモノ』(ハースト婦人画報社)
・1953年創刊
・年4回発行
・目にも麗しいグラビアがゴージャス
・主にフォーマル着物を愛する人々から支持を集めている

◇『きものSalon』(世界文化社)
・創刊40周年
・年2回発行
・グラビアの美しさに定評があると同時に、素朴な疑問に答えるページなど
・山地や歴史にふれる文化関連のテーマが充実

◇『七緒』(プレジデント社)
・年4回発行
・グラビアはほっこり、ナチュラルなムード
・箪笥着物やリサイクル着物の活用法など、実用情報が多い

◇『KIMONO姫』(創刊号『KIMONO道』)、『KIMONO anne.』(祥伝社)
・2002年創刊
・読者層10代~30代前半
・着物ってとにかく可愛くて楽しいという想いを一途に伝える内容
・ハイヒールや帽子との組み合わせ、和洋折衷などを提案
・この本がなければ現在のアンティーク着物・リサイクル着物に注目する文化はなかったといわれるほど

◇INSTAGRAM

■日本独自のセンス
さまざまな色を用いてコーディネートを作り上げる日本独特で豊かなセンス
ワンポイントの配色効果に注目する欧米センスとは異なる
・原点は平安時代
→『源氏物語』『栄花物語』など古典文芸には、春夏秋冬それぞれに趣向を凝らした装束を着用したことが記される場面が多い
自然とともにある変化に富んだ色彩に触れるなかで、その美しさを複雑に組み合わせる感覚が養われた

日本的なセンスを磨くには…
まったく違う色どうしを組み合わせること
(例)着物が黒、帯は白、帯揚げは紫、帯締めは黄色
・大切なのは調和
自然のなかにある色の組み合わせや文様は、ひとつの参考になる
(例)海、山、草花、樹木、鳥、昆虫、動物、岩や石、鉱物…

■着物を着るには3日必要

◇前日
着物と帯の組み合わせを決めて、シワなどの状態を確認
帯締めやバッグ、履物など、大まかにコーディネートの方向性固める
半衿のおしゃれをするなら、襦袢のチェックも必要
◇当日
身支度に時間がかかるので余裕をもたなければならない
帰宅したら着物や帯をハンガーにかけて風を通す
◇翌日
シミの有無などを確認しながらたたんで収納

◇工夫できること
①襦袢や裾よけはクローゼットにかけっぱなし
②腰紐や伊達締めなどの着付け小物はまとめてハンガーに吊るしっぱなし
③帯締めと帯揚げは各々空き箱に入れて全体を見渡せるようにする

■着るために予定をつくる

・目標がハッキリしないエクササイズが続かないのと同じく、着物も地味な自主練ばかりでは続かない

歌舞伎や落語鑑賞、習い事など趣味や楽しみと連動させることがもっとも現実的

・あまりに忙しい人は、無理して自分で着る必要はない

(6)おわりに

■着るも自由、着ないも自由

・着物を着て出かける人の数は、今現在がもっとも多い

・歴史や伝統文化、業界の成り立ち、その時代を生きた人々の営みや価値観にふれてみると、予想以上にフリーダムな世界

・なぜわかりにくいことだらけなのかというと、ハレの日とケの日が絡み合ったまま語られることが多すぎるから

・かつて着物というのは、お上品でおしとやか、シットリと落ち着いた気分になれるものだと思っていたが、好みの着物に袖を通してみると、やたらと元気が出たり、ワクワクしたり、笑い出したくなったり、ときには歌ったり踊り出したくなって、躍動的な気分になる


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