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私が幽霊を信じるワケ

「おばけなんて怖いもんか。生きてる人間が一番怖いんだよ」
と祖母が言っていたのを
「なんでー?」
なんて言っていたのが懐かしい。
今は祖母の言うことが真実であったと頷くばかり。
思えば遠くへ来たもんだ。

怪談話に「ひゃー!」と言うものの
基本的にまったく信じていない幽霊とか心霊とかそういうの。
映画ではちゃんと怖がるけど、トイレに行けない!というのは
もう終わった(小学生の頃はそうだった)。

このような私が信じている幽霊がいる。

それが恋人だ。

結婚したわけでもなく、たかが恋人で、
しかも別れていて、
それでも私がこれからも一緒だと言うのには
理由がある。

別れてしょんぼりして3か月。
やっと吹っ切って、推しにキュンする毎日を
取り戻した矢先だった。

仕事から帰って、地下鉄から地上に上がるときに
ふわっと、彼の空気を感じた。
「あれ?来てる?」
と一瞬思って、彼のいつも使っていたバス停に彼が見えた気がして
目を凝らしたけれどいない。
人ごみにまぎれた?そこを歩いている気配がある。
でも、いない。
来るときに連絡しないで来るなんて、「らしくない」。
それは絶対ないな、なんて思いながら歩く。
自宅の方へ曲がる角を曲がって顔を上げると
私のアパートの前で、彼が行ったり来たり逡巡している。
まるで不審者だ。
私が来たことに気付いた彼はハッとして、立ち止まった。
私は悔しいから、知らんぷりして前を素通りして
郵便ポストを開けて、また閉めて、そのまま背中を
向けようとしたけどやっぱり彼に向き合った。
彼は初めてのデートの時みたいな緊張した顔で
少し息を吸い、

「ごめん。本当にごめん」

と言った。
私は、許してしまうのだ。
いつだって、これからも。
睨みつけたけれど、マスクの下で頬が緩んだ。

彼は私を知っているから、
よく、知っているから
頬が緩んだことに気がついて
ものすごくいい笑顔になって
私の方へ来ようと、家に一緒に帰ろうと足を踏み出し
たところで彼は消える。

夢みたいだけど、あまりに本物のようでびっくりした。
「やだなあ、未練があるのかな、私」
と思ってそのまま忘れた。
妄想したのかな。うーん、でも、次行こう!次!なのに。
やっとそこに辿り着いたのに。

でも、同じことが、次の日もあったのだ。
「あれ?まただ。もしや生霊?」
「未練がましいなあ、私」

でもまた次の日も。
「もしかして、彼は帰ってきたがってる?」

これは妄想だろうか。
でも、変な空気。
手をつないで隣を歩いているときの、
あの空気。
彼といるときの、彼がバス停で待っててくれるときの
あの空気。
彼だと確実に分かる空気。
彼の、確実な気配。
彼が戻りたくなっていたとしても、私は彼を許すんだろうか。
彼がいないことで私は時間を気にせずに銭湯にも行けるようになった。
サウナも温泉も長く入れるようになった。
発作が起きそうになると私に連絡してくるから、いつも気にしていた。
「お風呂何時くらいまで?」
と聞かれるのは、別に嫌でもなかったし何とも思っていなかった。
もしかして私が子育てをした後だったからかもしれない。
そういう「自由」を取り戻した今、私は彼が戻ることを許すのは
彼に場所を作るのはできるのだろうか。
そんなことを銭湯の帰りに考えた夜。

その翌朝に、私は彼の死を知った。
彼は、突然死してしまって
3日後に見つけてもらった。
ご家族は私にもすぐに連絡をくれた。
もう、別れていたというのに、それでも。

3日間、私のところに謝りにきていた彼は
今思えばいわゆる幽霊だったわけで。

別れるときに
「死ぬときにも一緒にいた時間を思い出すよ」
と言っていた彼は、そのすぐ後に
それを実践するつもりではなかっただろう。

彼はとても理系(毀誉褒貶)で、
病気になったり障害があったりしたせいもあるかもしれないけど
霊とか魂とか神とか仏の類をまるっきり信じていなかった。
そんな彼が、私が見えるように、
私が感じることができるように現れたことを考えると
彼と同じようにその類を薄目でしか見てないけど
思念はある、んじゃないかななんて思うのだ。

彼の想いだけは、ここにちゃんと届いた。
思い残したことがあっても、相手には届くんだと思う。
受け取る能力の要否は分からないけれど、
きっと届く。
彼の思念は、
「ごめん。これからは一緒にいるよ」
という意味だということに、私はした。
さあ、じゃあ一緒に帰ろうと私の方に足を踏み出したから。

そして私は今、彼の遺骨と一緒に暮らしている。
ご遺族が分骨してくださったので仲良くしている。
私が死んだときに、彼の骨は私のに混ぜてもらって
一緒にどこかに埋めてもらうのだ。

幽霊なんて信じてない。
これからも信じない。
彼のもの以外は。


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