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東京散歩第2弾  赤穂浪士の歩いた吉良邸から泉岳寺まで歩く

           編集最終日 2020年12月27日

前回は山の手線一週を、何回かに分けてのんびりと歩いた。今回は討ち入り後、泉岳寺まで赤穂浪士の歩いた道を2回に分けて歩いてみた。協調性がほぼ無い男なので、ツアー参加は無理で独自に歩いた。いつものように、風の吹くまま気の向くまま、時おり赤穂浪士に思いを馳せながら、約13Kmを寄り道しながら歩いた。

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吉良邸から泉岳寺

時は元禄15年12月14日、本所吉良邸で本懐を遂げた赤穂浪士一行は、隅田川沿いを南下し、永代橋を渡り、八丁堀・鉄砲洲・築地方面に入る。築地川沿いから西本願寺(築地本願寺)築地本願寺を過ぎ、木挽町の堀沿いを汐留方面に向かい、汐留橋(現・蓬莱橋交差点)を渡る。芝大門辺りから東海道へ出たら、あとは一路泉岳寺まで歩いた。およそ2時間で歩いたと言われている。早い!

1.1回目のスタートは2020年11月15日(日)
  JR両国駅で下車

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JR両国の駅や駅施設は、写真や土俵ありで相撲一色。

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JR両国駅改札を出ると、国技館通りには可愛いサイズの力士像がいくつもあった。
          

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吉良邸跡 当時は2,550坪の広大な屋敷だったようだ。

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邸内には吉良上野介の像と、首洗いの井戸があった。元は鍜治橋にあったが討ち入りの噂が立ち、警戒した隣家の蜂須賀飛騨守が、幕府に吉良邸の移封を願い出た。結果、本所に屋敷替えとなったとある。

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討ち入り後、休息を求められた回向院は、関わりあいを恐れたのか門を閉ざした。

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歩く前に、まずは腹ごしらえ。「ちゃんこ道場」で深川めしを食べた。美味しい深川めしに出会ったことが無かったが、これが珍しく美味かった。

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吉良邸前では、吉良まんじゅうを買った。赤穂浪士、吉良上野介に思いを馳せるものの、気分は物見遊山。

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公園の一角には、勝海舟生誕の地の碑があった。
東京都墨田区両国4-25-3 両国公園内

両国は江戸東京博物館や、すみだ北斎美術館、芥川龍之介の文学碑や、ちゃんこ鍋屋、蕎麦の名店「ほそ川」など、見どころ食べどころが満載のエリアでもある。

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両国橋手前、イノシシ料理屋の「ももんじゃ」イノシシが3頭吊り下げられ、迫力満点。

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出羽海一門の春日野部屋の前を通る。マンションになっていてビックリ。見学したいが先に進む。

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赤穂浪士一行は、回向院の先の隅田川にかかる両国橋は渡らせてもらえなかった。ご府内には入れず、隅田川沿いに一之橋を渡る。

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                 松尾芭蕉記念館
赤穂浪士とは無関係だが、芭蕉記念館が途中にあった。せっかくだから数枚パチリ。芭蕉は、日本橋から深川の草庵に移り住んだ。そして、この庵を拠点に新しい俳諧活動を展開し、多くの名句や『奥の細道』などの紀行文を残している。

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記念館の裏には芭蕉の銅像が、何を思うか隅田川を向いていた。

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                     永代橋
手前の両国橋を渡ろうとしたが、断られ永代橋を渡ったとある。永代橋から八丁堀に向かう。そして朝野内匠頭邸跡近くを通った。

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               浅野内匠頭上屋敷跡
現在の築地明石町にある、聖路加看護大学と聖路加国際病院の敷地全体が浅野家の上屋敷だった。浪士達は泉岳寺へ向かう途中、この上屋敷を通った。この浅野内匠頭邸跡だが、細かい地番が無くて結構探した。石柱が傾いているのが気になった。築地駅まで出て、本日の散歩は終了。


2.2回目は、2020年11月22日(日)

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日比谷線築地駅を降りると目の前に、築地本願寺がど~んと出現する。古代インド様式をモチーフとして設計された建物だ。初めて見たときは日本の寺院と違い、かなり違和感を感じたものだ。

本日の腹ごしらえは、築地場外の道路を越え銀座方向にある店。「魚河岸三代目 千秋」仕事で築地にある会社の支援に1年半くらい行っていたので、築地の場外や飲食店は詳しくなった。カウンターだけの店だが、隣と1席空けて座わらせコロナ対策をしていた。 

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さくっと食べられる、尾長鯛とまぐろの丼ぶりにした 

 

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歌舞伎座を過ぎて昭和通りに入る。右角は「俺のBakery」パン屋さんだったが突然改装して、「俺のGrand Market」とやらになっていた。

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芝大神宮だ。東京都港区芝にある伊勢神宮の神様「天照大御神」と「豊受大御神」をお祀りしている神社。そのため昔から「関東のお伊勢様」と言われ、現在は縁結びの御利益が有名で、パワースポットでもある。女性に人気とあり、実際に結構女性がお参りしていた。私もお参りしておいた。

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カッコいいスポーツカーが展示されていて、つい足が止まる。注文販売とあった。

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「札の辻」交差点。札の辻とは、街道や宿場町など往来の多い場所に高札を立てた道を言う。通りの先には慶応大学があり、東京タワーが見える。

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                  御田八幡神社

正月の飾りつけの準備が行われていた。1,300年を越える歴史を持ち、三田、芝、芝浦、高輪の氏神様として崇敬されている。「鳴釜神事」が1月に執り行われるようだ。余談だが、この「鳴釜神事」は京極夏彦の小説で読んだことがある。

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途中のビルの8階あたりに、スパイダーマンがいた。ビルの窓ふきだが、結構、クライマーがこのアルバイトをしていたりする。ゴンドラがあっても経験がないと、最初は30分しかもたない仕事らしい。

泉岳寺手前のタリーズコーヒーで、カフェラテを飲み休憩。穏やかな気持ちで泉岳寺に向かうことにした。

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さて、いよいよ目的地の泉岳寺に到着だ。スタートの築地からは実質1時間20分くらいかかった。福井県の永平寺と、横浜鶴見の総持寺を大本山とする曹洞宗の寺だ。東京都港区高輪二丁目にある。釈迦牟尼仏を本尊として仰ぎ、南無釈迦牟尼仏を唱える。

毎年4月初旬と、討ち入りのあった12月14日には義士祭が開催される。

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四十七士を葬った墓所。奥に大石内藏助の墓は奥にある。

 ≪大石内蔵助辞世の句≫
「あら楽し 思いは春るる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし」とあった。本懐を成し遂げた思いが伝わってくる句である。大石内蔵助が、連判状を手に江戸の空をじっと睨んでいる姿の銅像が置かれていて、何か伝わるものがあった。

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                   義士墓解説

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浅野内匠頭正室の瑤泉院の墓   浅野内匠頭の墓

築地からの1時間20分の散歩は終わった。赤穂浪士たちは吉良邸から泉岳寺まで2時間で歩いたという。現代人より歩くのが早かったようだ。私は大体だが、実質3時間20分以上かかった。一度義士祭の頃に行ったことがあるが、参拝者の線香の煙でもうもうだった。赤穂浪士仇討ちの話は、日本人の心にちゃんと刻まれているのを感じた。

ちなみに色々な俳優が、忠臣蔵を演じているが一番好きな忠臣蔵の映画は、1958年制作で古典ものだが、長谷川一夫が大石内蔵助を、市川雷蔵が浅野内匠頭を演じた忠臣蔵だ。感動もので、たまに見直したりする。


3.番外編 JR高輪ゲートウェイ駅
さて、帰るとしよう。最寄り駅は「JR高輪ゲートウェイ」だ。この駅を利用するのは初めてなので、興味深く番外編として載せた。

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JR高輪ゲートウェイ駅。駅名決定で色々と話題になった駅だ。駅周辺は大きな施設が出来るため工事中で、田町駅間に高層ビル4棟などが建つ大規模開発事業だ。

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乗る人は少なく外回りのプラットフォームにいる人は5人くらいだった。下車する方はほとんどみかけなかった。今はあまり利用客がないようだ。スタバが構内施設に入っていたが、やっていけるのだろうかと心配になった。

外回りの山手線に乗り帰路についた。最後までご拝読ありがとうございました。

                          鈴木博之




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